【日曜日の初耳学】プロフィギュアスケーター宇野昌磨選手(2024年10月6日放送)

今年(2024年)5月 現役を引退
第2の人生を歩み始めたカリスマ

2018年平昌オリンピックで銀メダル
2022年北京オリンピックでは銅メダル
さらに世界選手権では日本では初めて2連覇を達成

 

  1. 林修先生との意外な関係
    1. 林先生のファンでサインを貰った過去
  2. 2024年 26歳で現役を引退
    1. 憧れたスケーターの引退で熱量が減り…
  3. 追いかけた羽生結弦さんの背中
    1. 自分とは正反対 理想のアスリート像
    2. 羽生結弦さんの真似をしたこともあるが、うまくいかず…
  4. 宇野昌磨さん普段の生活
    1. 練習以外は、好きなように過ごす
    2. 野菜が嫌い。全然食べない
  5. 浅田真央さんと出会いスケート人生がスタート
    1. 引退について浅田真央さんに相談
    2. スケートを始めるきっかけは浅田真央さんとの出会い
    3. 浅田真央さんが見た幼少期の宇野昌磨さん
  6. 平昌オリンピック銀メダル
    1. 全選手がベストを尽くしたとき自分は1位にはなれない
    2. ベストの演技ができれば金メダルが獲れる!しかし…
  7. ジャンプに苦しめられたスケート人生
    1. 浅田真央さん 「ジャンプに苦戦していたが、諦めずに練習を続ける姿」
    2. 1つのジャンプが4~5年跳べなかった…1日中跳ぶ練習を続ける日々
    3. 1度諦めたことが、ジャンプを跳べたきっかけに
  8. 小さい頃から週7日練習 「休むことが怖い」
  9. 世間知らず?宇野昌磨伝説
    1. 伝説①高校生まで電車に乗れなかった(電車の乗り方が分からなかった)
    2. 伝説②敬語が全く使えなかった
  10. 引退後の生き方
    1. 解説者はやってみたい?
    2. アイスショーで演じたルフィ…自分とは180度キャラが違い…
    3. 浅田真央さんから心配なタレコミ
  11. 最後に…現在はやりたいことをやる日々に

林修先生との意外な関係

林先生のファンでサインを貰った過去

林修と宇野昌磨選手は同じ名古屋市出身
実は意外な関係が…

林修
「覚えてらっしゃいますかね?
知り合いの方が間に入る形で、とっても有望なスケート選手がいるので、サインをお願いできないかって僕に頼まれて
それで、その人を通じて(サインを)お渡ししたことがあるんですけど」

宇野昌磨
「覚えてます。その、小さい時からすごいテレビ番組で林先生のこと見ていて。
まあ、「今でしょ」っていう。
僕のお母さんの友人っていうか」

林修「それが僕の同級生なんですね」

宇野昌磨「名古屋の家にずっと飾ってます」

※色紙には…
宇野昌磨君へ
世界一!いつ獲るの?今でしょ! 林修』 と書かれている。

 

林修「宇野さんがこう(両手で色紙を)持ってる写真を送ってもらって」

宇野昌磨「ホントに当時すごく嬉しくて」

林修「今でも名古屋ご在住なんですか?」

宇野昌磨「自宅は名古屋で」

林修
「あ、そうなんですか。僕も自宅名古屋で、名古屋市民ですね、いまだに。
なんか、甘い物お好きだって?」

宇野昌磨「めっちゃ好きです」

 

2024年 26歳で現役を引退

今年(2024年)5月21年続けた競技人生から退くことを自身のSNSで表明。
実は26歳という若さでの引退には、ある憧れの人物の影響があったという。

 

憧れたスケーターの引退で熱量が減り…

林修
「まだ早すぎるんじゃないの?まだまだできるんじゃないの?っていう風に思ってたんですけれども。
まあ、ご自身の中ではもうやり切ったという思いの方が?」

宇野昌磨
「そうですね。ここ2年間くらい。
少し前に比べると、もっと熱量をもって現役に取り組めてた時があったかなっていうのが自分の印象でして。
羽生結弦さんとかネイサン・チェンさん(北京オリンピック金メダル)っていうもうほんとに僕よりずっと成績を出し続けた。
まあ、そういう選手と戦える選手になりたいっていうのが僕の一番のモチベーションで。

