1993年 ドラマ「振り返れば奴がいる」織田裕二主演 最高視聴率22.7%
1994年 ドラマ「古畑任三郎」主演 田村正和 最高視聴率28.3%
その他 脚本を担当した大河ドラマ 3本 真田丸、鎌倉殿の13人
三谷幸喜さんの舞台でのイタズラ
俳優さんが好き 俳優さんのいい所をみんなにも伝えるのが使命
林修
「このコーナー始まって3年半たちまして、様々な俳優さんに出ていただいたんですけれども。
いろんな方のお話を伺ってると、三谷さんは多くの役者さんに愛されてるなと思う瞬間が何度もありまして。
多くの方が、三谷さんの作品に出られた時のお話を楽しそうになさるんですけれども」
三谷幸喜
「僕はやっぱり、まず俳優さんが好きだから。
自分に出来ることはこの俳優さんの良い所をなるべく僕が早く見つけて、僕しか知らない彼の良さ、彼女の良さをみんなにも伝えるっていうのが僕の使命みたいなところもありますから。」
イタズラは舞台におけるカンフル剤 信頼してるからできる
林修
「まあ、ほんとにその、三谷さんを愛する声が聞こえてくる一方で、いたずらを仕掛けられて困るというクレームもいくつか届いてまして。
まあ、今、意図等ご説明していただければ」
三谷幸喜
「これはですね。まあ、これは全部舞台ですからね。
あのー舞台やってると、どうしてもこうなんだろうな、停滞する時期があるんですよ。
同じ台本で、同じ演出で2週間、3週間やってくと、どうしてもちょっとこう盛り上がりが薄くなるっていうか、予定調和になりがちなんですよね。
そんな時にやっぱり僕は、そこに起爆剤を投入したいっていう風に。
それがね、いいカンフル剤になってくる感じと僕は思ってはいる」
林修「ただ、実際大泉洋さんは、そのせいでセリフかんだっておっしゃってましたよ」
三谷幸喜
「だから、それはアイツが悪いんですよ。僕はガッカリです。
あのーなぜかっていうと、これをこのいたずらをやるのは、僕が信頼しているから。
絶対崩れないと思ってる俳優さんにしかやらないんですよ。
やっぱ例えば初舞台ですごい緊張してる人に、ちょっとちょっかいとか絶対出さない。
基本的に、まず芝居が崩れたらそれはもう意味がないから、やっちゃいけない事なんだけども。
絶対崩れないってわかった上で僕はいたずらをしてるのに、大泉洋さんはセリフを噛んでしまった。
もう僕の信頼を裏切った。」
林修「ありえないですね」
三谷幸喜「ありえない」
林修「それは大泉さんが悪いですね」
三谷幸喜「もう2度とコイツとは仕事したくないと思いました。注意しました。もう2度とやるなよって」(笑)
中井貴一さんが目撃した三谷幸喜さんのイタズラは…
舞台の小道具だったリンゴをバナナにすり替えた
三谷幸喜
「これは寺脇(康文)さんが、彼はゴーギャンの役だったんですよ。印象派の画家の話で。
果物を置いて、絵を描くシーンがあったんだけれども。
そこで本来はリンゴの絵を描かなきゃいけなかったのに、僕がある日ちょっとそれをバナナにすり替えたんですよ。
リンゴを最後寺脇さんがかじった所で暗転するっていうタイミングだったので、これバナナだったらどうするんだろう?っていう。
剥くのか?剥かないのか?いや、でもタイミングあるしな。
まあ、僕信頼関係ですよ。寺脇さんなら何とかすると思ったんで。
そしたら寺脇さんはいつも通りにリンゴを掴むタイミングでバナナを掴んで、あむって皮ごとかじってました。
なかなかヤル男だなと思いました」(笑)
まず「俳優さんありき」で作品を作る…「この俳優のあれが見たい!」を映像に
「面白い」と思ったら自分でもやってみる。
そして脚本家となった今では俳優たちを相手に、自分が面白いと思うもの、見てみたいものを作品として表現している。
①映画「ザ・マジックアワー」…上下運動する佐藤浩市さんが見たい!
