【徹子の部屋】木村カエラさん 「直談判も!歌手への道は遠く」(2024年10月21日放送)

イギリス人の父と日本人の母のもとに生まれ、東京の下町で育った木村カエラさん。
子供の頃から歌う人になると思い込んでいたそうです。

 

デビュー20周年 2人の子の母

徹子「今年デビュー20年。それで、びっくりしたんですけど、2人のお子さんのお母さんです」

木村カエラ「そうです、はい。中学生の男の子と小学5年生の女の子がいます」

徹子
「へー、そんな大きいの?びっくりしちゃった。なんか、あなたと同じくらいかと思っちゃった」

木村カエラ
「でもなんか、あのーほんとに上の子には背も抜かされて。
なんか、どっちが大人かよく分かんないってよく言われます(笑)」

徹子
お父様はイギリスの方。で、お母様は日本の方
東京の下町出身。江戸っ子?」

木村カエラ
「そうですね。あのーこう川が流れてるあの足立区の荒川とかがある…まあ、亀有とかがこう有名だと思うんですけど。
あのその辺で育ちまして。はい。お祭りとかすごい好きです」

徹子「じゃあ、ああいうお祭りの歌とかも好き?」

木村カエラ
「そうですね。なんかお祭りの音が流れてると、こう買い物に行ってたとしても、こうすぐそっちの方にフラフラフラと行ってしまったりとかするぐらい。
これは下町育ちだからなのかなと思いながら。
よくお祭りに遊びに行きます。」

 

ステージ衣装は自分で縫って

徹子
「まあ、数々のヒット曲をお持ちです。
個性的なお洋服とか髪型も人気で。
でもあなたは、子供の時からお洋服がやっぱり大好きで。
ご自分でキレを買って、ステージ衣装を作ったりして?」

木村カエラ
「そうです、そうです。やっぱり学生の頃とか子供の時は、そんなにお金も自由に使えるほど働いてなかったですし。

これ(歌っている写真)は高校生の時の文化祭の時なんですけど、バンドをちょうどやってたので。

まあ、自分で衣装を全部縫って
で、私は足立区の方に住んでたので、日暮里っていう布の問屋さんが近くにあって。
で、1m100円で売ってる問屋さんがあったので。
そこで高校生の頃、布を買って、ステージ衣装を作ったりしてました」

 

歌手は物心ついた時からの夢

3,4歳から歌手の夢しか持ったことがない

徹子「歌手になりたいとお思いになったのはいつですか?」

木村カエラ
「もうそれは、物心ついた時からで。
もうその夢しか実は持ったことがなくって
あの、だから、3,4歳?とかからはもうずっと。
もう歌手になりたいって思ってました

徹子「もうこの(写真の)頃(3歳頃)から歌なんか好きだったの?」

木村カエラ
「そうです。もう父が音楽すごく好きで。母もそうだったんですけど。
もう部屋一面がCDの壁っていう感じの部屋だったんですよ。父の部屋が。
なので、いつもロックが流れてたりとか。
父が流してない時は、母が他の音楽を流してたりとか。
で、私自身も誕生日にあのーディズニーのサントラだったりとか、マイケルジャクソンのアルバムとか。
なんかそういう物をプレゼントしてもらったりとかして。
かなり、音楽をずっと聴いてました。」

 

家の洗面所で毎日熱唱

徹子「あなたは家の洗面所で毎日熱唱してた?」

木村カエラ
「そうなんです。あのもう、私一人っ子で、あんまり子供の頃自分の気持ちを吐き出すのが上手ではなくって

ある日洗面所に閉じこもって、歌を歌ってみたら、あのーすごい自分の心がスッキリしたことに気づいて。
もうそこから、もう毎日のように、お風呂場の脱衣所の所ですね。

あのずーっとCD持ってってかけて。
あのー歌を何時間も何時間もそこで大声で歌うっていう日々を高校生ぐらいまでずっと続けてたと思います」

徹子「へー、それから以後は?」

木村カエラ
「以後は、やっぱりもうさすがにしなくなったんですけど。
あの、バンドをやり始めたり、スタジオで歌えるようになったんで。
そう、さすがに洗面所では歌うのはやめましたけど。
でも今もお風呂では結構歌ってます。」

徹子「あ、そう。でもそうやって、ご両親は心配しなかった?」

木村カエラ
「いや、あのーやっぱりお風呂に入りたいのに、私がずっと洗面所にこもってるので。あの、汗だくになりながら。
なので、お風呂に入りたいんだけど、いつ終わるのこれ?みたいなのは、いっつもよく言われてましたね。」

 

幼少期

イタズラが好き

徹子「どんな子供でしたか?」

木村カエラ
小さい頃からすごくいたずらが好きで。

それこそ、おばあちゃんとかの宝石を隠したりとか。

あのー私の母と父は働いていたのでよくおばあちゃんとおじいちゃんにお世話になってたんですけど。

あの公園に連れてってもらうと、5時のチャイムが鳴って、「帰るよ。カエラ帰るよ」っておじいちゃんが言うと、そのタイミングぐらいで、おじいちゃんがみえないところに隠れて。
全く出てこなかったりとか。

