【リアルストーリー】芸人 ほいけんた 真面目過ぎる素顔 逆転人生(2024年5月12日放送)

tvkaraoke お笑い芸人

芸人ほいけんたさん、58歳。

いったい誰が彼のブレイクを予想したでしょう?
還暦を目前にして突然のブレイクを果たしたほいさん。
どこへ行っても腰が低い。

一体なぜブレイクしたのか?
密着してみると、マジックの才能からバルーンアートもプロ以上。
さらにブレイクのきっかけとなったカラオケも…。

 

この日の営業先。
客の目当ては、ほいさんのあの歌。

ほいさんが、お客さんの前で、
T.M.Revolutionさんの『HIGH PRESSURE』を歌います。

ほい「♪カラダぐぅ 夏になる 過激どぅ 最高」

 

ほい「うちわをわざわざ作って印刷して作ってきてくれてんねんな、これ。
(芸歴)40年目になんか知らないけど、一気に子供とかにも人気が出るっていうね」

 

ブレイクした理由

・真面目な性格
・何事にも一生懸命
・ピアノから培われた絶対音感

 

真面目・サービス精神が旺盛・気遣いの人

ほい
「人とカラオケ行ったときにウケたいからちゃんと練習しておこうって。
真面目か!ってとこなんですよ」

この真面目過ぎる性格が、信じがたい逆転人生を駆け上がらせました。

密着して驚かされたのは、所属事務所もマネージャーもなく、スケジュール管理からクライアントへの連絡まで全て本人がしているということ。

そのため、睡眠時間は2~3時間ということも多いといいます。
もちろんメイクも自分で。

これほど多忙でありながら、ステージ前でもサービス精神旺盛

さんまさんのモノマネをしながら出番前の出演者の子供に話しかけたり、つい舞台前に来てしまったお客さんに話しかけたり、握手をする気遣い。
なかなかできるものではありません。

また、とある番組の打ち合わせ。
ものまねをしながらほぼスタッフを笑わせるだけの打ち合わせを約30分ほど続け、実際のスタジオ出演はわずか数分。

 

そんなほいさんを追いかけている熱心なファンが口をそろえるのが…

ファン「なんかオフの所の気づかい。お客様への。それがたまらない(笑)」

 

ブレイクのきっかけとなった番組「千鳥の鬼レンチャン」

ほい
「さっきもそうですけどね。子供が見て「ああ~」ってなってくれるでしょ。これはありがたいですよね。子供に認知されてるとか」

 

ディレクター「ほいさんとしては、お子さんにも認知が広まったのは何の影響だっていう印象ですか?」

 

ほい「完全にコレですね。このカラオケの」

♪カラダぐぅ(が)夏になる カゲキどぅ(で)最高

 

フジテレビのバラエティー番組「千鳥の鬼レンチャン」で披露したこの独特な歌い方がきっかけ。

 

毎週欠かさないというカラオケボックスでの練習を見せてもらうと…本当に出てしまいました。

100点!!

しかも高得点の出やすいマイクの持ち方まで研究し尽くしたといいます。

なんと、この日は軽々と7曲連続100点。

その秘訣を聞いてみると…

 

ほい
「親がね。幼少期、離婚する前に僕にピアノを習わしてくれてました
その1年で絶対音感が身についたんです」

 

何とその秘訣は少年時代に身についた絶対音感。
そのため、音符代わりのこの音程バーを見れば、たとえ知らない曲でも歌えてしまうそう。

 

とにかくやると決めたら、一直線!とことんやる!

マジックを極める

ほい
「小学校の時にね。本屋さんで、たまたま見つけたマジックの本があった。学校で友達にやったらウケたのよ。」

と、ここまでならよくある話だが、ほいさんの場合、その極め方が半端ではありません。

例えばバラバラの6面立体パズル(ルービックキューブ)。
これを何回か振っただけで、全ての面を同じ色でそろえてしまいました。

 

アクションスターを目指し、ひたすらバク転の練習

ほい
「でも中学ぐらいから俺がやっぱり一番ハマってたのは、香港映画だったので。
アクションスターのものまねとかそっちばっかりやってたんで」

一旦アクションスターになると決めると…

ほい
「本当に芝生とか砂場で頭ぶつけながら、バック転とかバック宙の練習して」

 