例えば名優佐藤浩市には…
三谷幸喜
「佐藤(浩市)さん見て、佐藤さんの動きとか総合的な彼の役者としての存在を見たときに、まず絶対彼がやらない動き何だろう?って考えて。
まあ、上下運動だなと思ったんですよね。見たことが無いと。
で、じゃあどうやって上下運動させようかと思って、まあトランポリンがあるなと。
ただ佐藤浩市がトランポリンでこう上がったり下がったりするっていう状況って、どういう状況なんだろう?っていう所から、その前後の話を考えて。
で最終的に『ザ・マジックアワー』という物語ができたんですよ」
林修「え?最初に上下運動ありきですか?」
三谷幸喜「そう。そっからです」
佐藤浩市に上下運動をさせたい。その想いから、映画『ザ・マジックアワー』を作った三谷。
あの俳優のこれが見たいを実際に世に送り出しているのだ。
②映画『ステキな金縛り』…西田敏行さん&深津絵里さんの絵が浮かぶ&タップダンスする阿部寛さんが見たい!
林修
「三谷さんと言えばそうそうたる俳優陣の皆さんに、とても面白い芝居をさせてしまうっていう印象もあるんですけれども」
三谷幸喜
「あの、西田(敏行)さんの落ち武者も。
これは深津絵里さんが旅館で寝てて。それもイメージですけれども。
で、なんか眠れない夜があって、パッと目を覚ましたら、目の前に西田(敏行)さんの落ち武者が乗っかってきてた。
で、しかも彼の息が臭いっていうのを、パッと浮かんだんです。そのシーンが」
林修「そのパッと浮かぶは、もうそれはそのいきなり出来上がったものが浮かぶわけですか?」
三谷幸喜
「絵として浮かんだんですよ。もうほんとにその浮かんだ瞬間も覚えてるし。
公園で犬の散歩してる時だったんですけれども。もうなんか浮かんだんです。
このシーンはどういうシーンなのか?まあ、見たことのない映画のワンシーンだったから。
じゃあ、この前後ってどんな話なんだろう?っていう所から(映画)『ステキな金縛り』が出来あがった」
林修「それであれだけの話が出来上がったんですか?」
三谷幸喜
「そうなんですよ。そういうのって多いんですよ。だいたいそんな感じ。まず俳優さんありきです」
林修
「落ち武者から始まったこの「ステキな金縛り」で、阿部寛さんのタップダンスっていうのは、そこはどうつながったんですかね?」
三谷幸喜
「阿部さんのタップダンスは、阿部さんとお会いしてお話をさせていただいた時に、なんか躍らせたいと思ったんですね(笑)。
まず、とにかく手足が長いから。
で、体も大きいから、すぐダイナミックに踊るんだろうなっていうのは想像がついたんですよ。
で、決して器用な方ではないので、この阿部さんが必死になって踊ってる姿っていうのは絶対面白いと思ったのが1つと。
もう1つは、これは法廷劇なんですけども。
で、阿部さんは弁護士なんだけど、法廷で1番ふさわしくない動きはなんだろうか?って考えたときに、タップダンスだなっていうのを思いついたんですよね。」
阿部さんのタップダンスは、弁護士が法廷で時間稼ぎをするシーンとして実現。
③映画『ギャラクシー街道』…ハンバーガーを食べる綾瀬はるかさんが見たい!
三谷幸喜
「あれもそうだ。綾瀬(はるか)さんもそうです。
綾瀬(はるか)さんと長澤まさみさんってすごく仲良しなんですよね。
で、長澤さんから、「1回綾瀬さんがハンバーガー食べる所を見てほしい」って言われたんですよ。
ものすごく美味しそうにたべるって。あんなに美味しそうに食べる人類はいないって推薦されたんで。
そっからですね。じゃあ、綾瀬さんがハンバーガーを食べる瞬間をとにかく映像に残したい。
そんなにいいって言うんだったら。
じゃあ、どんな話がいいか?っていう所から、全体が見えてきたっていうのもあります(映画『ギャラクシー街道』(2015年))。
ハンバーガーって何となくイメージでいうと、あーっとかぶりつく感じ。
じゃないんですよ。ウサギのように食べる。
ほんとそれが幸せそうなんですよね。」
綾瀬はるかさんがハンバーガーを微笑みながら食べるシーンがなんと12秒以上も。
この俳優のこれが見たいという強い思いが、三谷幸喜の創作の出発点。
そこから物語の設定を作り、ストーリーを膨らませて、唯一無二の三谷作品が生まれるのだ。
一番楽しい瞬間はキャスティングしている時
そんな稀代の脚本家三谷幸喜が仕事の中で最もワクワクする瞬間とは?
