藤ヶ谷太輔「僕は生まれて初めて連ドラに出るってなった時に、すごくお世話になった方です。10年位前ですね」
鶴瓶「全然変わらんよな、この人」
藤ヶ谷太輔「変わらないですね」
1997年12歳の時、第7回全日本国民的美少女コンテストで審査員特別賞を受賞し、芸能界入り。2001年 16歳で出演したドラマ「3年B組金八先生」第6シリーズ(TBS)で、性同一性障害を抱える難しい生徒を演じ、一躍注目を集める。
2013年 大ヒットを記録した日曜劇場「半沢直樹」(TBS)で夫を支える献身的な妻を演じる一方で、2014年ドラマ「昼顔~平日午後3時の恋人たち~」(フジテレビ)で不倫に溺れる人妻を演じ、社会現象に。
多忙だった日々
寝れるのは長くて3時間…基本30分~1時間
鶴瓶「(2人は)どれぐらいぶりなの?」
上戸「大学生でしたもんね」
※上戸彩さんと藤ヶ谷さんは2006年 ドラマ「下北サンデーズ」(テレビ朝日)で共演。当時、上戸さん20歳、藤ヶ谷さん19歳。
藤ヶ谷太輔「2006年!?」
上戸「あ、やっぱじゃあ20年近いですね」
藤ヶ谷太輔
「僕は連ドラ初めてだったんで。
自分にとっての初めての連ドラの座長が上戸さんで良かったなってホントにずっとあるんですよ」
上戸「え~嬉しい~」
藤ヶ谷太輔
「でもあれだけの忙しい。何本もとかあるじゃないですか。
もちろん作品だけじゃないし。やっぱ寝てない。その時期長くなかったですか?」
上戸「長かったですね~。ありがとう」(笑)
鶴瓶「いや、帰って3時間寝れるっていう時もあったんでしょ?もう、ちょっとしか寝れない…」
上戸
「あ、長くて3時間です。「あ、今日3時間寝れる。やったー」っていう。
もう基本的に30分、1時間。
あとはもう楽屋にあるシャワー浴びて。もう車で仮眠して、次行きますか?とか」
藤ヶ谷太輔「それって、いくつからいくつぐらいまで?結構そのピークっていうか」
上戸「金八先生やってからなんで、20歳ぐらいまでかな~」
鶴瓶「でも、学校も行ってたでしょ?」
上戸
「学校は。えっと、堀越(高校)行ってたんですけど。
高2の時に「単位が110時間足りないからどうする?」って学校に言われたのと。
で、3年先のスケジュール。ギューっていうの見せられて。
だめじゃん、無理じゃんってなって、高2の夏で辞めたんです」
鶴瓶「もうそれまでは、1時間でもちゃんと出なアカンって」
上戸「はい。ホームルームだけ出て、一応出席だけ獲得して、仕事行ったりとか」
鶴瓶「それお母さんに言われたんやろ?出なあかんって」
上戸「そうですね」
鶴瓶
「その思い。まあ、お母さんもいうてはったんやけども、絶対にそれは行かさなアカンし。
つらかったけど、やらした言うてたね、それは」
(上戸さんのお母さんの取材時の写真が映る)
上戸
「え~。マジ!?何をやってんの?ほんと?いや、もうこんなことする母親じゃないんで」
鶴瓶「でもキレイな人やで」
上戸
「ありがとうございます。え~初めてじゃないですか?すご~い。よく出ましたね?あのー出るタイプじゃないです」
藤ヶ谷太輔
「でもお母様はお母様でね、母としての責任感というか。20歳までは育てるって責任感のもと。
今思えば、すごく厳しくしてしまったことが多かったとはおっしゃってましたね」
鶴瓶「過呼吸なるぐらいまで泣いた言うて」
上戸
「はい。「鬼!」って言ったこともあります。
事務所もやっぱり
「10代の子を仕事をして何かあったらこちらが責任を負いますけど。プライベートの時間帯で何かがあった時は、お母さんが責任取ってくださいね」って言われてたみたいで。
だからもう、20歳までは私はうるさく言わしてもらう!って言うので。
とにかく厳しかったです」
芸能界へのキッカケ
コンテのチラシがポストに…母が応募