その2人が2年前、現役を退かれているので。
僕にとっては少しさびしさもありながら、ただ現役を辞めるという選択肢が僕にはなかったので」

林修
「ライバルというか、背中を追った人たちの引退ということも相まって、引退を決意されたと?」

ライバルたちが1人、また1人と競技を離れる中、宇野昌磨の中での熱も徐々に下がっていったという

※羽生結弦選手2022年引退 ネイサン・チェン2022年休養

 

追いかけた羽生結弦さんの背中

自分とは正反対 理想のアスリート像

林修
「羽生さんは今改めて振り返ってみると、どんな存在だったとご認識されていますか?」

宇野昌磨
「いつも「ゆづくん」って呼ばせてもらってるんですけども、ほんとに僕とはすごく正反対というか。
皆さんが思い描く理想のアスリート像
僕はもうずーっとゆづくんの背中を追いかけ続けて、スケート人生をずっと送ってきて、ここまで来れたっていう」

 

そんな彼のキャリアの中で忘れられない出来事
それは、20歳の時羽生結弦選手と共に出場した平昌オリンピック
この大会で宇野昌磨はオリンピック初出場ながら、銀メダルを獲得
そして、羽生結弦選手は、ソチオリンピックに続き、金メダルを獲得。連覇を達成した。

 

羽生結弦さんの真似をしたこともあるが、うまくいかず…

宇野昌磨にとって、ライバルであり、憧れでもある羽生結弦選手。
彼の練習スタイルに刺激を受けたこともあったという

 

林修
「勝手な印象ですけれども、羽生さんは普段からすごくストイックな方なんじゃないかっていう思いがあるんですけど」

宇野昌磨
「僕には絶対に無理って思うぐらい、ホントにストイックにスケートに打ち込まれていて

林修「だからやっぱり、羽生さんは宇野さんのお手本だったと?」

宇野昌磨
「いや、もうずーっと「ゆづくんのようにならなければいけない」って思う時期があったんですけれども。
まあ、それをもって試合に挑んだりしたこともあったんですけど」

林修「一度はそういうのを真似したこともある?」

宇野昌磨
真似したこともありました
食生活とかも気を付けて
試合が海外なので、めっちゃ早めに時差対策して。
しっかり練習…アップ、トレーニングっていうのを積み上げて試合に挑んだんですけど…。

もうなんか積み上げすぎて。なんか自分の中で期待が膨らみすぎて
そのちょっと失敗しただけで、落ち込みすぎちゃって。」

林修「なるほど。そこまで完璧に仕上げた故に?」

 

(スタジオで…)

ブラマヨ小杉「阿部君もいますか?なんかあの、追いかけてた憧れの先輩っていうのは?」

阿部亮平
「僕はですね、嵐の櫻井翔くん。
僕がちょうどグループのこととかでデビュー前に悩んでた時だったんですけど。
(上智大学)大学院を自分で卒業した時に、腕時計を下さって。
で、今日も付けてきてます。大事につけてます」

 

 

宇野昌磨さん普段の生活

練習以外は、好きなように過ごす

羽生結弦選手は、表情以外でも練習の反省点をノートに記録したり、1日の食事を徹底的に管理するなど、ストイックぶりをみせている。

一方、宇野昌磨は…
練習以外の時間は、大好きなゲームに没頭し、寝るのは深夜3時からと夜型スタイル

宇野昌磨さん1日のスケジュール
朝10時~13時半 朝食、練習など
13時半~19時  自由時間:ゲームなど
19時~23時   本番演技インタビューなど
23時~3時   自由時間:ゲームなど
3時~10時   睡眠

まさに、ストイックとは正反対の生活。

宇野昌磨
「自分にとっては、プレッシャーを与えてそれを乗り越えるっていうのがちょっと難しいなって思ってから、割と好きなだけゲームして、好きなだけ食べて、好きなだけ寝て
まあ、スケートは頑張るって感じになりました」

 

野菜が嫌い。全然食べない

林修
「好きなもの食べてっておっしゃいましたけど、結構食事が偏ってるっていう噂は広まってまして」

宇野昌磨「はい。好きなものを割と好きなだけ食べてますね」

林修「なんか、いろんな映像見ても、とにかくいつもお肉召し上がってますもんね?