三谷幸喜
「例えば映画ってそのー企画を立ててから、台本を書いて、役者集めて、クランクインして、でクランクアップして、それから編集して、宣伝して、公開してっていう長―いプロセス。
2年ぐらいありますよ。
その中で、一番楽しい瞬間は何かって聞かれたら、キャスティングしてる時ですね。
もう、ワクワクしますもん。」
林修
「この本でもこの間の大河「鎌倉殿の13人」。岡本信人さんがキャスティングされるときのお話し書かれてましたけど」
三谷幸喜
「とにかく鎌倉殿のときは、あの御家人って結構お年寄りが多いんですよ。
特に最初の段階でね。
みんな鎧着けて戦に出たりするから、本当のお年寄りだと最後まで持つかっていう不安もあるじゃないですか。
だから、年寄りに見えるけれども、意外に元気な俳優さんっていう人をみんなで探したんですよ。
で、誰かいないかな?って思った時に、たまたま僕が日曜日の夜に、ダウンタウンさんの「ガキの使い」を見ていたら、なんか草野球の回があって。
そこで岡本信人さんがものすごくハツラツとやってらっしゃったんですよ。
「あ、そうだ。岡本さんがいた!」。
それで、次の日御家人の中に岡本さんを入れてほしいっていう話をさせていただきました。
だからもう「世の中の人は、岡本信人の何を知ってるんだ!」って言いたくなりましたよ。
最近なんかちょっと雑草を食べるっていうので割と話題になったんですけども。そんな人じゃないんですよ。岡本さんは」
(スタジオで…)
俳優 山本千尋
「鎌倉殿の13人」に暗殺者・トウ役で出演し、ブレイクした。
今では三谷作品の常連。
山本千尋
「まず出会いからして、私結構不思議な出会いで。
まだ上京したてのときに、同じ電車の同じ車両に三谷さんがいたんですよ。
で、すっごいジッと見てくる人がいるなと思って。
で、私も女優業とかまだあんまりしてない時期で。
で、三谷さんの作品に初めて出させていただいた時、オーディションがあったんですけど。
4年後とかなんですけど、(三谷さんが)「電車で会ったんですけど、覚えてますか?」って言われて。
私は「そうですよね」って言っちゃったんですけど、覚えてなかった」
澤部佑
「でも、なんかそういう運命というか出会いでキャスティングされる方なんですよね?
ってよく聞きますよ」
三谷のこだわりの演出は、キャスティングだけでなく、時にナレーションにも及ぶ。
実は理系の頭脳を演出にも活かしているらしく、著書(三谷幸喜創作を語る)でこう語っている。
『僕は99%を理詰めで創る。それは1%の破綻を魅力的にするため。
それまで理詰めでやってきたからこそ、破綻したシーンが輝く』
突拍子のない思い付きであるほど、面白さを伝える方法は理詰めで考え、計算し尽くす。
これが多くの人々を楽しませるエンターテイナー三谷幸喜演出の真髄なのだ。
53歳の時長男が誕生
父親がいなかった…父親であり叔父であるように子供に接する
そんな彼の人生最大のターニングポイントとなった出来事。それが…
2014年53歳になる歳に長男が誕生。
これをきっかけに、自身の作風に大きな変化が現れることになる。
林修「ご自身では、自分はどんな父親って認識されてるんですか?」
三谷幸喜
「僕にとっては、その振り返ってみると、父親がいなかった分、その叔父がいっぱいいたんですよね。
で、母親の兄弟ですけども。
そのー叔父さんて、すごくなんか面白いじゃないですか。
世の中の悪いこととか危険なこととか、よこしまなこととかを全部教えてくれる存在みたいな感じがちょっとあるんですよ、叔父さんて。
こうすごく愛を注いでくれるけれども、責任が無いからちょっと自由度が高いみたいな。」
林修「ちょっと無責任な悪いことも教えてあげようと」
三谷幸喜
「そうなんですよ。そういう存在をスゴク僕は感じて。
そばにずっといてくれたっていうのはあるので。
もちろん、父親ではあるんだけども。
で、彼には叔父がいないので。
どっちかっていうと、叔父さん的なポジションも自分が担っていくべきなのかな?って勝手になんか思ってまして。
なんか、父親であり叔父であるみたいな、なんかそんなイメージで接してますね」
幼少期に感銘を受けたものを息子にも教える
三谷幸喜
