2019年デビュー
2023年ブレイク芸人ランキング
高校生が選ぶ今一番好きなお笑い芸人
芸人としての歩み
履歴書を送り事務所に入る
鶴瓶「コンビやったの?初めは」
やす子
「コンビです。最初は「新人類」っていうコンビ組んでて。
色んな事務所に履歴書送ったら、うちの事務所がその日に返ってきて。
で、今でもそうなんですけど、うちの事務所履歴書が書けたら誰でも入れる事務所なんですけど。
年齢制限もなく、本当に1回も舞台踏まずに、プロの芸人になったっていう感じですね。」
※やす子さんの事務所→ソニー・ミュージックアーティスツ:2004年にお笑い部門を設立。バイきんぐ、ハリウッドザコシショウ、錦鯉など数多くの人気芸人が所属
鶴瓶「ほんまにあんた入れやって言ってくれた人おんの?」
やす子
「います。今日も来てるんですよ。
平井さんっていう元々ワタナベにいたマネージャーの方がソニーに来て、お笑い部門をたてようってことで。
約20年前ぐらいに。
平井(精一)さん(お笑い班部長)が作ったんです。そうですー。」
友達に誘われて芸人に
藤ヶ谷太輔「そこに最初は2人で行ったんですか?友達に誘われて」
やす子
「そうですー。最初は2人で行って。
で、友達が途中でもう飛んでしまって。辞めちゃったんですー。
で、自分だけ残ってピンになったって感じですね。はい」
鶴瓶「だから、その平井さんが300位見てる言うてたな。大変やで」
何もうまくいかない バイトは1年で15回クビに
鶴瓶
「いやだから平井さん。これがおもろいんやって。別に規制されないと。
いやでもそんなん、全く優勝したこともないし、何にもないねんけども、ここまで出てくんねんで。
自分どう思うのそれ?」
やす子
「いや、ほんと人生って何があるか分からないなあっていうのが率直なことですし。
あとまあ、自分で言うのもなんですけど、ほんとにバイトもそうですし、その学業もそうですけど、ほんとに何もうまくいかないし、だらしない人間だし」
鶴瓶「バイトぎょうさんクビになったんやってな?」
やす子「そう…1年間で15回位クビになって」
鶴瓶「何でクビになったん?」
やす子
「いやーあのーなんかまあ、牛丼屋さんなんかは海外の人が多くてなんかホームシックになっちゃったりとか。日本にいるのに。
同じバイト仲間が海外の方が多くて。日本にいるけど、なんかホームシックになっちゃって。なんか辞めたいなあとか。
あとはカフェで働いているときに、食洗器があったんですけど、ゴミ箱だと思って生ごみいっぱい入れちゃって。壊してクビになった時に。
でもその店長が優しくて、なんかまあ「あなたは悪くないです」って言って。「あなたを採用した私が悪いです」って言われたことがあったりとか。
社会って厳しいなとか。
まあ、あとはシンプルに2019年に上京して、20年にコロナになっちゃったんですね。
それでやってたのが、清掃のバイトをしてたんですけど、全部それがなくなっちゃったりとか。
プールの監視員さんがなくなっちゃったりとか。
本当に上京したとたんに最初はもう本当地獄だーと思ってしまいましたね。」
鶴瓶「でもそっから、その短期間でここまで出るっていう」
やす子
「いやいや。運がよかったです。本当に。
ほんとに自分は腕もないですし、ネタも強くないですし。
何にもないので本当になんか恵まれてたなと思いますね」
芸人してるのを絶対バレたくなかった
鶴瓶「名前もええやんか。やす子って他にないやんか。あの本名知ってるか?「安井かのん」やで」
(小学校の卒業アルバムで小学校時代のやす子さんが映る)
