【しゃべくり007】手越祐也さん 母親参観SP!(2025年5月12日放送)

上田晋也「お母様が見守る中?」

手越祐也
「違う違う。俺聞いてないんすよ、それ。(笑)
俺、母ちゃんいるんすか?今日。お母さんが見守る中?
いやいや。今日あの家出る時、母親の昼ご飯食べてから来てますんで」

徳井義実「え⁉実家なの?実家暮らしなの?」

手越祐也
「違う違う違う。バリバリ一人暮らしなんですけど。
これ収録があると犬飼ってるんで、ちょっと長丁場だと犬放置可哀想なんで、親がこう見ててくれるんですよ」

上田晋也「えーでも全然今日そんな素振り見せてなかった?お母さん」

手越祐也「全然。いってらっしゃいって。犬抱えながら」(笑)

上田晋也「ていうか、じゃあお母さんその犬誰に預けたんだろうね?」(笑)

 

(スタジオ別室にいる手越さんのお母さん(後ろ姿)と映像がつながる)

上田晋也「お母さん?」

手越母
「はい。来てます。よろしくお願いします。はじめまして。
(今日来ることを)もう黙っているのが大変で。(犬は)ちゃんとお預けしてるよ」

原田泰造「おかあさんは、手越君が家出てから、どのくらいしてから出てきたんですか?」

手越母「5分か10分で」

手越「はや!嘘でしょ?」

上田晋也「今までテレビでご共演とかあったんですか?」

手越母「いえ、1度もないです。協力できることは、何でもしなくちゃなって」

上田晋也「息子さんの為に?」

手越母「はい」

手越祐也
僕どっちかっていったら、亡くなった親父の血を引いてるので。
どっちかと言うと静かにあんま人前に出たくないタイプの母親なんで。
僕と正反対なんですよ」

上田晋也
「ご自宅に大切に保管されていた大量のアルバムから、手紙、さらに幼少期から大切に撮りためたホームビデオなど提供していただいていると」

 

手越祐也さんの人生アルバム

1人っ子で父親似

ハンサムでモテた父…お酒、車、ゴルフ、女性が好きだった

上田晋也「手越君一人っ子?」

手越祐也「1人っ子っす」

上田晋也「あ、だからやっぱり写真の量も多いんだね」

手越祐也「はい。もうメチャクチャ両親の愛を受けて育ったと思うので、はい」

上田晋也「手越君は、小さい頃っていうのは、やっぱり甘えん坊だったりしましたか?」

手越母「本当にお母さんっ子で。いつもベタベタくっついてましたね」

上田晋也
「ああ、そうですか。僕は父親の血を受け継いでるみたいなこと言ってたけど。
お父様はどういう方だったの?」

手越祐也
お酒も好きですし。あともう、車が好き。で、僕もそうなんですけど。で、ゴルフが好き。で、えっと聞く話によると、えー女性が好き」(笑)

有田哲平「お母さん お母さん!」(笑)

手越祐也「違うこれ。母親から聞いたんですよ」

有田哲平「お母さん!」

手越母「女好きというよりは、モテていたということを聞きました」

原田泰造「最初会った時、どんな感じしました?」

手越母「いや。ハンサムでしたね」

上田晋也「祐也は父の血を受け継いでるなぁとかって思われますかね?」

手越母「趣味に関しては、似てるかなと思います」

 

幼少期

①ヤンチャでいたずらっ子だった

”我が家の宝物だった車。手放す時は祐也が一番寂しがっていました”

上田晋也「これ覚えてます?」

(当時手越祐也さん3歳の時に、車のボンネットの上に乗り、ピースしている写真が映る)

 

手越祐也
「覚えてます 覚えてます。やっぱり家族が乗って、父親とか母親が運転していた車が変わる時、ペットが出て行くじゃないですけど、なんか小さいながらにもずーっと乗ってた空間の物がいなくなってしまうみたいなので、結構泣いたりとかしてた記憶あります」

上田晋也「活発な子だったり、ヤンチャな子だったりとかそんな思い出ございますか?」

手越母
とってもヤンチャでした。
お買い物に行って、私がメニューを選んでいる間に、自動ドアがロックされたんですね。
で、次のお客様が入ってこれなくなっていて。
後ろ振りむいてどうしたんだろう?って思っていたら、祐也がニヤニヤ笑っていて。自動ドアのスイッチをどっかで見つけて、止めてました」(笑)