「息子は僕が53の時にできた子なんで、まさか自分に子供ができるなんて思ってもいなかったですから。想像もしなかったんで。
で、僕父親が割と早い時に他界したので。父子っていうのにあんまりイメージがないままここまで来てたのに、突然父親になったもんですから。
やっぱ可愛いし、すごく異文化みたいな感じですよね。
すごい色んな体験をさせていただいてます。」
林修「でもずっと読み聞かせをなさってたって、この本にも書かれてて」
三谷幸喜
「なんか、あのーまあそれを英才教育というのかどうか分かんないですけども、僕にしてあげられることはやっぱり全部してやろうっていう風には思っているので。
その僕が子供の時に、感銘を受けたもの、影響を受けたもの、面白いと思ったものを彼に教えてあげる。
まあ、それを彼が面白いと思うかどうか、また別の話なんですけれども。
ムーミンであったりとか、ドリトル先生であったりとか、宝島であったりとか、そういうこうワクワクする物語を全然字が読めない頃から、読み聞かせして。
ずっといまだにやってますけどね」
2014年に自身が父親になるまでは、作品の中で親子の関係をほとんど描いてこなかった三谷幸喜だが、2016年に放送された大河ドラマ「真田丸」では、なんと26組もの親と子を登場させ、様々な親子関係を描いている。
父親になり、親の気持ちを知ったことで、さらに作品の幅を広げているのだ。
平野レミさんが語る普段の三谷幸喜さん
平野レミ
三谷幸喜と親交が深く、三谷が好みの女性だと言っている
三谷幸喜「好みの女性って言うとおかしい。理想の女性」
平野レミ「もっといいじゃない。理想の女性!どうしよう。どこが理想なの?」
三谷幸喜
「僕、昔(平野レミさんの)ご主人の和田誠さんのエッセイを読んだときに、和田さんが奥さんの話を書かれてたんですよ。
で、もうほんとに。
「料理が大好きで明るくて。で、一緒にいて楽しい」みたいなのを書かれててね。
しかもその和田さんのイラストが、そのレミさんの絵がね、すっごくジュリー・アンドリュースみたいなものすごい可愛かったんですよね。
その時に僕は「僕もこんな人と結婚したいな」って中学校の頃かな?思ったんですよ。
実際お会いしてみると、ちょっとイメージ違ってましたね」(笑)
平野レミの夫。イラストレーターであり、映画監督の和田誠は、三谷幸喜が子供の頃から憧れていた人物。
三谷の本の表紙を和田に描いてもらい、平野レミとの付き合いも約30年になるという。
林修
「あの、レミさんがご存じの三谷さんのプライベートの姿をちょっとご紹介いただきたいんですけれども」
平野レミ
「あの、身なりは全然気にしないの、いつも。ズルズル。
スーパーで買い物したりとかさしてる時なんかさ、ズルズルでしょ。
頭の毛もあんな風にね今日みたいにキッチリこっきりやってないの。
何しろね、三谷さんは素晴らしい人なの。
ちょっと三谷さん聞いて!私さ、大変なの。
ずっとずっとずっと前にさあ、伊丹十三さんと黒澤明さんと両方からさ、女優やってくれって私の所に言ってきて。
冗談で、あるわけないしさ、断りましたけどね。
三谷さんだけよ、言ってこないの」
22歳で劇団を立ち上げたのがこの世界のスタート
そんな三谷幸喜のエンタメ人生のスタートは、22歳日本大学芸術学部在学中に立ち上げた劇団・東京サンシャインボーイズ。
西村まさ彦、梶原善、相島一之、小林隆など今では名プレーヤーとして活躍する俳優が数多く在籍していた。
三谷幸喜
「来年劇団が30年ぶりに再結成してやるんですけれども、よくまあみんな役者としてね、今までずーっと頑張ってきたなっていうのはありますね。
すごい大スターがいるとかではないけれども、みんなきちんとやっぱ(芝居を)続けてこられた。
それだけの力を持った人たちが集まった劇団なんだなっていうことを改めて思いましたけどね。
この間、こう集まって結成式みたいのをやったんですけども」
舞台のように作られた映画『スオミの話をしよう』
舞台で育ち、舞台で役者を愛してきた。
そんな三谷の舞台への愛が表れたのが長澤まさみ主演映画『スオミの話をしよう』。
実はこの作品、映画でありながら舞台を作るように作ったという。
1か月舞台と同じように稽古
三谷幸喜
「まあ、すごく舞台のような映画を作りたいと思ったんですよ。