やす子「はい~。かのんちゃんです。すみません。可愛くてすみませ~ん(笑)」
鶴瓶「子役みたいやな」
やす子「恐れ多いです。恐れ多いです」
藤ヶ谷「どっからのやす子なんですか?」
やす子
「あのー最初がそれこそコンビで入った時に、生きてくつもりで芸人になるつもりがなかったんで、誰にもバレたくなかったんですよ。知り合いに。
だから、偽名を使わなきゃって思って、あの名字の安井からちょっととってやす子にしたんですよ。
そうなんです。本当にバレたくなくて。芸人をしてるのが」
鶴瓶「でもそれが当たったんや、逆に」
やす子「ありがたい。確かにそうかもしれない。なんにも考えずにつけた名前ですね、これは」
人生が変わり始めた ぐるナイおもしろ荘出演
やす子
「ちょうど錦鯉さんが優勝して。
自分が…やす子が出るタイミングが同じぐらいで。
そのM-1の優勝と(ぐるナイの)おもしろ荘の効果で、どんどん若手が今入ってきて」
藤ヶ谷「でもあそこっから人生変わってきたなっていう感じなんですか?」
やす子
「変わりましたね。ありがたいことに
お笑いを観ずにこの世界に入ってきたので。
最初の頃はお笑いを見ない方がいいよって言われて、こう育てられましたね。」
「はい~」が生まれたきっかけ
鶴瓶「(明石家)さんまには会うたの?」
やす子
「さんまさん。はいー。
それこそテレビ出だしの1,2年は他局さんですけど、「(さんまのお笑い)向上委員会」に出させていただいて。」
鶴瓶「あれ大変やで。向上委員会」
やす子
「大変です~。戦場ですよ。ほんと。本当にもう、ほんと。
でもあそこに若手で何もできないうちに出させていただいたおかげで、今の自分があるのかなとはすっごい思いますね。
力がついたって言ったらおこがましいですけど」
鶴瓶「その頃から「はい~」言うてたの?」
やす子
「「はい~」って言ってましたね。
さんまさんから何か言われて、「はい~」っていうだけの繰り返しを向上委員会とかでずっとやってたりしてましたね。はい~(笑)」
鶴瓶「しつこいよな、あいつ」
やす子「えっと。はい~、しつこいです(笑)恐れ多いです。ありがたいです」
鶴瓶「いや、そっから「はい」みたいなんが生まれたんかもわからへんな」
やす子
「そうですね。うん、そうです。
あ、そうだ。でも一番最初に「はい~」が出たのは、「サンデー・ジャポン」なんですよ。
サンデー・ジャポンさんのロケのVTRを自分が出てたのを見たときに、なんか「はい~」っていうテロップが出てたんですよ。
え、自分こんなこと言ってるのかな?って思ったのがきっかけで、そっから自分のものにしたという感じですね。
見つけてくださったんです」
自衛官時代:生きていくために自衛官に
厳しかったが家族のようだった
鶴瓶「でも自衛隊に行ってたんやろ?」
やす子「そうです。いってました(高校卒業後自衛官に)」
鶴瓶「で今も調べたら、何かあったら予備の自衛隊としてボランティアで行くんやろ?」
やす子
「そうです。今も予備自衛官をしてて。
えっと何か災害があったら、出動したりとかする要員ではありますね。」
鶴瓶「どう?厳しかったですか?」
やす子
「そうですね。厳しかったですね。
でも、みんなしんどいことしてるんで、そんなに思わなかったですね。
自分だけしんどいってことがなかったんで。
あとは、一番例えばケガとかで遅れを取ってる人に合わせるんですよ、訓練とか。
だからなんかそれがすごくチーム力が増すんで、なんかこう家族みたいなんですね。小隊部隊が。
だからなんかずっと家族といるから、帰りたいとかは思わなかったですね」