藤ヶ谷太輔「結構聞いたら、小さい頃からものすごいヤンチャだったって」
鶴瓶「そうそう。もう行くのも嫌やったんやろ?割とそういうレッスンが嫌やとか。」
上戸「あ~そうですね。元々芸能人になりたくないタイプだったので」
藤ヶ谷太輔「そもそも天気予報の後ろでピースしたかった?」
上戸
「エキストラさん。よく…団地なんですよ。練馬の団地なんですけど。
天気予報とか、朝の番組とか。ポンキッキーズとかの撮影してたんですよ。
「ちょっとテレビ映ってみたいな~」って言ってたタイミングで、コンテストのチラシがポストに入ってて。
ちょっと遊び半分で母親が送ったっていう」
鶴瓶「お母さんが勝手に出さはったんや?」
上戸
「そうです そうです。で、その合否を私が取っちゃって。
で、母に「いや実は」ってそのチラシを見せてもらった時に、『グランプリ 賞金200万』って書いてあって。
この200万取って、一軒家建てるぞって思ったんです。
200万で一軒家建てて、家具も買って、貯金もできる金額だと思ってたんですよ。(笑)
そっからもう母親に、やっぱ苦労してきたんで、お家を買いたいなっていう一心で、仕事をしてました」
何度も辞めたいと思う瞬間が
藤ヶ谷太輔「結構だから何回もその辞めたいっていう瞬間があったっていうのをお母さんがおっしゃってました」
上戸「ホントありました、しょっちゅう」
鶴瓶「お母さん、それだったら辞めたらってお母さん言うた言うて…」
上戸
「そうですね。言ってたかもですね。でも、明日仕事あるし、逃げれないし。逃げて謝る方が面倒くさいしっていう」
鶴瓶「グループでやってた時期もあるから。迷惑かけるよね?」
上戸
「そう。4人グループだったんですけど。4人グループで活動したかったんですよね。
だからなんかこう(他の)3人に申し訳ない気持ち…」
(アイドルグループだった頃のメンバー4人で写っているCDジャケット?の写真が映る)
上戸「あっ、すごい!私、嬉しい!Z-1って言うんですよ。
事務所は黒歴史だと思って、こういうのもう出してくれないのかと思ってた。
今でも仲良いんですよ。今でも旅行行ったりするメンバーもいたり」
※アイドルグループ 「Z-1」…1999年~2003年まで活動していた上戸を含む4人組アイドルグループ
25歳ぐらいから変わった仕事のスタンス
やるやらないを自分で決めるようになり、仕事への気持ちが変わった
鶴瓶「え、結婚したのおいくつなの?」
上戸「27?です」※2012年にEXILE HIROさんと結婚
鶴瓶「そっからまた仕事してんねんから」
上戸
「あ~でも、25ぐらいから、仕事のこうスタンスが変わって行きました。
ドラマやるにも企画書を見せてくれて。
「あ、企画書ってあるんだ」っていうのが25歳で初めて知って」
藤ヶ谷太輔
「それは上戸さんからこういう風に変えてほしいじゃなくて、会社から変わってきたんですか?」
上戸
「そう。今までは来週この作品入るから。来月中国行ってもらうから。
3年先のスケジュールまでいつもバーンって見せられて。
ここまで埋まってるからっていうのを。常にそういうやり方だったんですけど。
25の時に、その企画書…月9の企画書だったんですけど。
「やりたかったらやればいいし、やりたくなかったらやらなくてもいいよ」っていう選択肢を初めて(ドラマ)『流れ星』(2010/フジテレビ)って作品で与えていただいて。
で、竹野内(豊)さんと共演できるっていう嬉しさもあったんで。「やります!」って即答で。
そこら辺からやっぱり視聴率とかも気になるようになったし。
色んな周りの意見もすごい自分に響くようになったし」
藤ヶ谷太輔「そうか。選択をすると責任が伴うってことですね」
上戸
「そう~。私が決めたんじゃないしとかっていうのを逃げ道にしてたし。