上田晋也「結構、いたずらっ子だったの?」

手越祐也
「ですね。で、今でも変わらないんで。
自動ドアはやらないですけど、周りの仲間とか、例えばすっごいとんでもない辛いなんかこうふりかけみたいな、一味(唐辛子)みたいなやつ持ってって。バレないように入れたりとか。
それ、今でもしますね」

上田晋也「いやもう、手越君いくつよ?今年齢」

手越祐也「僕37(歳)になりました」(笑)

上田晋也「もう落ち着いていいんじゃないか?イタズラは」

手越祐也
「成長しないんすよね。なんかもう。
なんかそのキャッキャッキャッキャッやってるのが好きなんですよ」

 

②母には恋愛のことも話す

上田晋也「やっぱちょっとやりづらい?お母さんがいると」

手越祐也「いや、そんなことないですよ」

上田晋也
「プライベートなことを語るとかっていうのに、チョット母親の前でそういう話はしづらいなとかもあったりするじゃない?」

手越祐也
「僕多分そういうたぶん常人の何て言うんですかね…ネジが多分外れてるんで。外れて、ないんですよね」

原田泰造「初めてキスした時も言った?」

手越祐也
「僕言いました 言いました。(スタジオ「え~」)
とか、初めて彼女ができたときとか。結構割と報告する方です」

福田充徳「お母さん!お母さん!お母さん!」

有田哲平「お母さん別に大丈夫ですか?初キスの報告とか受けても」

手越母「う~ん…あんまり聞きたくはなかった」(笑)

有田哲平「そうですよね。ほらほら」

 

③赤ちゃんの時は手がかからないイイ子だった

(手越祐也さんが0歳の時に祖母がご飯をあげ、お父さんがビデオを撮っている映像が映る。お父さんが楽しく喋りながらビデオを回している映像を見て…)

上田晋也「楽しいお父さんじゃん」

手越祐也「はい。だから、この感じなんですよ。やっぱり、常に喋ってたりとか」

上田晋也「夜泣きで大変だったとか。ちょっと育てるの大変だったなんて思い出ございますか?」

手越母「いえ。本当にベビーの時は、手がかからないイイ子でした。この時期はイイ子でした」(笑)

有田哲平「短いですね。0歳まで?」

上田晋也「0歳で終わったんだ、いい子時代は。じゃあ、3歳見てみましょうかね」

(ホームビデオ手越祐也さんが3歳でスキーデビューした時の映像。
父が裕也さんにスキーを教え、母がビデオを回している。スキーで滑り転んで泣く映像が映る)

手越母「バブル時代ですね」

上田晋也「あ、バブルは経験してますか?お母さん」

手越母「はい、してます」

有田哲平「やっぱりそういうジュリアナ(東京)とか?」

手越母「行ってません 行ってません」(笑)

有田哲平「お母さん、バブルの時何のドラマ見てました?」

手越母「裕也と見ていたのは、「東京…」」

有田哲平「東京ラブストーリー?あ、局が違うのでやめてください、そういうの」(笑)

 

④4歳~5歳のホームビデオ…家族旅行&歌を歌う

(手越祐也さん5歳の時の映像が流れる。家族旅行で生みに行った時のホームビデオ。

手越祐也(5歳)「バッター デストラーデ!おっと!」(砂浜を勢いよく走りだす)

手越父(当時)
「パパが砂浜に描いたやつがあるんだけど。パパの気持ちです。
ゆうやすきだよ パパよりって書いたよ」

(砂浜に大きな字で『ゆうや すきだよ パパ』と書いてある)

手越祐也(5歳)「ゆうやはママのことが一番好き」

手越父(当時)「パパは?」

手越祐也(5歳)「二番目。おばあちゃんがいなかったら大好き」

手越父(当時)「おばあちゃんがいたら?」

手越祐也(5歳)「三番」

手越父(当時)「そうなの…」

 

(別な日、当時4歳でKANさんの楽曲「愛は勝つ」を歌う映像が映る)

上田晋也「4歳にしては、音程外さずにうまいよね?」

手越祐也「スキーとか行くと、当時こう100円で1曲とかでカラオケ歌えたじゃないですか。なんか家族でみんなで歌ったりとかもしてましたね。はい」

上田晋也「小さい頃の祐也くんの歌うまいんじゃない?っていうのは家族で評判になったりしてましたか?」

手越母「音程は外さないので。親戚の中でもこの子上手よねとは言われてました」

上田晋也「歌うまいかもって思い始めたのは何歳ぐらいなの?」

手越祐也「中学生の時に、学校帰りにカラオケよって、クラスメイトと一緒に歌った時が初めてで。
その時に歌った時に、「え、手越メチャクチャ歌うまいじゃん」って言われて。
褒められて伸びるタイプだったんで」