宇野昌磨「そうですね。野菜が嫌いなんです、メッチャ」

林修「野菜は、どのくらい召し上がるんですか?」

宇野昌磨「いや、全く食べないです」

林修「でも中には、野菜食べなきゃダメだよ」ってこう言ってくる人もいるんじゃないですか?」

宇野昌磨
「小さい時はありました。あのーまだ僕が成績を出す前は。
ただ、成績出してしまうと、何も言われなくなりますね。(笑)
「いや、そういうやり方もあるんだね~」ってなりました」

 

18歳の頃から、人に何を言われても自分が信じるスタイルを貫いた。
その結果、オリンピック2大会連続(平昌・北京五輪)メダルや世界選手権2連覇という偉業を成し遂げた。

 

浅田真央さんと出会いスケート人生がスタート

引退について浅田真央さんに相談

林修「引退に関しては、誰かに相談されたんですか?」

宇野昌磨
「基本的に自分で判断して、自分で決断するっていうのが全てなんですけれども。
浅田真央さんにも、そのー今後のスケートとどう向き合っていくかっていうことを一度だけ相談させていただいたこともありましたし。
もちろんその、それ以外の方にもたくさん相談はさせていただきました」

林修「真央さんに相談された時、どんな返事が返ってきたんですか?」

宇野昌磨
「自分がやりたい道っていうのは、自分で選んでいくべきだと思うし、フィギュアスケートっていうのは、引退した後も色んなことができるからっていうところでも、そういう助言をいただきました。

沢山大きなプレッシャーを抱えながら、現役を続けてきた浅田真央さんにそう言っていただけたっていうのは、すごいやっぱ心が軽くなりましたね」

 

スケートを始めるきっかけは浅田真央さんとの出会い

実は、浅田真央はフィギュアスケートを始めるきっかけとなった人物

宇野昌磨
大須スケートリンクに遊びに行ったっていうのが始まりだったんですけど。
まあ、遊びに行く間に、浅田真央さんがフィギュアスケートの練習を行っていて。
休憩時間とかに僕とすごい遊んでくれたんですね。(宇野昌磨5歳、浅田真央12歳の頃)」

 

浅田真央さんが見た幼少期の宇野昌磨さん

浅田真央さんがVTRで登場

浅田真央「昌磨~元気ですか~」

2人の出会いは、浅田真央が小学6年生(12歳)、宇野昌磨が5歳の時。

その第一印象は?

浅田真央
かわいい~って思いました。はい。まだスケートを始める前で。
私はもう練習本格的に選手としてやっていたんですけど。
その当時は、一般のお客さんとすべっていて。
で、そこに昌磨がもうステンステン転んでも楽しそうに滑ってる姿とか見て。
その時は幼稚園だったので。昌磨がすごくちっちゃくって。
まだフェンスから頭が出てないぐらい。声もなんかすごい高くって。
「真央ちゃん 真央ちゃん」って言ってて。
とにかく可愛かったの覚えてます」

当時5歳の宇野は、フィギュアスケートだけでなく、アイスホッケー、スピードスケート。
どの道に進むべきか迷っていた。そんな時…

浅田真央「「フィギュアスケートにおいでよ」ってはい、言ったのを覚えてます」

と、浅田真央からの誘いを受け、フィギュア選手としての人生がスタート。

スタッフ「そのちっちゃい頃の印象に残っている出来事とかってありますか?」

浅田真央
いっつも泣いていました。もう、できないと泣いてたし。転んでも泣いてたし。お母さんに怒られても泣いてたし。
あの泣き虫だったのは、すごい覚えてるんですけど。
私が誘った身としては、やっぱり昌磨が泣いてたりとか、怒られてたりとかすると、「ああ、誘っちゃったしな…」とか思いながら。
世界で活躍できるようなスケーターになってほしいなっていうのは、常に思ってました」