「あ、これって、そんなにすごいものなんだ~」って自分には響いてなかったんですけど。
25ぐらいから仕事に対してはすごい気持ちは変わりました。遅いよね。はい」
オープンな性格
鶴瓶「だから、仕事も色々しはるやんか。あ、そうや。写真集もやろ?」(※2025年7月10日発売)
上戸「あ、そうなんです。ありがとうございます」
鶴瓶「いや、ありがとうございますって。この写真集見ながら「こんなの誰買うの?」って言うたらしいな」
上戸「もうホントにその通りじゃないですか。いや~これだから、最初「写真集出しませんか?」ってお話をいただいた時も、「いや、誰が買うの?」って」
鶴瓶
「お母さん言うてはったけど、もう全然昔から、開けすぎやし、あの子はもうホントに開いてるって。ずーっと。
だって、こんな自然やもん、ずっと」
上戸「うん。(藤ヶ谷さんを見て)このまんまだよね?」
鶴瓶「全く自然。ホントにこんな感じ。出てきてここ座って、え~笑ってるけど。このままやん。ホントそう」
上戸
「よく変わらないねとか言ってくださるんですけど。
逆に、変わる人の方が分からないですよね。
この人の前ではこうしようとか」
鶴瓶「この人にはもう悪いことはできないって思うねん。そんだけ開けされたら」
上戸
「忙しい時とかは、広く浅くっていう友人関係がすごい苦手で。
自分はすごい相手のことを親友ぐらい深い仲だと思ってたら、相手からしたらすごい浅い関係だったとか。
そういうことにいちいち傷ついてた時期があって。
なんかそういう頃は、閉ざしてる時もありました。
だから、(平)愛梨とか。もうこの人たちだけでいいっていう友人を決めて」
鶴瓶「もうこういう仕事してたら、やっぱりね。でも、性格はこんなんや(開けてる)から」
上戸「そうなんです、そう。それ一回閉ざして」
子育て
育児を優先順位1番に
藤ヶ谷太輔「なんかその、じゃあ結婚されて、お子さんができてってなると、なんか仕事の捉え方みたいなのって変わるんですか?」
上戸
「捉え方っていうか、やっぱり。主演ってホントに朝5時、6時ぐらいに家出て。
夜帰って来るのも0時超えたりするじゃない。それが普通じゃないですか。
それはやっぱり、子どもがいると、寂しい思いさせちゃうなっていうのがあるので。
育児を第一に。まあ、いただけるお仕事、できるお仕事があればやらせてくださいっていうスタンスです。
なるべく子供みんなを送ってから仕事に出て。子どもたちと一緒にお布団に入るっていうのが理想の仕事のスタンスなので。
まあ、ありがたいです。今でも役をいただけるのは。」
子供にすごく厳しい!?
藤ヶ谷太輔
「そうやって、子育ての時って、なんかそのーどうされるのかなっていうのは。
あんまイメージないじゃないですか。上戸さんがなんかお母さんの」
鶴瓶「いや、3人子どもおるのもイメージ無いもん」
上戸「このまんまです。怒る時は怒りますよ。」
鶴瓶「そう。それお母さん言うてた。ものすごい厳しいって、子どもに。ものすごい厳しい」
藤ヶ谷太輔
「私より厳しいんじゃないかって。でも、ちゃんとやっぱ叱ると、子どもたちもやっぱりピシッと?」
上戸「そうですね。あんまり怒らないからかな。ちょっとこうスイッチ入りかけで、もう長女は気づきます。ハイ ハイってなります、長女は。
だから、一番ピークにちゃんと怒らなきゃいけない、叱らなきゃいけない、伝えなきゃって時は、もう個室に連れてきますね。みんなの前で叱らずに。本気な時は。
こっちおいでって。それが、もう最大限。もう怖いママっていうか、本気のママ。
まああとは、ウチのパパも、男はやっぱり厳しく怒る時、叱る時、ちゃんとやらないと、男はなめるからって」
芸能界の友人
平愛梨さん…出会いは「金八先生」
