1992年(28歳)『愛という名のもとに』でトレンディー俳優として大ブレイク
2002年 大河ドラマ『利家とまつ』
2008年 映画『20世紀少年』主人公ケンヂ役
ディズニー映画トイ・ストーリー ウッディ(カウボーイ人形)の日本語声優務める
林
「個人的なことなんですけれども。僕1965年生まれ何ですよ。だから、この方同い年なんだと思ってたら、ある時期からあれ!?2つ年上に…」
唐沢
「年齢サバ読んでたんですよ。
だから、売れるまでとことんサバ読んでやろうって思ってました。
当時の出演者も不思議がってましたよ。
中野英雄くんね。(ドラマ愛という名のもとにの)チョロ(役)。
最初は彼の年下だったんですよ僕(中野27歳、唐沢本当は28歳だけど、26歳と言ってた)。
だから、ごまかしてたから。
だけど現場で、僕はみたいな。
年下からなんか呼び捨てにされてみたいな。
一番昭和でやっちゃいけない事。
「いいからいいから、そんなこと。番組終わったら秘密の話があるから」って言ってたんですよ。
で実は…って言ったら、「良いけどさ…。でも俺も唐沢唐沢って呼んでるから、もうこれからは唐沢だからな」って。
「いいよ、まあそれで」って言って」
下積み時代から運命の出会いまで
人のためにを大切にしている唐沢寿明さん。
その原点には自分を我が子のように育ててくれた人物が。
まだ無名だった唐沢にご飯を食べさせ、服を買い与え、芸名まで名付けてくれた今は亡き恩人です。
東映アクションクラブに入門 15歳 スタントマン・ショッカー時代
1963年東京都台東区で誕生し、6歳の時には既に役者の道を志していたという唐沢少年。
当時憧れていた俳優が、ブルース・リー。
俳優になる方法が分からなかった唐沢少年は、15歳の時、東映の入り口にいた守衛さんに直談判。
その行動力が功を奏し、俳優養成所東映アクションクラブに入門。しかし、予想していた華やかな世界とは違い、舞い込んでくる仕事と言えば…
林
「当時、なんか非常に過酷なスタントも、しかも破格のギャラで引き受けてらっしゃったって聞いたんですが」
唐沢
「昔はね、全身燃えとかあるじゃないですか。全身火つけて、燃えてこうやる。
あれとか、セリみたいな感じで、上におじさんが立ってて、それで言うんですよ。
「はい全身燃え、全身燃え」ってで、「はい!」って言って。
それがだいたい当時3万円位。」
林「3万?一番値段高い?」
唐沢「高いですよ」
林「車にひかれるっていうのはおいくらくらいなんですか?」
唐沢「まあ、基本3000円ですよね。歩いてるところ後ろから車にひかれるっていうのありましたね」
林「馬に引かれたこともあったんですか?」
唐沢「般若の面かなんかかぶせられて、ほんでこうやってずっと引きずられるっていう」
林「それいくらなんですか?」
唐沢「3000円」
林「3000円(笑)。著書に油まみれの死体役っていうのもありましたね?」
唐沢「それはね、仰向けになってカメラの前をこうやって死体が流れるっていう」
林「ちなみにその死体役っていうのはおいくらだったんですか?」
唐沢「3000円ですよ」
林「均一価格なんですね」
唐沢
「だってそれ、顔も映るかどうかも分からないですもん。
当時アクションクラブの月謝が4000円だったんですよ。もう大変な。
だから、もう生きるか死ぬかですよね」
当時唐沢が主戦場としていたのが、仮面ライダーの敵役ショッカー。
唐沢
「僕実はショッカーで行ってたんですよ、現場に。
だから僕だいたい仕事って言ったら、ダムに行くか採石場に行く。
この2パターンなんですよ。
であのバスに全員上だけとったモジモジくん座ってて。