鶴瓶「え?その一緒にいてた人は誰なの?その怒られたりしてたんは誰なの?」
やす子
「はい。えーと、稲井師長っていう方で、稲井奈々さんっていう方で、今もずっと連絡をとってる先輩ですね」
鶴瓶「その人に会うたのが良かったんやろうな?」
やす子「あ、そうですねー。」
児童養護施設で過ごした後、生活の為自衛官に
鶴瓶
「ソニーの人もそうやし。なんかすごい人に恵まれてる。なんでその自衛隊やったんや?」
やす子
「えーとですね、もともと自分が児童養護施設に、18歳まで、高校生の頃というか、まあお世話になってまして。
児童養護施設に住んでると、当時はですけども、今は違うんですけど、18歳になったら児童養護施設から出ないといけないんですね。
で、自分の場合、責任者・保護者がいなかったので、あのー家を借りたり、携帯を借りることができなかったので、衣食住が揃ってる自衛隊に…正直その時言葉を悪い言葉を言うと、入らざるを得なかったっていう感じですね。
それ以外もう暮らすところ、自分が生きてくために高卒で出て暮らす場所が当時の選択はそこしかなかったっていう感じですね」
鶴瓶「上手いこといったんやな、それが」
やす子「そうですね。自衛隊に行ってなかったら多分、本当に家も借りれず、ですね(笑)」
怒られてもニコニコ ふてくされない
鶴瓶
「ずっと一緒にいたその稲井(菜奈)師長が言うてはったわ。
もうめっちゃ怒ったけども。
ちょいちょい稲井さんのとこ行ってたよな?」
やす子
「そうです。本当に休みの日はあのー本当にうちの部隊で唯一の女性の先輩だったので、毎日…同じ部屋だったんですよ。
365日一緒にいるんですけど、土日も一緒にご飯を食べに行ったりとか。温泉に行ったりとか。
ずーっと一緒に生活してましたね。」
鶴瓶
「いやだから稲井さんは、もうポンコツで、もう何やってもアカンかったんやけど。
一番すごいのは、何言うてもふてくされないと。それがすごいと。
怒られても素直やと。
だからこの子はもう怒っても仕方がないから、やっぱりいいよう育てないといかんいうんで。
ええ人と出会うたやんか」
やす子
「いやーそうですね。なんか怒られた時の態度をどうしたらいいかがわからなかったんですよ。
だからなんかちょっとニコニコしてたんです。
怒られても「はい~(笑顔)」みたいな「わかりました~」みたいなので。
ちょっと諦めたんでしょうね。
で、それで優しくやってくれて」
藤ヶ谷太輔「わざと明るくしてたんじゃなくて、分からなかったんですよね」
やす子
「そうなんです。怒られた時にどうしたらいいか分からないっていうのはずっと子供の時からそうかもしれないですね。
なんかあんまり高校生くらいまで、感情をどうしたらいいかわからなかったんですよ。
怒れもしないし、まあ、ニコニコ明るくしてました。
あとは、養護施設にいたっていうのを言うと、ともだちに引かれたりとか、タブーに思われてる時があったんですね。
で、それから、あ、このことは隠さなきゃいけないのかもしれないって思って。あのー明るく振舞ってましたね。
で、養護施設にいたって言うと、可愛そうって思われてた時もあったんで。
そっからなんかウソの明るい自分でいたような気はしますね。
20歳くらいまでは」
鶴瓶「でも、それが逆によ。今度その養護施設行ってたからこそ、その日テレのあれで走んねやろ?」
やす子「ああ、そうです。8月31日走ります」
両親・家族について
母子家庭 金銭的な面から養護施設に
鶴瓶「親はいる?」
やす子
「自分の親ですか?