(24年来の友人 平愛梨さんと鶴瓶さん・藤ヶ谷さん3ショットの写真が映る)
上戸「あー!!嬉しい!昨日一緒だった。昨日愛梨ん家行きました。愛梨!えー。何にも言ってなかったよ」(笑)
藤ヶ谷太輔「金八(先生)(2001年)の時ですよね?一緒に(2人は当時16歳)」
上戸
「そう。初めましては金八先生で。ずーっともう撮影中も一緒にいましたね。
なんかね、ウチに泊まりに来る時とかも。この時代ですけど。
バスタオル持ってきたり。家上がるときに靴下履き替えたり。すごい昭和というか。
すごいね、学ぶことがたっくさんありすぎて。
今でもなんか…ホント初心に戻れる、愛梨といると」
鶴瓶「いや、お互いやんな?それ。私がなんかせなあかんのに、全部してくれる言うてたね?」
藤ヶ谷太輔「なんかそれこそ、家が近いとき?」
上戸「あ、はい。隣のマンションの時ありました」
鶴瓶「(ドア)ノブにタルト。30個ぐらいかけてくれてた言うてたで」
上戸「いっぱい貰ったのをおすそ分けしたりとか」
鶴瓶
「で、ご飯食べに行っても、自分払わなあかんと思ってんのにも関わらず、もうお会計してた言うねん。それアカンで、この人。ホンマに」
上戸「だってね。愛梨もいっぱい子供いるし。自分の時間なんかほとんどない中で、ご飯いっしょに行ったりとかしたら…愛梨が払っちゃう前に、どのタイミングでお店の人に払いに行こうかなっていう」(笑)
鶴瓶「で、(愛梨さんの夫の)長友(佑都)さんも言うてたっていう。「今日払ってね」って」
上戸
「あ、そう。長友さんがそういうのすごい気にされる方で。
「愛梨今日負けんなよ!絶対行けよ!お前が絶対払えよ!」みたいな」(笑)
藤ヶ谷太輔「試合なんすね?(笑)」
上戸「長友VS上戸です」(笑)
鶴瓶
「いやでも、子ども3人おんねやろ?(スタジオ「え~」)
子供3人いてるんですよ。そんなん見えへんやろ。
で、こっち(平愛梨)が4人。そっち(上戸彩)が3人」
上戸
「2(番目)と4(番目)が同じタイミングなんです。
で、病院が4人目は一緒で。
たまにこう病院内で会ったりとか。検診前にご飯食べに行ったりとか。ポッコリお腹で写真撮ったりとか。不思議ですよね~」
藤ヶ谷太輔
「すごいっすね。あの金八(先生)からの出会い。
振り返ってみると、結構早い段階から。あの前例のないテーマを扱って。それを役として演じなきゃいけないっていう。だからもうそれこそ役作りとかは…」
上戸
「当時は、プロデューサーのやないさんに、性同一性障害の本を渡されて。
この1冊をもうとにかく勉強してくださいって渡されたのが一番最初だったんですけど」
鶴瓶「有名な方です、やないさんね」
上戸
「はい。まああとは、本当にお兄ちゃんが2人いるので。お兄ちゃんを頭で想像したり。
あとはもうホントにジャイさん(演出・福澤克雄さんの通称。代表作「半沢直樹」「下町ロケット」「VIVANT」など)に「もっと大股で」とか「もっと声低く!もっと声低く!」っていうのはずーっと言われて。
で、5話過ぎたぐらいから、「もうあとは直(金八先生での役名鶴本 直)の好きなようにしな」っていう感じで。
そこまでは結構しごかれました」
神木隆之介さん…当時15歳と7歳で出会い
藤ヶ谷太輔「でもこの大役の前って、いろんな作品も結構やられてたんですか?」
上戸「この前は2つ連ドラをやってましたね」
(ドラマデビュー作「涙をふいて」(2000/フジテレビ)の写真が映る。共演者江口洋介さん、二宮和也さん、神木隆之介さん、辰巳雄大さんと一緒に映る写真が映る)
上戸「あ、そうそうそう。これね。これが初めての連続ドラマでした」
鶴瓶「神木隆之介」
上戸「そう。隆がね、まだ8歳ぐらいだったかな、隆が」
鶴瓶「めっちゃ感謝してるよ」
上戸「え?隆?」