高校卒業後芝居をやると決める

ところが高校時代に学んだアクションスクールで先輩から言われたのは…

「演技ができないと影武者にしかなれない」ということ。

それを聞いたほいさんは・・・

ほい「よしと思って。とにかく高校卒業したら芝居をやろうっていうのは決めたんですよね」

ただ1つ気がかりだったのは、女で1つで育ててくれた母親(てい子さん)。

それだけに、ほいさんは「就職した方がいいよね?」と母に問いかけました。
すると、母は「アンタに助けてもらわなくても大丈夫」と。

ほい「全く反対しなかったです。」

そればかりか、養成所のお金まで持たせてくれたといいます。

しかし、演出家の言うとおりに動かないといけない劇団は肌が合わず、劇団は退団。

 

お笑いを目指す

劇団を退団し、自分で脚本も演出もできるお笑いの道をめざすことに。ところが…

ほい「コンビでやってて、2人でこう出ていくんだけど。
あの、俺ら2人に対してお客さんが1人で(笑)」。

とはいえ、母親の手前…

ほい「でもやっぱりそうやってきたんで。
中途半端にやめられないなっていう思いはすごくあって」

 

大道芸の世界を極め、バルーン工作の本も出版

そんな時、知り合いが進めてくれたのが、オーストラリアでの大道芸のイベントへの参加。

そのときほいは「マジック、パントマイム、ものまね、バルーンアート何でもできますから」といったが、マジック以外は全てウソだった。

だが、その嘘を嘘のままにしないため、必死に練習を重ねたほいは…大道芸の世界でも道を究めてしまう。

その結果、芸人としてはまったく売れないうちに、バルーン工作の本を出版するまでになってしまった。

 

明石家さんまさんのラジオをスピードラーニング

一方、「明石家さんま」のものまねが生まれたきっかけは…

あるショーパブでライブをしていた時の事。

ほい
「ボケの一環として、後ろ向いて振り返ったら嫌味になってるっていうボケをしたいなと思って。
で、でっかい歯作って「シェー」っていうのやったの(おそ松くん)。
こうやってた時に、暑くなったんでヅラを一回取ったのよ。
で、当時髪型がさんまさんぽかったの。
そしたら「あれ?さんまさんできるかもしれないな」っていう感じ」

 

ディレクター「そこから(明石家さんまの)フリートークもできるようにまたさらに練習したという事ですか?」

ほい「そうそうそうそう」

ディレクター「その練習はどうやってやったんですか?」

ほい
スピードラーニングです。さんまさんのラジオを聞き流すずーっと聞き流す。録音して聞き流す。反復してみる

 

毎週新鮮な喋りを聞きながら、声のトーンとらしいリアクションを研究する日々。

その自主トレは今も変らぬ習慣。

 

ほい「ありがたいのは、さんまさんが先週喋ったことが入ってくるさんまさんの記憶でしゃべれるっていうのがあって」

 

ディレクター「今も(練習を)されているということですか?」

ほい「今でもやっています」

 

「何でもいいから向上したい」「周りを幸せにしたい」

幼い頃に身につけた絶対音感に始まり、お笑いバルーンアートモノマネなど着実にクリアしてきたものたちが、まるで彼のマジックのように、突然6面が揃ってブレイクしたほいけんたさんの人生。

そして、あの日背中を押してくれた母親は、芸歴40年目にして初めて…

 

ほい「だから、今思えばね、17~18歳の時に「好きなことをやりなさい」って背中を押してくれた母親が、今すごい喜んでるんですよ。」

 

そんな母とは今も毎日のように電話で話をしているといいます。

そしてこれからも…

ほい「本当に向上した。あの、何でもいい
料理でもいいし。絵でもいいし。

いかにまだ楽しめるかっていう部分を見出しながらやってるんで。うん。

だから自分だけじゃなく「周りを幸せにしたいな」って気持ちの方が今でかいかもしれない。うん。

人の笑っている顔から幸せになれるでしょ」

 

そういうと楽屋を後にしようとした私たちスタッフにまで

ほい「何か飲み物とか飲む?大丈夫?温かいのあるよ。うん。言ってね」

 

 

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