自分の母親は、ずっと母子家庭だったんですけど。
母親とはちょっと金銭的な面で、母親は悪くないんですけど、ちょっと自分が養護施設に入ることになっちゃって。
で、22歳位までは正直疎遠でしたね。
で、この芸人になり始めてから、母親と連絡を取るようになりまして。
今ここ数年は仲良くやっていますね。
自分はおばあちゃんもおじいちゃんも会ったことないし、親戚も会ったことないし、いとこもいなくて、バラバラだったんですけど、芸人になったからすごい恵まれてること、自衛隊時代から恵まれてるなと思って。
あ、これなんか人との縁ってつながなきゃいけないなって思って、母と妹に連絡を取り始めて。
最近では、今年のお正月も旅行に行ったりとか。」
藤ヶ谷太輔「どういう会話になるんですか?テレビ観たよとか?」
やす子
「そうですね。母親から「はい~」って言ってよって言われましたね。
今はすごく家族のことが好きで、時間が合ったり、休みはあんまりないんですけど、あったときは必ず山口に帰って、家族と過ごすようにしてます」
人生
上京の理由 「人と接したくなかった」
藤ヶ谷「ここ何年かでこう思い描いてた人生ですか?」
やす子
「いやー、全然違います。まずもう人生の選択で、芸人になるっていう選択がなかったので。
自分としては上京した理由は、人と接したくなくて。
本当にトイレの清掃で、便器と向き合う毎日を1年位やってたんですけど。
それぐらい人と関わりたくないなあって思ってたんです。疲れてて。
で、そんな中、まさかこんなにたくさんの人に影響を与えたりとか心を動かす職業になるなんて思ってなかったので。
本当に人生って多分何があるか分かんないし、なんかどの道を行っても楽しいんだなっていうのは思いましたね。
はい。すごい思います。」
多くの人に影響を与える今
藤ヶ谷太輔「でも今もう真反対じゃないですか。たくさんの人に会って番組を作るし、たくさんの人に届けるし」
鶴瓶「いや、やす子と会うたら元気出る言うやん?」・
やす子
「そうなんです。いわれるんですよ。それが嬉しいです。
なんか人と会うのが嫌だったはずなのに、なんか今は人から言葉をもらうのがすごく好きな自分を発見できたのは、すごく嬉しいですね」
鶴瓶
「いやそれは好かれるなんか要素をぜったいやすこがなんか持ってるねん。
いや、誰でもがないやん。
どこが好いた言うたら、あの子は本当に何してもふてくされない。
それでものすごい元気があってって。なあ?
やすこ「確かに元気は本当にありましたね」
空元気がやす子を作った 「明るくしてると周りも明るくなる」
鶴瓶「お父さん、お母さんがいないにもかかわらず、どこでそうしたんや?どこでそうなったんや」
やす子
「いや、やっぱり本当に空元気から始まったのはあります。最初は。
子どもの時のやっぱ貧乏で、シャンプーとかで体操服洗ってたりしたんですけど。
なんか本当にその自分にとって人に見られたくない部分を隠すための空元気から、あれ、明るくいると周りの人も笑ったり、明るくなるんだっていうのをまあ小学生ぐらいの時に気づきましたね」
鶴瓶「すごいこと言うてるね。これ」
藤ヶ谷太輔「それなんか、気づいたなっていう感覚っておぼえてるんですか?」
やす子
「そうですね。小学生のときとか中学生の時に、給食でしかお腹を充たせない時期があったんですけど。
その時にいっぱいおかわりするといじられるじゃないですか。
「またおかわりいってるー」って風にいじられてたときに、「いやー食べるの大好きなんだよね」みたいな感じであの明るく振舞った時に、みんなが笑ってくれたんですね。
それがあれ?自分はちょっと家で食べれないの隠して空元気で言ってたのを笑ってもらって。
あ、明るくすると隠せるし、みんなも笑うんだっていうのは凄く大きな発見でしたね。はい。そっから。
