【日曜日の初耳学 未公開SP!】シンガーソングライター 竹内まりやさん(2025年2月2日放送)

竹内まりやさん
40年前にリリースした「プラスティック・ラブ」(1984)が令和の時代に海外の若者に大ヒット。
時代を超えて愛される名曲を作り続け、昭和・平成・令和…3時代すべてでオリコンチャートを1位を獲得した。

 

夫・山下達郎さんとの出会い

大ファンだったバンドのメンバー…最初の印象は「嫌なやつ」!?

そんな彼女の楽曲は、夫・山下達郎さんがアレンジを担当しているのだが、その出会いは衝撃的だった。

林修「そもそも音楽活動を始められたきっかけは、何があったんですか?」

竹内まりや
大学のアマチュアバンドでサークル活動をしていて。
コーラスのレコーディングのお手伝いをして、アルバイトで歌を歌うっていうのが。
まあそれがきっかけと言えばきっかけですね」

林修「ご主人と出会われたその頃なんですか?その前なんですか?」

竹内まりや
「達郎との出会いは、デビューアルバムの時に、作詞作曲をしてくれた曲が1曲あって。その時が最初だったと思います。
私が一方的にシュガー・ベイブっていうバンドを見に行ってはいるんですけど。それは学生時代で。
実際に対面したのは、デビューアルバムの時です」

※シュガー・ベイブ…山下達郎さんが所属していた伝説のバンド

林修「あ、でも元々ご主人の音楽がお好きではあった?」

竹内まりや
大ファンでした。はい。あの、シュガー・ベイブっていうバンドのファンだったんです。はい。
人間としての彼は知らなかったので。

で、最初会った時に、「あの、楽曲を書いてくださってありがとうございます。ちょっとあのー申し訳ないんですけど、ここにサインいただけますか?記念に」って言ったら、すごい怒られて。

「いや~君も曲がりなりにもそのプロのシンガーとしてやるんだったら、同業者にサインを求めるような真似は絶対しちゃダメ」っていう風にちょっとお説教されたんですね。

だからそん時、なんか「嫌な感じ~」と思って(笑)
とは思ったんですけど。
でも後で家に帰って考えても、まあでもそれって確かに真っ当な事をおっしゃったんだなと。
チャラチャラしてはいけないっていうことをまあ彼が教えてくれたんなら、良かったなと」

 

広末涼子さんデビュー曲「MajiでKoiする5秒前」…自分には書かない曲の面白さ

そんな竹内まりやさんと言えば、自身が歌う楽曲だけでなく、多くのアーティストに楽曲を提供している。中には、42歳の時に作ったこんな曲も…

広末涼子のデビュー曲「MajiでKoiする5秒前」(1997)。

この楽曲を提供した28年前の誕生秘話

林修「1997年の「MajiでKoiする5秒前」」

竹内まりや
「はい。これも楽しんで書きましたね、すごく。
(広末)涼子ちゃんがまだ15、16だったと思うんですね。
高校の制服でレコーディングに来られてたんですけど。

あの当時、MK5っていう、なんか物言いというか。あのワードが流行ってて
(※MK5=マジでキレる5秒前)

なんかそれをもじった曲を書いてみようかな?っていう時にちょうど高校生の涼子ちゃんがデビューされるっていうことだったので。

で、「MajiでKoiする5秒前」っていう。

恋心というか、ティーンエイジャーの恋のときめきは、たぶんいくつになってもこう自分の中に青春として残ってる部分があると思うんですね。
そういうのを引っ張り出して。こう書いてみるっていうか。

自分には書かないタイプの曲が書けるっていう面白さがあるんですよね」

 

お笑いが好き…人を笑わせる仕事は尊い

シンガーとしてだけではなく、巡り映る時代の感覚を鋭くキャッチして歌詞にのせていく。
その繊細な感覚が、シンガーソングライター竹内まりやの魅力。
そしてそのアンテナはこんなジャンルにも…

竹内まりや
お笑いはとても好きで。やっぱり人を笑わせるって、この世の仕事の中で最も私尊いものの1つだと思っていて」

林修「過去にはラジオでシソンヌのじろうさんがお好きだと」

竹内まりや「大好きですね、はい。大好きです」

林修
「スタジオにハライチっていうコンビの澤部さんっていう方がいらっしゃるんですけど。ハライチのネタはご覧になったことありますか?」

竹内まりや
「観たことあります、はい。

で、ハライチさんは、岩井さんがすごいエキセントリックに見える一方で、澤部さんが柔らかくてすごい柔軟性があるじゃないですか。

その澤部さんって、どういう場面でもフィットできるじゃないですか。
その、俳優さんにもなれるし、漫才もやるし、なんか司会者みたいなことも。(澤部「そうです!」)
だから、そのフレキシビリティーがすごいなと思って」

(澤部「フレキシビリティーがすごいんか!」)

竹内まりや
「でも、お相手に選ばれている岩井さんが割とそういうユニークな方なので。
そのミスマッチがハライチの魅力だと思って」

 

(スタジオで…)

澤部「薄々は気づいていたけど!(笑)これ未公開でしょ?
で、ケンティー(中島健人)が竹内まりやさんの連絡先知ってるんだよね。
その、「今日(竹内まりやさんの回の)収録だったんですよ」みたいなケンティーが送って。

そしたら、竹内まりやさんからの返信で、「ハライチ澤部さんの事も色々語ったんですけど、あそこは使っていただけましたでしょうか?」みたいな。
来てた、竹内まりやさんからケンティーに。
それをカットしてんの。なんか、勝手に。(笑)
やばいよ。やばいよね?ね?」

ブラマヨ小杉「編集もフレキシビリティーやらせてくれよ」

 

曲作りは生きてる限りやりたい

23歳でデビュー。まもなく古希。
その創作活動はいつまで続けるのか

林修「ご自身としては、どのくらいまで音楽活動を続けたいとお思いですか?」

竹内まりや
自分のフィジカルが許す限り、歌い続けたいと思いますし。
あと曲を書いたりすることにおいては、あのーもう生きてる限りやりたいなと思って。
そのためには、元気でいないとなっていうところが、一番ですよね」

生きてる限りは曲を書き続けたい。そんな竹内まりやには、年齢を重ねることの素晴らしさを歌った曲がある

 

楽曲「人生の扉」
歌詞『信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら』

竹内まりや
「51歳の誕生日に桜の景色を見ていて。
「ああ、この景色をあと何回見るかな」っていう風に自分が思った自分がいたんですよ。

50歳って、自分の中で重かったので。40代と違うし。
「何が起こるんだろう?」みたいな不安もあったんですけど。
でも実際になってみると、眺めも良くて。

あれからもう20年近く経ちますけど。
50歳って若かったんだなって今思います(笑)

あの時は50がすごく「うわ~50か」と思いましたけど。
あっという間に還暦すぎて、もうすぐ古希っていうことを考えると。

あとどのくらいアルバムを作るんだろうかとか。
ねえ、あと何回桜を見るんだろうかっていうことを思う頻度が確実に高くなってる。
それが歳を重ねるってことなんでしょうね」

愛する音楽・人たちのために命を燃やしていく。
それが竹内まりやが辿り着いた幸せの形

 

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