でもね、いい経験でしたよ。
仲間意識も生まれましたしね。
だから、個人プレーはダメだっていう事も学んだし。
だからなんか今振り返ってみると、無駄なことはなかったのかなとか。
でもまあ、このままじゃダメだなとは思いましたけどね。このままじゃ」
デビューした舞台で恩人となる女性に出会う
その後アクション俳優をやめ、本格的に俳優の道を歩みだすことになる
林「今振り返ってみて特に印象深いという作品はおありですか?」
唐沢
「やっぱり、一番最初っていうか『ボーイズレビュー・ステイゴールド』っていうこの舞台ですかね」
唐沢寿明が本格的にデビューを果たした舞台「ボーイズレビュー・ステイゴールド」。
唐沢
「岡安由美子さん(パフォーマンスの女王)っていう方が主演で。
僕その前に素人劇団みたいなのをやってたんですけど、全く違う世界でしたね。」
実はこの舞台の出演をきっかけに、人生最大の恩人と出会う。
唐沢「橋爪貴志子さん。もうお亡くなりになったんですけどね。」
ターニングポイントとなった出会い
当時「ボーイズレビュー・ステイゴールド」を企画・制作されたプロデューサーの橋爪貴志子さん。
唐沢
「舞台の制作会社をその橋爪さんって方がやられてて。
そこで預かりみたいな感じで3年間だけやりなさいって言って。
で、3年でダメだったら辞めなさいって言われて。」
この橋爪さんとの出会いが唐沢寿明の大きなターニングポイントとなり、俳優として輝き始める。
人生を変えたチノパンとポロシャツ
林
「で、その時にまあ、普段着ていた恰好を、服装を変えろと橋爪さんにこう言われて」
唐沢
「当時はほんとに素肌に革ジャン着てたりとか。
あとなんか、タンクトップの形した網みたいなシャツがあるんですよ。ほとんど裸みたいな。
あれ着て外歩いてましたからね。あの水に浸して干しとけばすぐ乾くんで。
それである時に橋爪さんのお家に…マンションに呼ばれて。でポンッと投げられて。
チノパンとあとポロシャツ。
「あんたオーディションあるからこれ着ていきなさい」って。
「嫌だよこんなの」って言って。
そしたら「いいから、これ着ていきなさい」って言って。」
林「でも後々のトレンディドラマでのイメージに近いですよね?そっちの方が」
唐沢
「いや、だからそれになってから(服装を変えてから)売れたんで、不思議ですよね。
自分とは全く違う世界ですもん。
で、それを着てNHKのオーディションに行ったんですよ。
それで受かって。」
林「あ、ポロシャツの効果でかいなと?」
唐沢
「え?なんでこんな急に受かるんだろう?って。
今まで全然オーディションなんか受かったことなかったのに」
突然名前が変わる
しかし、出演したドラマの放送を見た所、ある異変が。
唐沢
「で、(ドラマの)1話を家で観てたら、名前がないんですよ、僕の。
で、社長に電話したら「あんた暗いからね。名前変えたから」って言われて。
「「寿(ことぶき)」に「明(あかるい)」って最高に明るいでしょ」って。
「まあ、別にいいけど。今まで売れなかったからいいよ別に何でも」って言って。
だから自分がいくら「俺はこうなんだ」って言っても、傍から見たら違かったら、だめなんですよね。
だから傍から見たらこう見えるんだよってことを嘘でもやってみたら、意外と人間関係上手くいったりすることもね」
服装から芸名、そして普段の食事まで。
何から何まで橋爪さんにお世話になったという唐沢にとっては一人しかいない特別な存在。
そんな今は亡き恩人には唐沢も知らなかった並々ならぬ想いがあった。
恩人を良く知る方からの手紙
林
「今回唐沢さんと橋爪さんの関係を良く知る吉川愛美さん(橋爪さんの仕事仲間)に当時のお話をお伺いする事が出来ましたので」