あのすごいみんな、笑ってました、いっつも
「困った。またやられたよ、カエラに」って言って。

宝石もイギリスのおばあちゃん家に行ったときに、大事な宝石をポッケに入れて。

きっといたずら心で取ったと思うんですけど、それを忘れて。
ないないってすごい大騒ぎになったら、あの洗濯機から出てきて。私がポッケに入れてたから。

もう~!みたいな。その時、すっごい怒られたの覚えてます(笑)」

木登りが好きでヤンチャ

徹子「でも、木登りも好きだった?」

木村カエラ
「そうですね。木登りしたり。やっぱヤンチャだったので。
はい、木登りしたりしてました。
スゴク木登りしたり、運動して」

徹子「ご自身のお子さんはカエラさんに似てる?」

木村カエラ
「似てると思います。あのー男の子は特に似ていて。
私の子供の頃の写真とかを見ると、やっぱりそっくりだなって思ったりします。
女の子の方は、やっぱりパパの方に似てますけど、あのー似てますね。」

 

中学時代は反抗期

徹子「なんか中学校は反抗期だった?」

木村カエラ
「私ですよね?私そうです。すごい反抗期でした。
あのーなかなかこう先生たちのことも親のことも困らせてたと思います。

はい。でもなんかそこでも、また、なんか学校とかも全然楽しくなくって、家に帰るのも…帰ってましたけど、帰るのも嫌で。

なにかこう反抗期だったのを救ってくれたのがそれこそ音楽の先生だったりとかして。

なんかいつもこう色んなところで、音楽に助けられてきた人生だったなって。

はい。今になると思いますね。」

 

歌手デビューまでの紆余曲折

歌手になるためモデルから…

徹子「どうやって歌手デビューができましたか?」

木村カエラ
「すごい私歌手になるために、あのーカットモデルをしたり。
あのーモデルの仕事を普通にしていたりとか。
色んなことを歌手になるためにやっていたんですけど。

いざデモテープを作ってレコード会社にこう配っても、やっぱモデルの子が歌ってるだけでしょみたいな。説得力が無いよねみたいな感じで言われてしまって。

なんか自分が歌手になるためにやってきたことが~っていうすごくショックだった出来事がまあ、結構続いたんですけど。
あの、高校卒業のタイミングで、その大学…服飾の大学に行くつもりでお勉強していたんですよね。

なんですけど、親に
卒業して20歳になるまでの2年間。
あのーどうにかそこだけ夢を追いかけさせてくれ」っていう風にお願いをして。

もしそれで夢が叶わなかったら、もう一度勉強して大学に行くから、2年間だけ下さいって言って、親にお願いをしたんですよ。

でもやっぱり、先ほど言ったように、なかなかこう私を認めてくれる人たちがいなくって。

やっぱりその、モデルだからとか。

なんかそういうので、逆に、デビューなかなかできなかったんですよね。

で、相手にされない日々が続いた時に、ちょうどその頃、TVKのsakusakuという番組で、音楽番組のMCを私自身がしていて。

で、その番組のプロデューサーの方をなぜか横浜にいるので、横浜に行けばいいのに、ちょっと来てくださいって渋谷に呼び出して。(笑)

ホントは、私歌が歌いたいんです!もうあと何か月しかなくて20歳まで。ヤバいです」みたいなことをそのプロデューサーの方に相談したら、2週間後に、デビューが決まりました

徹子「ほんと?できたの?」

木村カエラ
「そうなんです!もうそれはその、プロデューサーの方に伝えてからが、とにかくあっという間で。
今に至るって感じなんですよね。

だからもう、行動するってほんと大事なんだって思って。
あのーすごいその時びっくりしましたし。
やっぱり、人との縁だとか、なんかそういうものはすごくその時に感じましたね」

徹子「まあ、思い切って相談してよかった?」

木村カエラ
「ねえ。渋谷に呼び出したんですけどね。何て態度がでかいんだって、今になるとちょっと反省ですけど」

 

中学生と小学生のお母さん

徹子
「そんな風には見えないんですけど、中学生の息子さんとそれから小学生のお嬢さんのお母さん
歌手と子育てと両方で大変じゃありませんでしたか?」

木村カエラ
「そうですね。今も大変です(笑)
でもやっぱり、あのー子供もずっと欲しかったんですよね。
なので、やっぱりあのー子供がいなかったときは、書けなかった歌詞の表現だとか。
なんか色んな部分がこうやっぱり子供が生まれたことによって、教えてもらえることも沢山あるし。

自分自身もほんとに大人にさせてもらったなって思う部分がたくさんあって。
そう、なので、大変ですけど、その分得るものも多いなっていうのはやっぱり思うので。
全然。毎日すっごい楽しいです(笑)」

 