 

平昌オリンピック銀メダル

浅田真央の願い通り、泣き虫だった少年は15年後…
オリンピックで2大会連続メダル獲得(平昌オリンピック・北京オリンピック)。
世界トップのフィギュアスケーターになった。

 

全選手がベストを尽くしたとき自分は1位にはなれない

林修
「まあ、やはり2018年の平昌。あの、羽生結弦選手とワンツーフィニッシュだったと思うんですけれども。
銀メダルっていう結果について、今どう思われてますか?」

宇野昌磨
「いっつも試合前に思っているんですけれども、全員が実力を発揮した時に、「自分は今何位になるかな?」っていうのを何となく想像するんですね。
で、僕は1位には絶対になれないって分かっていたので。その全員がベストの演技をしたときに。
やっぱりフィギュアスケートって直接人と戦うわけではないので。
各々がベストを尽くしたときに優勝できる存在になりたいっていうのが、僕の小さい時からの目標ではあったので」

 

ベストの演技ができれば金メダルが獲れる!しかし…

それぞれがベストの演技をしたとき、自分は1位にはなれない。

しかし、平昌オリンピックではその状況が違っていた。

日本代表は、羽生結弦、宇野昌磨、田中刑事。さらに、アメリカ代表ネイサン・チェンやスペイン代表ハビエル・フェルナンデスなどそうそうたるメンバーがメダルを狙ってたのだが…

初日。宇野昌磨はショートプログラムで難度の高い技をいくつも決め、3位につけていた。
そして2日目。フリープログラムでは最終滑走者だったのだが、この時宇野昌磨が思ったことは…

宇野昌磨
「皆さんの演技を見て最終滑走だったので。
僕が自分のベストの点数を出せば、優勝できるって分かっていて

1位、2位の演技を見て、自分の演技をノーミスで終えれば、憧れの羽生結弦を超え、金メダルに届く。
そう考えた宇野だったが、その最終滑走…最初の4回転ループで転倒

林修
「あれは今でも覚えてますけど、もう始まって早々の4回転ループで転倒されて。
あの転倒された時の気持ちって覚えてらっしゃいますか?」

宇野昌磨
「いや、覚えてます。そのー「全部成功させたら優勝できるのかなぁ」って思いながら、ちょっとニヤニヤしながら1つ目のジャンプいって。
もう取り返しつかないくらいバチンってコケて。
いや、ほんとになんか笑いがこみ上げるぐらい「うわ、ホントに世の中って甘くないんだな」っていうのを思いながら、切り替えて次にいきました」

 

ジャンプに苦しめられたスケート人生

ジャンプで転び、惜しくも金メダルに届かなかった平昌オリンピック。

実は宇野昌磨はスケート人生の中で、このジャンプに常に苦しめられてきた。
幼少期から見てきた浅田真央はそれに気づいていた

浅田真央さん 「ジャンプに苦戦していたが、諦めずに練習を続ける姿」

浅田真央
「子供の頃から、あのー表現とかそのパフォーマンスの部分に関してはすごい上手だなっていう風に思ってたんですけど。
結構そのージャンプには苦戦してたイメージがあって。
私の記憶の中では、なかなかアクセルが跳べないっていう時期があったと思うんですけど。

もうすごい大きなコケ方をしても、まあ恐れることなく、あきらめずに、誰よりもリンクにいる。長い時間滑るっていうのは…やっぱ練習の鬼と言っていいほど。
もう諦めないからこそ、トリプルアクセルもそうですし。4回転もそうですし。
とべたんじゃないかなと思ってます」

 