『橋爪さんは宝塚歌劇団出身で、ダンスにはかなり厳しかったのですが、唐沢さんのダンスを見て、「あの子いいじゃない?」「どう?いいよねあの子」と言って目をつけていたのを覚えています。ダンス以外にも、お顔やスタイル、役者の素質が揃っていて、「バランスがいいでしょ?」と我が子のようによく自慢されました。
このバランスの良さに橋爪さんは唐沢さんの可能性を感じたのだと思います。
「でも、もうちょっと食べさせて筋肉をつけたいわ」と相談されたこともあります(笑)。そして、唐沢さんが橋爪さんの事務所をおやめになった際、普段泣かない橋爪さんが涙を流しながら私を訪ねてきました。
自分で立派な役者に育て上げたいという気持ちの反面、誰よりも唐沢さんの役者としての可能性を信じていたので、より活躍の場が広がる大手事務所への移籍も「飲んだわ」と言っていたのを今でも鮮明に覚えています。その後の唐沢さんのご活躍。
橋爪さんはこの世界の誰よりも喜ばれていたと思いますよ。」
唐沢
「(少し涙を浮かべながら…)全然泣いてないですよ。
いや、きついなこれ。
こんな番組なんですか?」
林「まあ、時に」
唐沢「そうっすか。やばい。お世話になりましたからね」
林「ちょっと胸に深く来ることが」
唐沢「まあ、知らないことも出てきましたしね」
林「ご存知じゃなかったですか?」
唐沢
「知らなかったですよ。こんなこと言ってたのは知らなかったです。
もうちょっと筋肉付ければっていうのは、もっと食わしてくれればね。
ガリガリのままでちゃいましたから。
でも、それこそナイフとフォークの使い方から全部教わりましたから。知らなかったから。
フィンガーボールの水とか飲んでましたからね、僕。
「あ、ダメよ飲んじゃ」って言われて、「え、水じゃないの?」って。
それがそんなトレンディ俳優とかなってんですからね。
でもまあ、ほんとにお世話になりました。
彼女のおかげで、ほんとに今があるということですからね」
恩人橋爪さんの愛情を一身に受け、無名の青年は日本のトップ俳優へ。
そして今は自分が受けた恩を返すかのように、下の世代にめいいっぱいの愛情を注いでいる。
今月61歳。
林「唐沢さんが仕事をする上で大切にされていることを教えていただけますか?」
唐沢
「大切にしてること…やっぱ「真面目にやること」じゃないですか。
やることがあれば、もうそれはもう真剣にやるっていうのがずっともう若い時からそれだけでやってきたので。
まあ、あとはうちの奥さんがお金で困らないように。
まあ、一応なんか自分の家族と思える人には出会ったかなという感じですかね
大ヒットドラマに抜擢 日本を代表するトップ俳優に
1992年愛という名のもとに
1992年ホームワーク
2003年白い巨塔
ドラマ「愛という名のもとに」 1992年
愛という名のもとに 最高視聴率32.6%
トレンディ俳優唐沢寿明誕生のきっかけとなった作品
林「これはめちゃくちゃモテたんじゃないですか?」
唐沢「この頃はもう、うちの奥さんと付き合ってましたから。」
恋人役鈴木保奈美さん
強烈に印象に残っている事
鈴木保奈美
「若いのにずいぶん大人っぽい人だなと思いましたし。
舞台で主演をやってらした経験もあるっていう風に伺ってまして。
今までたまたまテレビに出てなかっただけで、すっごい実力ある人なんだなと思ってました。
あとは、顔がちっちゃい。
私が割とずーっとちっちゃいちっちゃいって周りに言われていて、でもその自分がモニターに映ったときに、唐沢君の方がちっちゃいって思って」
そんな若き日を知る鈴木保奈美が思う俳優唐沢寿明の魅力とは?