上田晋也
「当時一緒にカラオケに行った親友カワバタさんからの情報と。
『仲間うちでは手越の歌のうまさは有名になっていて、鉄板だったのはポルノグラフィティやL‘Arc~en~Ciel、EXILEなど。中でも「サウダージ」はめちゃくちゃうまかったのを覚えています』」

堀内健「お母さんは歌はうまいんですか?」

手越母「いえ、ヘタです。自信ないです」

堀内健「サウダージいける?」(笑)

上田晋也「歌わすな!」

 

幼稚園時代

婚約者が2人!?

手越祐也「幼稚園の時は、婚約者が2人いましたね」

スタジオ「え⁉」

手越祐也「はい。鮮明に覚えてて」

有田哲平「婚約者2人いたの知ってましたか?」

手越母「知ってました」

有田哲平「それじゃあ、注意しました?今もね。変わってないんですよ!」(笑)

上田晋也「お母さん、今は注意しなきゃいかんね、そしたら」

有田哲平「1人だけって決めてないんですよね」

手越祐也「割と周りに、確かに女性はいたかもしれないですね」

有田哲平「(幼稚園の頃の写真)女の子みたいに可愛いよね」

手越祐也
「なんか母親が元々女の子が欲しかったみたいで。で、僕1人しか生まれなかったんで。
だからちょっと髪の毛とかも長めだったりとか(肩ぐらいまで伸ばしている6歳の頃の写真が映る)。
女の子っぽい感じですね」

 

とにかくヤンチャ…学校に行く前に音読させた3つのルール

上田晋也
「当時ね、通っていた幼稚園のしげみ先生からお話を伺ったと。

(当時の担任しげみ先生からの情報)
とにかくヤンチャで、教師人生で一番名前を呼んだ園児でした。
ある時「お友達が泣いたから ちゃんとなでてあげたよ」って言ってきたので褒めてあげたが、原因はユウくんが叩いたせいでした。』(笑)

お母さんもそういう祐也くんのことをまあ怒った記憶とかはございませんか?」

手越母「やってはいけないことは伝えていたと思いますね」

上田晋也「例えばどういう注意を伝えてらっしゃいました?」

手越母
玄関に張り紙をして。学校に行く前に、3つのルールっていうのを音読させていたことがあります」

上田晋也「で、その3つっていうのは何なんですか?」

手越母「殴らない…人を殴らない

手越祐也「ハハハ(笑)!」

上田晋也「まずそれですね。2つ目は?」

手越母「女の子にチューをしない

手越祐也「アハハハハ(笑)」

有田哲平「あともう一個は?」

手越母「背後からスカートめくりをしない

(スタジオ爆笑)

堀内健「それ書かなきゃ分からない事かね?」

上田晋也「どんなシチュエーションで手越君チューをしてたんですか?」

手越母
父親が家庭ですぐハグをしたり、キスをしたりするのが、あの通常営業っていうか。普通だったんですよ。
その中で育ってきているので。学校でも区別がつかないで、好きな女の子ができたら、その愛情表現をしていたんだと思います」

スタジオ「え~」

有田哲平「それお母さん、厳しく怒りました?ちゃんと。いまだに全部なおってないんですよ。(スタジオ爆笑)
キスもスカートめくりも。人も殴るし」

手越祐也「違う違う違う(笑)」

 

小学校時代

モテモテ、ガキ大将、委員長や応援団長

上田晋也「自分から結構女の子には積極的にアプローチするような子だったの?」

手越祐也
「してましたね…たぶん。
自分が小4か5の時に、その1学年、2学年下ぐらいの女の子たちに囲まれて、その子達と一緒に下校してました」

原田泰造「へぇ~すげえ」

徳井義実「女の子ばっかのグループでも関係ないって事?」

手越祐也「あ、全然」

原田泰造「だってさ、女の子にそう行ってたら、他の男の子からさ、こう嫉妬してわ~ってなんない?」

手越祐也
「でも、なんかその結構ガキ大将的な感じだったんですよ。
なんかその、全部委員長やって。リレーの選手やって。応援団長やってみたいな。
結構、常に仕切る側のトップみたいな」

堀内健「学校の行事にも積極的に参加するタイプだ」

手越祐也「そうです」

有田哲平「やることやって、女遊びもしてたわけね」(笑)

 