音楽を作るのは台所で

徹子「お家では音楽を作る時にはどうしてらっしゃるんですか?」

木村カエラ
「もうそれすっごいみんなにビックリされるんですけど、台所が私の部屋っていうか…になっていて。

あのーもう台所のコンロの所に私の専用のいすが置いてあって。ハイチェアーが。

で、そこで料理を作りながら、膝にパソコンを置いて、書いたり。

包丁で切る所…まあ、台所の後ろに少しテーブルがあるので、そこにパソコンを置いておいて、こっち向いたら家事ができて、こっち向いたら歌詞が書けるみたいな(笑)状態に台所がなっていて。

そこで、家事も仕事も全て完結するようになってます(笑)。

なので、台所が私の部屋なんだよねーって言うと、いつ歌詞書いてるんですか?とか言われるんですけど、もう全部同時にやってます(笑)」

 

家族の応援と助け

子ども達「もっと人気者になりなよ」

徹子「お母さんの仕事については、みんな何て言いますか?」

木村カエラ
「そうですね。なんか、もっと人気者になりなよとか。
あのすっごい言ってきます。

そう。なんで、じゃあ、もっと働いていいの?みたいな。
働いたら、なれるかな?って言って、子供には言ったりしますけど。

でも、あの本当にみんな応援してくれていて。
あの今日のライブは今まで見た中で一番良かったなとか。
見に来てくれると、正直に色んなことを言ってくれるので。
すっごい嬉しいです」

徹子「お子さんの前で歌ったりもするの?」

木村カエラ
「もうむしろ教えてくれって言われるので。
家の上の子がすごく歌が好きで。ギターも最近弾き始めて。
それで、すごい歌が上手なんですよ。

それで、でもそれこそ成長期なので、こう声帯が安定してなくて裏返ってしまうので。
だから、昔は出ていた裏声が出ないんだけど、どうやったら声が出るの?とか。
そういうことを結構普通に聞いてくるので。
口で歌うんじゃなくて、この奥で高音は出すんだよとか。
なんかそういうことを教えて、一緒に、なんかちょっと弾けるようになったから聞いて~とか。
なんかそういう風に音楽一緒に楽しんでます」

 

子育てに大きかった母の助け

徹子
「でも、子育てにはカエラさんのお母様のお助けが随分あったんですって?」

木村カエラ
「もうほんとにうちの…ほんとに感謝してますね。

やっぱり私自身が、子供と何日間か離れた瞬間…1日だけちょっと地方に行って離れた瞬間に、あれ、背伸びてるじゃんみたいなことがあって。

だからなんか、やっぱ私の家族の誰かに、やっぱり子供を見ていてほしいっていう願いがあって。

でもそれを口で伝えたことはないんですけど。

やっぱり私の母はもうほんとに「今日仕事だから来てくれるかな?」って言うと、子供を見にほんとに何にも言わず来てくれて。
もうご飯も作ってくれて。私が夜帰ってくると、「お腹空いてる?」とか言って、ご飯も出してくれるので。

もう母の助けがないと、こうして仕事もしてられないというか。
なので、めちゃくちゃあの、助かってます。」

徹子「じゃあ、もちろん子供たちもお母様になついてる?」

木村カエラ
「もう、大好きですね。もう帰る時、2人ともハグして(笑)あのーバイバイって言って別れてますね、いっつも」

 

母の「かっこいい」という言葉に号泣

徹子「そのお母様が、デビュー20年でほめてくださったんですよね?」

木村カエラ
「そうなんですよ。この間たまたまですけど、ホントに私バンドメンバーとかも長く一緒にいるんですよね。

もうデビュー当時からずっと同じバンドメンバーでやってきていたり、もちろん新しい人もいるんですけど。

あのー私が企画したご飯会っていうのをやったんですよ。

で、私の母も含め、みんな集まって。みんなでご飯を食べたんですけど。そのみんなの家族も集まって。

あのその時に、私の隣に母がいて。私には直接その話はしてなかったんですけど。

たまたまこっちの席で、「もうカエラ20年続けててすごいね」みたいな話をみんながしてくれてた時に、母が私がきいてると思ってなかったのか「でもさ、20年間ずーっとかっこいいよね」って言ったんですよ。

で、私それ聞いてもう「え~」ってなって。

で、あのすごい勝手にマネージャーさんとその話で盛り上がって2人で号泣するっていう。

でも母には、私のことをほんとに言ってたのか確認はしてないんです。

違うアーティストのことかもしれないし。
ちょっと分かんないですけど。
でももしそれがほんとに、私のことを言っててくれてたのなら、もうめちゃくちゃ嬉しいなって思います」

 

おまけ「リルラ リルハ」の意味

木村カエラ「「リルラ リルハ」はちょうど20歳の時の曲ですね」

徹子「なんか意味があるんですか?それは」

木村カエラ
「そうですね。リルラ リルハは、リアルライフ リアルハートの略で。

はい。もう勝手に自分が作った造語なんですけど。
このリルラ リルハって言葉を出すまで、すごい不安だったんですよ。
何言ってんだ?この人みたいな。なるかな?って思ってたんですけど。
出したら、意外とたくさんの人が聴いてくれていて。

あ、このままでいいんだみたいな。
個性このままでいいんだって思って。
なんかすごい自分にとっても大事な曲です」

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