鈴木保奈美
「得体のしれないところです。どこまでも仮面のような気がする。
どんな仮面もひょいっと被れる。
どこまで行っても分からない人で、私は得体の知れない人だなあって思います。いい意味で。
とても饒舌でにぎやかですけど、本当の素は見せてない。私から見るとですけど。
どんなにしゃべってくれてても、本当の唐沢君は分からないって感じです。」
林「素は見せない。いつも仮面をかぶってるとおっしゃってましたけど」
唐沢
「僕と結婚してたら分かるんでしょうね。
(ドラマ「愛という名のもとに」では婚約者鈴木保奈美と破談)」(爆笑)
唐沢
「やっぱり、愛という名のもとにで本当に人生が変わったような感じだったんで。
だからこんな役(大役)をいただけるなんて、当時はほんともう夢のようでしたよ」
この作品によって、さわやかな好青年というイメージを確立して大ブレイク。
ところが、次作で意外な方向転換をして賛否両論を巻き起こすことに
ドラマ「ホームワーク」 1992年
それが1992年福山雅治と共演した初主演ドラマ「ホームワーク」。
演じたのはひょうきんなサラリーマン役。
まさかのコメディ路線に事務所に抗議の電話が殺到した。
林「抗議の電話が結構殺到したと」
唐沢
「ファンの人たちはそれが(ひょうきん役が)すごく嫌だったみたいで。
よく「デカメロン伝説(少年隊)」って曲をカラオケで歌ってたんですよ。
それぜんぜんデカメロンってデカいメロンのことじゃないのに、「♪デカメロン」ってデカいメロン投げたりしてたんですよ。」
さわやかな好青年を捨ててまで、正反対のキャラを演じた理由は?
唐沢
「宣伝するのに、ぬいぐるみ被って街に出たり、こうやって踊ったりとか。
いろんなことをやろうと思ったのは、(挑戦は)良い時期にやらないとダメだなと思ったんですよ。落ち幅が小さくて済むじゃないですか。
売れなくなってからぬいぐるみ被ると、「ああ、ダメになったからだ」っていわれるけど、良い時にやればこの人すごい「チャレンジャー」だなと思われないですか?
やっぱり、いきなり(イメージと)違う役をやるっていうのは俳優にとって面白いことなんで。
で、やっぱり成功しても失敗しても自分ではやっぱり0か100でいいと思ってるんで。
真ん中っていうのが一番つまんないと思うんですよね。誰の記憶にも残らないっていうか。」
唐沢
「例えばトイ・ストーリーの声やらせていただいた時も、確か当時(候補者)6人位のビデオをディズニーの方に確かキャスティングの方が勝手に送ったらしいんですよ。
それで僕の所に、彼でどうだろって言ってきたっていうんですよ。
だからそれが多分遡ると、ホームワークであの踊ってる映像を出したんじゃないかなと思うんですよ。それ以外ないですから。
あれだけですから踊ったり歌ったりしたの」
ドラマ「白い巨塔」 2003年
40歳の時、最大の挑戦が訪れる。
それが、最高視聴率32.1%を誇った医療ドラマの金字塔「白い巨塔」(2003年)(原作者山崎豊子)。
大学病院内の権力争いと人々の欲望に翻弄される主人公天才外科医財前五郎を演じた。
唐沢
「本当に、山崎先生のおかげで今があるというか。
白い巨塔をやらせていただいた時にね。山崎豊子さんとお会いしたんですよ。
何て言うんですかね。財前っぽっく会いに行ったわけじゃなくて、普通に「どうも、よろしくお願いします」みたいな感じで言ったら、「あんた軽いね」って言われて」
林「田宮二郎さんがああいう演じ方をした役ですからね」
唐沢
「「あの、本番はちゃんとやりますけど、今はもうこういうタイプなんで、すみません。」って言ったら「あんた大丈夫なの?出来るのほんとに?」って。
そん時も「もういいや」と思って、すごいビールがぶ飲みしてたんですよ。
なんかベロベロになって「先生もういいじゃないですか、決まったんだから」とか言ってたら、
「あんたなんか面白い男だね」って言われて。
「もうアンタ頑張んなよ」って言われて。