(神木隆之介と鶴瓶さんが2人で談笑する写真が映る)
上戸「あ~りゅう~。嬉しい」
藤ヶ谷太輔「25年前!?」※当時、上戸さん15歳、神木隆之介さん7歳
上戸
「隆はかわいいですよね。
今もだから誕生日は必ずお互いに連絡取って。
で、その役名が桃っていうんですけど。
当時から、ももちんって言われてて。今でも「桃ちん、お誕生日おめでとう」って」
鶴瓶「だから、小学校1年か、2年でしょ?いわゆる」
上戸
「隆とは何回も共演させていただいてるんですけど。
※2度目の共演策は映画『インストール』(2004)
やっぱり、他人のセリフまで全部入っちゃうんで。
もう次の日のセリフ確認とかも付き合ってもらって。
みんなのセリフが入ってるんですよ。
だからもう台本が全部、彼の頭の中にも入ってるから。
何でもリュウにセリフも聞いて。
明日何だっけ?って」(笑)
藤ヶ谷太輔
「でもいいですね。なんか、こうやって共演が続いて。で、今も関係性も続いてる。
年齢違えど、あの時代、あの時間を一緒に経験した者同士」
ママ友 若槻千夏さんに取材
藤ヶ谷太輔「あの人ね、街で私を見かけたら、写真を撮って送って来るって。あれ盗撮よつって」(笑)
上戸
「そう。あのね、家も近いから、よく見るんですよ。それを盗撮して。
千夏ちゃんと千夏ちゃんの旦那さんに2人に送るっていう。
嫁いましたよ~みたいな感じで送ってます」(笑)
藤ヶ谷太輔
「あとなんか、知り合いのヘアメイクさんづてで。
要はまあ若槻さんに、上戸さんが若槻さんと仲良くなりたいって言ってますと。
で、それを聞いた時のまず若槻さんは「いや、絶対ウソでしょ?かつ私と仲良くしちゃダメでしょ」って最初想ったって」
鶴瓶「それはテレビ観てて、この人やったらっていう思いがあったわけや?」
上戸「家が近いんで。やっぱりその子供が通ってる学校のこととか。
色んなこう情報を知りたくて…が最初で。
今は家族ぐるみでご飯食べに行ったりとか」
藤ヶ谷太輔
「そうだからね、会話もやっぱパッカーン開いてるから。
むしろ私の方が女優になると。そこまで言うの?とか。
それこそ色々話してたら、お仕事でいただいたギャラの話になったことがあって。
で、なんかバラエティーみたいな感じで「いくら?」って感じじゃなくて。
話の会話で、まあ「私はいくらぐらい」って。
「え、千夏ちゃんは?」って。この流れで言うの?みたいな。(笑)
それぐらいパッカーンなるし。
向こうが言うなら、私言うしかないじゃんみたいな」
上戸「うん。千夏のギャラを聞きました」(笑)
藤ヶ谷太輔
「で、若槻さんも言ってました。
それこそ現場で頂いたものを、玄関におすそ分け。
で、最初の頃はまあ連絡があったり。まあ、一言メモがあったり。
でも今はもう何もなく、ただ家帰ったらスイカ置いてあるとか。(笑)風船置いてあるとか」
上戸
「そうそうそう。「あの、すんません。こんなのありましたけど、お宅ですか?」ってあの連絡が来て。
「あ、ごめんごめん。連絡するの忘れた。うちです」っていう感じ」
藤ヶ谷太輔
「だから、うちはもう頂き物で生活してるから、もう絶対近くから離れることはできないって言ってましたよ」
上戸
「よく言いますよ。もうね、家に物を置くのが(千夏ちゃんの)旦那さんが苦手で。
もうこんなに家に子供がいて、こんなスッキリした家は見たことないってぐらい物がないんですよ。
だから、おっきい風船とかバンバン送って」
藤ヶ谷太輔「結構だから、頻繁に連絡するって言ってましたけど。なんか毎日のように連絡してんじゃないか」
上戸「そうかも」
藤ヶ谷太輔
「あとなんか、若槻さんのお子さんがやっぱり食べ物の好き嫌いがあると。
全然食べないんですけど、上戸さんがあ~んってやると食べるらしいんです」
上戸「かわいいんですよ~」