1つのジャンプが4~5年跳べなかった…1日中跳ぶ練習を続ける日々

なかなかジャンプが跳べない時期があった宇野昌磨さん。

宇野昌磨
「僕は小さい時、すごくジャンプに苦労したんですね。
ホントに1つのジャンプにもう4~5年跳べないままかかるっていう時もありまして。」

林修「それ書いてありました。ダブルアクセルも5年かかったって」

宇野昌磨
「そうですね。ダブルアクセルとトリプルアクセルっていうその2つのジャンプにほんとに時間がかかって。すごく悩まされてましたし。
今振り返ると、よくその年月諦めずに毎日「今日は跳ぶぞ」って思いながら続けたなって思います

浅田真央の代名詞でもあるトリプルアクセルは、前向きの姿勢から片足で踏み切って跳び上がり、そのまま3回転半して、もう一方の足で着氷するという難度が高いジャンプ。

これを成功させるため、宇野は現役時代、2時間で100回以上も跳ぶ練習を1日中続けていた

宇野昌磨
「もうこれが僕のスケートで苦労した出来事でした。
もう僕は絶対にこの先跳べないんじゃないかって
だから、いま小さい子がトリプルアクセル跳べないってなってる子もいると思うんですけれども。
コーチたちは結構僕を引き合いに出して。

「あの宇野昌磨くんでも5年跳べなかったから」って言われるぐらい、もう毎日練習してるのにずっと跳べないっていうのが、当時は大変でしたね、かなり」

 

1度諦めたことが、ジャンプを跳べたきっかけに

林修
「トリプルアクセル跳べない状態から跳べるようになる時、どこをどう変えて跳べるようになったんですか?」

宇野昌磨
「えっと僕は、1回諦めたんですね。
そのトリプルアクセルを跳ぶことをもう諦めて
練習をトリプルアクセルをやめて
で、半年くらい経ったときに、「久々にやってみようかな」っていう感じでやったら、着氷することができて
だからなんか、努力っていうものが大事っていうのは、まあ今でも思ってはいるんですけれども。
ただ、その努力の仕方。
努力している自分に満足してしまったら終わりだなっていうのをすごく思いました。

一度諦めるっていう行動が、自分が勝手に作ってた壁を乗り越えるきっかけになったと思います。
たくさん努力することがむしろ壁になってしまっていたというか。

もう努力の仕方
(努力)することだけがいいことではないって気づけたのが、後にやっぱ自分のスケート人生にも活きたかなとは思います」

 

一度目標から離れ、ジャンプへの向き合い方がリセットされたことで、宇野昌磨は5年の歳月をかけ、トリプルアクセルを完成させた。

「正しい方向で努力をする」ことの大切さ。

これを学んだ結果、彼は苦手だったジャンプを克服し、2016年には公認大会で初めて「4回転フリップ」ジャンプを跳び、男子フィギュアスケート選手として、ギネス世界記録に認定されるまでになった。

 

小さい頃から週7日練習 「休むことが怖い」

幼少期、身体が弱かったという昌磨少年。
そこで体を鍛えるために5歳から始めたスポーツがアイススケートだった。
そこから、浅田真央に誘われ、フィギュア漬けの人生がスタートしたのだが…

林修
「ホントにあのー小さい頃からずっと、この家とスケート場の往復の生活だったんですか?」

宇野昌磨「そうですね、はい。」

林修「週何日ぐらい練習されてたんですか?」

宇野昌磨
「あ、週7(日)でした。休みなしでした。
もうそれで生きてきたんで。その、休むことが怖くて
その、1日氷のらなかった時の、その次の日の練習が上手くできるかな?っていうその心配で、休めなかったです、全然」

毎週土日の練習に加え、平日も学校を早退して12時から練習とスケートに没頭する日々。

 

世間知らず?宇野昌磨伝説

とにかくスケート漬けの生活。
そのため、ちょっとした弊害が…

林修
「スケートにとことん打ち込んだ生活をされてきて。
逆になんかこうスケート以外のところで、少し自分が抜けてるなっていうような思いはお持ちなんですか?」

宇野昌磨
「まあホントにもうスケートだけをやってきて
スケート以外のことに関しては、もう全然考えずに生きてきたので。
本当に世間知らずで」

生活のほぼすべての時間をスケートに捧げてきたため、自分でも社会経験が足りていなかったと感じるという。
そこには数々の伝説が…

 