「わかりました。大丈夫です。何とかなりますから。でも失敗したらごめんなさい」って言って。「何言ってんのアンタ!」「すみませんすみません」って言って。
だって撮影もしてないのに、相当たたかれましたもん。新聞とかで。」
この作品がリメイク版だったことから(1978年田宮二郎主演 2003年唐沢寿明主演)、大ヒットした前作で財前教授を演じた名優田宮二郎と比較され、放送前から『田宮二郎は超えられない』『唐沢には無理だ』と恋愛ドラマのイメージが強かった唐沢に放送前から厳しい批判が集まった。
唐沢
「(白い巨塔で共演した)江口(洋介)くんとも何度か一緒に飲みに行って話したんですけど、
「まあ、俺らも少しそういうところ(トレンディ俳優)から脱却しないといけないなって。
そして、大人の演技がちゃんとできるようにならなきゃダメだなって」
林「役作りなんかもご苦労されたんですか?」
唐沢
「それは実際のオペ(手術)を見させてもらって。
その外科医の先生もすごい人で、「唐沢さん見て、ほら。僕切ったけど、血あんまり出てないでしょ。ヘタな医者は血出すんだよね」って言う。
確かに血が出てないんですよ、そんなに。
その人が現場についてたんです。
あともう一人の方。
そしたら、僕がこう入ってくるシーンがあったんですけど、セットに入ってきて「ダメダメダメ。カットカットカット。一流の外科医はね、そんなねグローブ(手袋)にねこんなとこにしわとか作らないんだよ」って。
で、なかなかそれで止められてね、オペさせてくんないんですよ。
言ってることは確かにそうだなと思うんですよ。
すごく大事に道具を扱うんだと。
だから帽子とか投げたり、手袋なんか投げたら最悪な状態ですよ。
そんな外科医はいないっていう。
こういう所にこだわってるんだな。良い勉強になりましたね、本当にね」
林「でも実際に始まってみたら、その前評判をがらっと覆して」
唐沢「時代にもしかしたらあってたのかもしれないですね。
林「(放送)始まったら今はこうだって、全話見ましたもん。もうその勢いで不毛地帯も全部行きましたもん。
唐沢
「そうですね。だから山崎(豊子)さんもあんだけ僕にガンガン(「大丈夫なの?」「できるの?」って)言ってたのに、「次の「不毛地帯」もあんたやりなさいよ」って言われて。
「いやいや。あれだって全然先生違うんじゃないですか、先生話が」って言って」
林
「(以前出てくれたゲストの皆さんが)西田敏行さんのアドリブに翻弄されたというお話をされていたんですが」
唐沢
「いやー、西田(敏行)さんはもうすごいですよ。もう突然やるんでね(アドリブ)。こ
っちは真面目にやるじゃないですか。2人のシーンでも。
西田さんがしゃべりながらこうカツラを直すんですよ。それも本番の時だけやるんですよ。
またNGでもう一回やり直すのも嫌だから、すごい集中して笑わないようにして、すねとかこうやってギューッとやって。」
またシリアスな裁判シーンでも西田敏行さんのアドリブがさく裂。
唐沢
「上川隆也君がちょっと無精ひげ生やしてるんですよ。
でちょっと財前側が優勢になって、西田さんがまたアップになって、上川隆也くんに「ヒゲ剃れや」って言ったんですよ。
いや、ひげは剃らなくていいし、関係ないでしょって。
みんな裁判で集中して、また始まったなと思って、やばいやばい笑っちゃダメだ…って」
林「それそのまま使われたんですか?」
唐沢
「使われました。(ヒゲ剃れや)関係ないじゃないですか裁判に。
どんどん僕が集中して笑わないようにするんで、逆にすごい怖い顔になってるんじゃないですかね。プラスになって。」
唐沢会
唐沢会会員
及川光博、窪田正孝、山口智子、松岡昌宏、谷原章介、伊藤沙莉、広瀬アリス、宇多田ヒカル
1988年 朝ドラ「純ちゃんの応援歌」で、唐沢さん25歳の時、妻・山口智子さん(当時24歳)と共演し、出会います。