今はちゃんと本音で明るくなってますね」
鶴瓶「それで今は美味しいもん食べてるしな」
やすこ「そうですね。はいーパンパンです。体が本当に」
藤ヶ谷「それで忙しい時にご褒美になにか食べるものってあるんですか?」
やす子「自分は家系ラーメンが好きなので、あの家系ラーメンを食べてます」
鶴瓶「え?自分ではつくらないの?」
やすこ
「自分でも作っちゃうんです。骨から煮込んで作っちゃいます。はい。
夕方夜ご飯に17時位に作り始めて、朝の4時に出来ます。骨から煮込んで。部屋もすごい匂いになって。
この間マネージャーさんがうちに来たときに、「牛飼ってる?」って言われて。
それぐらい本格的に作ってますね」
支えてくれる芸人の先輩たち
すごい暗かった芸人初期→子供に愛されるスターに
藤ヶ谷太輔「僕が取材した方々は、年々明るくなってるよって」
やす子
「それすごい言われますね。
なんか東京に来たときは、空元気に振舞わなくていいなと思って。
最初の頃に出会った芸人さんたちの前ではすごい暗かったんですけど。
テレビ出て、あの受け入れられてから、だんだん、もっともっと明るく。
すごくポジティブになりましたね。
へこむこともなくなったし、落ち込むこともなくなりましたし。
どんな状況でもポジティブにとらえれるようになった気がしますね」
藤ヶ谷太輔「言ってました。すごい最初はすごい人見知りだったけど…」
やす子
「カズ(レーザー)さんと(納言)薄幸さんだー。ええー。
カズさんもお世話になってて。
カズさん家で、それこそ薄幸さんとかトレンディのたかしさんとか一緒に飲んだりとかしてますね」
藤ヶ谷
「でも2人そろっていってたのが「やすこはスターだ」っていってましたよ」
やすこ
「え!?なんだそれ、はずかしい。ええ そんなきいたことないですけど」
藤ヶ谷太輔
「っていうのも、子供からも愛されるのってやっぱりスターの証だし。
例えば賞レースをとって色んな番組を一周させてもらうっていうことはあるけど、賞レースをとらず、色んな番組を一周するって相当難しいし、大変なことらしいんですけど。それをできてるっていうのも含め」
鶴瓶「カズがそれいうてんねんからすごいで」
やす子
「そんなでも、正直この2人からそんなお褒めの言葉っていうのはあんまり聞いたことないかもしれないです。
鶴瓶「どんなこと言われるの?ふだんは?」
やす子
「普段はほんと他愛もない話。
お笑いの話もそんなしないんですよ。
本当に賞レースの時期だけネタどうする?とか話す中で、たまに褒めてくださるんですけど。
こんな風にそんな思っていただいてたんだっていう嬉しさが今すごいありがたいですね」
必ず言う言葉「良い1日を!」
(なごんみゆきさんとディズニーランドで2人で撮った写真が写る)
藤ヶ谷太輔
「なんかこうやってディズニー行っても、なんか私服でも迷彩をはくようになったらしくて。
だからこういうディズニーとかいってもやっぱすぐばれちゃうらしいんですね」
やす子
「ばれちゃう。ベイマックスのかぶりものした時に、かぶってるのになんかすぐやす子だってばれて。
めちゃめちゃ高校生に追いかけまわされたりとか」
藤ヶ谷太輔
「で、色んな方にやっぱりたくさん声かけられて。
でも一番最後にやすこさんは「良い1日を」って必ずみんなに」
やす子
「そうですね。なんか外国とか「はぶあないすでい」って言うんで。
じゃあ日本語で「今日もよい一日になりますように」っていうようにはマストでしてますね。
ロケとかで声かけていただいたりしたら。そう言うようにしてますね。
いやもうほんとこんななんかすいません。申し訳ないです。
いい人っぽく映るの申し訳ないですけども。
私は本当に何にも出来なくて。めんどくさがりやで。
あんまりその人としてはできてないんですけど、そういってくださってありがたいです。はい」