で、実際に俳優さんも1か月近く舞台と同じように稽古して。
で、芝居を作ってって、それでクランクインするっていうのもあったし。
今この瞬間、この現在の長澤まさみさんが1番輝く映画を作りたいなっていうのがまず出発点であったんですよ。」
この作品で主演の長澤まさみが演じるのは、5人の男性と結婚した女性スオミ。
長澤まさみ
「スオミという女性は、人によって印象が違うという女性で。対峙する人によって、違う女の人に見える」
この5人の夫の前でキャラクターが変わるという設定。
実は三谷の実体験をもとに作られたという。
三谷幸喜
「ま、これって割と皆さん、あるあるの体験だと思うんですけれども家族の中で自分のその個性・キャラクター。
自分のことはパパという時もあるし。今日は僕ですけれども、僕って言ってる。でも、今度仕事場の人と会う時は、またそれとは違うキャラクターを自分で作っていて。
だけども、ある時家族と仕事上の付き合いの人が両方同時に僕の前に現れたときがあって。
そん時に、あれこれ僕は今どっちのキャラでいけばいいか?と思った瞬間があったんですよ。
多分そういうことってありますよね。
その時に、あ、僕はじゃあどっち側のキャラでいこうかって悩んで、結局曖昧な第3のキャラになってしまったんですけど。
その時に、これってちょっと面白いなと。
スオミっていうのは5回結婚してるんですけども、それぞれの旦那さんの前で、彼女は違うキャラクターを演じてきてたんですよ。
そんな彼女がある時、5人の旦那さんの前にでなきゃいけなくなったら、どうなるんだろうっていうとこから、物語を作ったって感じです。」
日常の何気ない瞬間に、面白みを感じながら、名作と言われる作品をいくつも生み出してきた三谷幸喜。
(スタジオで…)
八木亜希子(映画「みんなのいえ」出演)
「もうすぐ60になるんだけどっていうタイミングの時にお話ししたと思うんですけど。
「もうすぐ60になるんだけれども、この先、生きてる間にいくつ自分が書きたいと思っている作品を残せるかって思うと焦る」っておっしゃってたんで。
次から次へと多分、書きたいものが溢れてるんだと思いますよね」
原動力は「期待に応えたいという想い」
しかし、そんな奇才・三谷幸喜にも創作の苦悩があった。
「一番つらい瞬間は何かっていうと、クランクイン前の台本を書いてる時ですね。
理想のキャスティングができたのに、それで完成台本を作らなきゃいけないっていうそのプレッシャーもあるし。
みんなにね、やっぱり満足してもらいたいっていう本を書かなきゃいけないっていう時の、しかもそれは誰の助けもなく、一人でやんなきゃいけない。
なんかそれは本当にしんどい時間ではありますね。
これだけやっててまだ慣れないっていうか。
書き始めるまでのなんかこう嫌な気持ち。
「またあの思いをまた繰り返すのか。やだなーやだなー」と思いながら書き始めるっていう。」
林修「先に喜びがあることは分かっていても…」
三谷幸喜
「分かってるんだけども、そうなんですよね。いまだにそんな感じ」
それでもなお、三谷幸喜は新しいものを生み出すことに挑み続けている。
一体何がそこまで彼を突き動かすのか?そこには熱い想いがあった
三谷幸喜
「僕はあのー自分のやりたいことをやらせてもらってる反面、発注を受けての仕事なんですよね。
その期待にはやっぱり応えなきゃいけないっていう想いは常にありますよね。
だからそれは、プロデューサーとの関係性でもあるし。
俳優さんたちも僕を信頼してこの仕事を受けてくれたわけで。
やっぱりそれには応えなきゃいけないし、それで下手なものは作れないし。
だからそれが逆に、僕のモチベーションになってる気もしてますね。」
林修「そういう大きな期待に応えることが一番原動力になると」
三谷幸喜
「もうすべてそうですね。
あのー林先生にこうやって呼んでいただけるのも、これでねあんまり盛り上がらないで番組終わっちゃったら、本当に悲しいし悔しいし。
だからまた呼んでいただけたらすごく嬉しいし。
たぶんまた次も来ると思いますけれども」
林修「ぜひぜひ。お待ちしております」
仕事には辛さや苦しみはつきもの。
しかし、人々に喜ばれ、自分が必要とされていると感じること以上の幸せはない。
それこそが脚本家三谷幸喜の原動力なのだ