この作品以来、夫婦での共演はほとんどありませんでしたが、今年4月熊本のチャリティーイベントに夫婦そろって出席した様子をYouTubeにアップして話題になりました。
広瀬アリスさんが見たご夫婦
女優広瀬アリス(29歳) 唐沢会のメンバーで現在最も仲が良い。
(冒頭から、年の差32歳(唐沢61歳)の先輩を本名の「きよし」で呼び捨て)
スタッフ「唐沢会に所属されてるんですか?」
広瀬
「一応、所属メンバーですね。もう3期くらいですかね。
初期メンバーは谷原章介さんとか及川みっちーさんとか。
2期は伊藤沙莉と山下梨乃。
あの…「きよし(本名)」って呼んでます。
ちょっとこれ誤解しないでいただきたいのは、私が発端じゃないです。
伊藤沙莉が最初「おい、きよし」って言い始めてて。
そしたら案外喜んでるから、私も「きよし」って呼んだらニコニコしてるから、
これ言っていいんだと思ってそこから「きよし」と呼ばせてもらってます。
以前、智子さんも交えて飲んだことがあるんですけど、「智子さんの顔見なよ」っていうんですよ。そうしたら顔見れないんですよ、きよしって。ふざけちゃうんです。
「せーの」って言って智子さんは普通にこうやって顔見るじゃないですか。
なんか(変な顔して)ふざけるんですよね。顎出したりとか。照れ隠しですよね。
「まあ、惚れたもん負けだよね」とかかっこつけてるんですけど、何かよく分かんないと思って。
ほんと智子さんのことが大好きなんだなあと思って。
で、何か1回、谷原さんとミッチーさん(及川光博)と私が2日連チャンで呼ばれた日があって。
同じメンバーで集まって、飲んで、ご飯食べたんですけど。
「どうせ智ちゃんがいないから寂しいんだ寂しいんだ」とかってやってたら
「お前らで智ちゃんの穴を埋められると思うなよ」って言ってました。めっちゃ可愛かったです。」
広瀬アリス
「一度ハマると、もうほんとこうなっちゃうから。
一時期ずーっと、いつご飯食べに行っても火鍋の時期があって。
いっつも「火鍋って言うのは身体に良くてな」って毎回同じ話するんです。
すっごい喋ってくるんですけど、誰も聞いてないっていう。(はっはっは)。
時々智子さんも(ご飯に)いらっしゃるんですけど、私たちがふざけて「きよしきよし~(本名)」とかってしゃべってるじゃないですか。
それ見て、「バカね~」って。
でも唐沢さんなんて私がちっちゃい時からずっとやっぱり第一線で働かれてて。
なんかふとテレビとかでパッとみると、「あ、きよし(本名)」と思うんですけど、そっかこの方って私たちもう距離が近くなって親戚いえ~いみたいな感じでやってるけど、あ、大先輩だしすごい方だって、時々年に1回ぐらい思います。」
林「いかがですか今のインタビュー」
唐沢
「まあ、こんな感じですよね。
だから(伊藤)沙莉ちゃんも今や朝ドラのヒロインやってますけど、ま、演技がもともとできたんでね。最初に会った時もなかなか良いなこの子はって。
本当にそんな大きな役ではなかったんですけど」
林「なんか背中を押してあげたこともおありなんじゃないんですか?」
唐沢
「それは、一応フォローしますよ。そんなにみんなそれぞれ強いわけじゃないから。
ま、結構ね、この世界よく分からないけど、傷ついてるんでしょうね、何かに。
なんか傷つきやすいっていうか。
一番何があっても平気なのは松岡(昌宏)君だけですね。
もう不死身ですね、この男は。
僕ら昭和の人間って絶対傷つかないじゃないですか。
(林「いや、そうでもないですけどね」)。傷つかないんですよ」
36年前連続テレビ小説で出会った唐沢さんと山口智子さん。
2人は、今も変わらず仲良しです。
林「その会(唐沢会)に奥様もご参加される?」
唐沢
「そうですね。でも今は夫婦(2人)で行ってることが多いですかね。
そこに1人か2人くらい呼ぶくらいですかね」
林「仲のいい、おしどり夫婦の代名詞みたいにいろんなところで名前が上がると思うんですけれども。本当に仲良いんですか?