支えてくれる先輩たち
藤ヶ谷太輔「でも薄幸さんも言ってましたけど、やすこさんが怒ることってありますか?」
やす子
「怒ること?いやーなんか自分怒る時とかになっちゃうと、泣いちゃうんですよね。
そっちが勝っちゃうんですよね。
なんか、うわーあれーなんかちょっと嫌だけど言えないな言えないな…シクシクシクみたいになっちゃうんで」
鶴瓶
「いやいや。それ泣くって素直なんやな、それ。
ライブの時になんか出てこなかって泣いて、客が笑ろうて。
ザコ(シショウ)が「泣いて笑われるって最高やで」って言われた」
やすこ
「そうです。ハリウッドザコシショウさんと同じテレビでネタ番組出た時に、ネタとばしちゃって、泣いちゃって。初のネタ番組で。
そでにはけちゃったときにハリウッドザコシショウさんが「泣いても笑いに変わってるんやからそれが芸人やからええんやええんや」って言ってくださって。
芸人って喜怒哀楽全部お笑いになるんだなとは思いましたね」
鶴瓶「だからええとこ入ったで」
やすこ「ええとこ入りました、本当に」
鶴瓶「小峠でもメール来てな?なんか会ったらなやみいつでもいうてこいいうてね?」
やすこ「そうです」
藤ヶ谷「すごいですね。支えてくれる人いっぱいいるんですね」
やすこ「支えてくれる方がいっぱいいます。良い事務所ですよ」
鶴瓶「俺もソニー入ろうかな?(笑)
でも、会うたら元気になるって言われるのは嬉しい?やっぱり」
やすこ
「めっちゃくちゃ嬉しいですね。
なんか自分がいるだけで元気にできてるって最高の存在じゃないかとは思いますね」
将来の夢
藤ヶ谷「これから先はどう考えてますか?」
やすこ「これから先かー」
藤ヶ谷太輔
「あの、お2人とも話したし、僕も資料読ませていただいて。
漫画も描きたいし、獣医さんにもなりたいし。
で。お2人も行ってたけど、夢がたくさんあるのがうらやましいって」
やすこ
「そうですね。やってみたいことたくさんあるんですけど。
今JUNONでマンガ書いてます(2023年~)。
そうなんですよ。そうなんです。
1ページこう日記を書かせていただいてるんですけど。
なんか自分は今はまずとりあえず、お仕事があるうちは芸能界でぷかぷかと流されてみて。
でそのうちのなかでやってみたいことは、子ども食堂をやってみたくて。
あとはそれこそ漫画も好きなので、コツコツゆっくりでいいんで、やりたいことがみつかった時に、やってみる人生にしようかなって思ってますね」
鶴瓶「なんだかすべてがもうええように回りだしてるから」
やす子「いやいや。こんななると思わなかったなあ、生きてて。はい。」
鶴瓶
「いや、だから、辛いこと。
すべてが色んなことあったやろうけども、幸せになるためのマイレージみたいなもんやで、それ」
やすこ
「そうですね。今すごい幸せなんで。
やっぱ前向きに生きると、ちゃんと明るい方に行くんだなって思いますね。
鶴瓶「それその言葉すごいええよ」
やすこ「あ、ほんとですか?ありがとうございます」
鶴瓶
「もうやっぱポジティブにいることって、すごい大事やんか。
やっぱ落ち込むやんか皆。ちょっとしたことで。
まあ、それぞれ違うけども。
でも明るくしてたらやっぱそっちになってくるやんか」
やすこ
「そうですね。やっぱり最初辛かった時に空元気から始めたのでも、今良かったなって思いますね。はい」
鶴瓶「一回みんなやってみ?空元気」
やすこ
「はい。あの疲れたときとかおっきな声で「はい~」って言ってみてください。
どうでも良くなるんで本当に」
やす子が事務所に送った履歴書
志望の動機、特技、好きな学科など
『世界中の人を笑顔にできる芸人になりたいです。
実力をつけ、各タイトルを取り、TV等でも活躍できるように成長します。
強い芸人になります』
と書かれている。