その伝説を中学から大学まで一緒に練習していた先輩選手の日野龍樹(りゅうじゅ)さんに話を聞いた。

伝説①高校生まで電車に乗れなかった(電車の乗り方が分からなかった)

宇野昌磨「そうなんですよ。本当になんも知らなくて。電車は乗ったことがなくて」

林修「じゃあ、1本(で乗り換えなし)ならOKと?」

宇野昌磨
「いや、でも初めはそれも難しくて。
だっていっぱいなんか同じ場所に違う行き先の電車が来ることもなんか衝撃でしたし。
自分にとっては、なんかみんなすごいことやってんなって思いました」(笑)

 

伝説②敬語が全く使えなかった

先にスケートリンクで練習してた高校生・大学生の先輩に、後からきた中学生の宇野さんは「おつかれ~」とため口で挨拶。

宇野昌磨
「いや、そうなんですよ。恥ずかしながら、ホントに。
僕がパッと思いつく中で、一番申し訳ない出来事として、もうほんとに先輩しかいないんですよ、僕より。
なのにめっちゃため口でしゃべってて。すごく申し訳なかったです」

林修
「で、それについて「お前もうちょっと話し方さ」っていう注意を受けたことはあるんですか?」

宇野昌磨
「いや、言われないんですけど。
その後輩たち…僕たちと同年代の人たちと集まった時に、「ちょっと僕たち敬語を使えないから、気を付けた方がいいかも」っていう話になって、そっから敬語にしました。
「お疲れ様です」って」

林修
「実は他にもエピソードがあるということでして。
合宿中練習が上手くいかなかった先輩に対して、先輩が「スケート辞めようかな」と落ち込んでいた時に、その様子を見た昌磨は「じゃあ、辞めちゃえばいいじゃん」と言ってました。」

宇野昌磨
「今見たらヤバいことしてますけど。適切な発言ではないですね。
まあ、こういう紆余曲折あり、今の自分になれたんですけど。
まあ、あのほんとにたくさんの方にご迷惑をおかけしました」(笑)

 

引退後の生き方

2024年5月、現役選手としての幕を閉じ、ジャンプの練習から終われる日々から現在は…

アニメワンピースの世界観を表現したワンピース・オン・アイスで主人公のルフィを演じたり。
主戦場をアイスショーに変え、第二のスケート人生を歩んでいるのだが…

 

解説者はやってみたい?

林修
「フィギュア選手のこのキャリアを終えられた後でも、色んな道があると思うんですけれども。
その1つに解説者という道もありますよね?そちらについてはどうお考えなんですか?」

宇野昌磨
「1回やってみたいんですけどね。
荒川静香さんとかすごいもうお上手なんですよ。もうすごい分かりやすく。
でも僕は、まあやってみたいんですけど、きれいにやるというよりも、もう好き勝手喋りたいなって思ってます。
たぶん好き勝手やって、1回でいなくなると思います」(笑)

林修
「僕はジャンプの種類が言われないと分からないんですよ。サルコーとループはどう違うか。
だから解説者の方が、あの「トリプルサルコー」とかパッと言うけど、それまだよくわからないし。」

宇野昌磨「正直、僕たちも分からないときあります」

林修「ちょっと何回転か分かりにくいとか」

宇野昌磨
「全然あると思います。(解説してたら)「あー、今の僕も分かんないですね」」

 

林修
「まあ、僕がこのフィギュアっていうのを一番最初に知ったのは、渡部絵美さんだと思うんですよ(1979年世界選手権3位)。
で、まあ伊藤みどりさん(1992年五輪銀メダリスト)。あの方も名古屋で。
3回転跳んだらすごいっていう時代がずっとあったのに、今4回転のジャンプをいくつ跳ぶって…。
人間の能力がそんな変わってるわけでもないのに」