唐沢「良いとは思いますけどね。まったくなんかタイプは違うと思うんですよ。趣味も違うし」
林「喧嘩とかは?」
唐沢「喧嘩はそんなにしないですね」
唐沢会メンバー 宇多田ヒカルさん
林「唐沢会だいたい俳優さんですけれども、宇多田ヒカルさんが歌手」
唐沢
「ヒカルちゃんはねえ、まだ彼女が10代のころに『CASSHERN』(紀里谷和明監督のデビュー作。宇多田ヒカルの主題歌が話題に)っていう映画でね。
後々紀里谷さんと結婚する…あれに僕が出てて。
で、セットの裏でずっとキーボードで曲を作ってて。で、たまに話したりとかして。
で、今も仲良くしてますよ。子供連れてきたり。あの来日した時は連絡があってご飯食べたりとか。」
林「何でも過去に宇多田ヒカル号泣事件というのが起きたっていう噂を聞いたんですけど」
唐沢
「昔ミッチー(及川光博)と喧嘩してましたけど。ミッチーはね滅多に喧嘩しないです。
でもね、なんかたまに喧嘩してるときあるんですよ。
多分なんか口喧嘩みたいなものじゃないのかなと思います。
彼はそんなに怒鳴ったりはしないので。
理詰めでいろんなこと言ったんじゃないですか。それに頭来たんじゃないですか。
そしたらヒカルちゃんが「もう帰る」って言って。
「大丈夫か?」って言ったら、全然理由も分かんないまま。
でもまあ、喧嘩するほど仲が良いっていう。この2人も仲いいですからね。」
チャリティーイベントに夫婦で参加
林「あとは、チャリティーイベントにご夫婦で参加されて、それがYouTubeにアップされてる。
夫婦で参加している活動が、GO!GO!ラリーというクラシックカーで被災地を訪れ、地域を盛り上げるチャリティーイベント。実はこのイベント唐沢寿明さんが発起人となり、5年前から開催しています。
唐沢
「三谷幸喜さん(監督)の映画で『ラヂオの時間』って言うのがあったんですよ。
でそれに桃井かおりさんが出てて。
で、僕は同じシーンはなかったんですけど、打ち上げでお会いした時に「あなたもう俳優で成功したって自分でもし思ってるんだったら、なんか今度はね人のために何かやりなさい」と言われて。
それがずーっと頭の中に残ってたんですよ。
じゃあなんかチャリティーみたいな感じで、何かできないかな?っていうのが出発点だったんですよ。
最初は東北の人たちがもうみんな、例えばその地震が起きたすぐあととかは、芸能人でもマスコミの人でも山ほど来てくれたのに、途中から誰も来なくなってね。
なんか忘れられたんじゃないかと寂しいんだよねって話を聞いて。
で、その時に奥さんに話をしたら、「あのそういう意味でやるんだったら、隣(助手席)に乗って(座って)もいいよ」という所から始まって。
今はもう本人が楽しんじゃってますけどね」
人のためになることが、自分の楽しみ。
こう唐沢寿明の周りにはいつも彼を慕う多くの人が集まるのだ。
映画「九十歳。何がめでたい」 2024年
現在公開中の唐沢寿明出演の映画『九十歳。何がめでたい』
100歳の直木賞作家佐藤愛子さんのベストセラーエッセイを実写化し、女優草笛美津子さんが邦画史上最高齢の90歳で主演を務めた。
林
「草笛光子さんが主演を務めるという事が、唐沢さんが出演するきっかけになったというのはどういうことですか?」
唐沢
「お話しいただいた時に、草笛さん主演でっていう事で、え?って。
90歳で主演やられるというのは(邦画史上)初めてのことらしいんですけど。
利家とまつの時に草笛さん出ていらしたんですけど、あまりなんかこう、一緒のシーンってそんななかったんですよね、実際は。
でもなんかその後に色々テレビ局だとか、いろんなところでお会いすることがあって、挨拶したりとか、少し話したりすることが結構あって。
僕は好きだなと思って。
じゃあ、自分でいいんだったらやろうかなっていう。
自分のためにはやらないんですよ。
誰かのためにっていう方がやりやすいんですよね。
頑張れるっていうか。」