宇野昌磨
「いや、そうなんです。
僕も初めてその場に出させてもらった時は、4回転が1種類でもう大盛り上がりだったんですけど。
で、1年経つごとにもうどんどん変わって。
そのーこの人が何々ジャンプを跳んだらしいっていう噂を聞いて、みんな急にやる気出したのかなっていうくらい、もうみんな跳べるようになって。」

林修
「でも、そんな人間の体、急には変わんないじゃないですか。
だから、体操とフィギュアのインフレは余りにも激しいなっていう印象」

宇野昌磨「そうですよね。もうなんか、こんなインフレすごいやってられないです」

林修「そうですよね」

 

アイスショーで演じたルフィ…自分とは180度キャラが違い…

2年連続「ワンピース・オン・アイス」で主人公のルフィに抜擢された宇野だが、アニメの世界観を演じることは、フィギュアとはまた違う難しさがあるという。

宇野昌磨
フィギュアスケートは自分の良さを出すっていう感じで。
今回は、自分ではなく別の者を演じるって感じだったので。
まあ、僕普段、そんなに喋りかけたりとか、陽気な方ではなくて
喋りかけられたら、お答えするって感じなんで。

「ワンピース・オン・アイス」のルフィ役をやらせてもらったんですけど、もうキャラが180度違うんですね。

だから、まずそれを演じるってことに、スゴク最初は大丈夫かなって不安もありながら。
この1つのアイスショーっていうものをより良くするために、自分が苦手だったとしても、その色んな自分が動かなければいけない所をちゃんと動くようにっていうのは、船長として気を付けてました」

同じスケートでも、競技フィギュアでは自分のために滑る1人の孤独な戦いだったが、今では共演者やスタッフを座長としてまとめながら、お客さんを楽しませるエンターテイメントの難しさと日々向き合っている。

 

浅田真央さんから心配なタレコミ

宇野昌磨のちょっと心配になる瞬間

浅田真央
「みんなで、グループナンバーとかの練習の時も、常に眠たそうだし。
何か1人だけ、なんか違う世界に行っちゃってて

たまに昌磨見ると、なんか全然…聞いてるのかな?って思うような時もあったりとかしてたから。大丈夫かな?って思って。
なんかそういうちょっと心配なところもあります。」

スタッフ「マイペースというか?」

浅田真央
「あ、そう。マイペースですね、はい。
なんか寝坊とかあくびとかするみたいなんですけど(笑)
でも、やることやってるんで。全然。
もう、応援してます」

スタッフ「仲良いんですね?2人は」

浅田真央
「あんまり話してくれないんですよ、昌磨。
なんか…照れてんのかなんか分かんないんですけど。
私が話すと、話してくれるんですけど」

 

林修「いかがですか?」

宇野昌磨「まあ、だいたい言ってることあってます」

林修
「1人だけ違う世界にいる。その点を心配されてましたけど、そのことに関してはどうなんでしょうかね?」

宇野昌磨
「ついこの前、同じアイスショーに出させてもらって。
一緒にいる時も、結構海外スケーターが多くて。
僕、英語が分かんないので。
でも、1人だけダラダラするわけにもいかないじゃないですか。

だから、その場に立ってはいるんですけど、たぶんあの、聞いてないっていうのが明らかに分かるような雰囲気が…醸し出てるんだとおもいます」

 

最後に…現在はやりたいことをやる日々に

林修「じゃあ、今は本当にご自身がやりたいことをなさる日々に変わったと?」

宇野昌磨
「そうですね。まあ、だから、前よりすごく楽しく
ホントに自分がやりたいからやる。この練習をするっていう。

この「やらなきゃいけない」っていうところから、本当に自分の意志がその練習に反映できる日々っていうのは、すごく楽しいなと思います。」

 

世界の頂点を目指し、血の滲むような努力を重ねてきた。
そして今は、新たな世界で努力する喜びを感じている。
宇野昌磨の進化は止まらない

 

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