好きな子に告白したが、フラれる

上田晋也「好きな子とかはいなかったの?」

手越祐也「いました いました」

上田晋也「何て言う子?」

手越祐也「えっと、ジンボ マリナちゃんっていう子が好きでした」

原田泰造「この子 この子?」

(小学生の時のジンボ マリナさんの写真が映る)

手越祐也「その子です。この子のことが大好きで。」

上田晋也「告白みたいなのしたの?」

手越祐也
「いや。したんですけど。確かクラスのコバヤシくんが好きっていう。
他の男の子のことが好きだみたいになんか言われて。
で、僕その確かクラスのその仕切ってるような立場にいたんで。
席替えのそれがくじ引きだったんですよ。
くじ引きもうまーくこう利用して。
必ずジンボちゃんが近くにいるように」

原田泰造「マジで!?そんなことできんの?」

有田哲平「そこまでしてんのに、コバヤシくんにとられんの?」

手越祐也「そうなんですよ。え、ちょっと…みたいな」

上田晋也「好きって言ったけど、「いや、私コバヤシくんが好きだから」みたいなことを言われたの?」

手越祐也「「いや、ちょっと…」みたいな。もう、もうフラれたというか、はい。」

上田晋也「それだけモテモテだった祐也くんが」

手越祐也
「ちょっとそのお調子者だったんで。
コバヤシくんって静かでクール系だったんですよ。やっぱ分れるじゃないですか。
クラスの人気者になる人とクールでモテる人みたいな」

堀内健「じゃあ、ちょっと悔しかったんじゃない?」

手越祐也「メチャクチャ悔しかったっすね」

上田晋也「それアプローチは1回だけ?」

手越祐也「1,2回確かしたんすけど、やっぱダメだったんすよね」

上田晋也「今日はなんとジンボさん来てくれてると」

スタジオ「え~!」

手越祐也「は?ほんとに?」

(ジンボさんスタジオ登場)

手越祐也「うそでしょ?」

上田晋也「小学校時代の手越君で何か印象深く覚えてる事なんてございます?」

ジンボさん
「あ、あのー女の子男の子関係なく、すごいみんなとあのーヤンチャして遊んでるっていう。あのーワーワー遊んでるっていうイメージが」

有田哲平「まあでも、ジンボさんはちょっとお眼鏡にかなわなかった?」

ジンボさん「あ、ああそうですね」(笑)

上田晋也「だって、モテモテだったんでしょ?」

ジンボさん
「ウチの姉とかも「あ、かっこいいよね」みたいな風に。
「あ、顔キレイだよね」とか言ってたんですけど。いや、あの全然」(笑)

有田哲平「コバヤシくんが良かったの?コバヤシくんの方が何で良かったんですか?」

ジンボさん「あのーコバヤシくんじゃないんですけど、好きだった人。スエヨシくん」

手越祐也「あ、ああ。足速かったんだ」

ジンボさん「そう。足速かった」

手越祐也「そうだ、スエヨシだ。メッチャ足速かったんですよ。でも、俺も速い方だったんですけど。唯一鬼ごっこで追いつかないやつがスエヨシだったんですよ」(笑)

上田晋也「でも、手越君からアプローチされたでしょ?告白というか」

ジンボさん「え…告白の覚えがなくって。え…されてない…」

手越祐也「でも、そのクラスで「好きなんだよね」みたいな話は絶対してるんですよ」

上田晋也「え、実際直接好きって言われた記憶は?ジンボさんは…」

ジンボさん「ないんですよ、はい」

手越祐也
「そうか。余裕がある側は覚えてなくて、フラれた側は覚えてるじゃないですか。
フラれた側は覚えてるんですよ」(笑)

上田晋也「どういうシチュエーションだったの?」

手越祐也
「普段あんま、昔から緊張しないんですけど。
今日想いを伝えるぞっていうのが自分の中で一大決心なんで。もうガクブルガクブルしてる中。
放課後か休み時間で、周りの人がちょっと減ったタイミングで、「ねえねえ」って言って伝えたのを覚えてるんですよ」

ジンボさん「え~?」

上田晋也「全然覚えてらっしゃらない?それぐらい興味なかった?」(笑)

ジンボさん「そうですね(笑)」

福田充徳「席替えでいつもジンボさんの近くになってたっていう」

ジンボさん「いや~知らなかったです。グループになる時はあの「こっち来て」とか言われてたので、一緒に」

手越祐也「その班で分かれる時ね」

有田哲平「それでもなびきませんでしたか?」

ジンボさん「あ、全然まったく」(笑)

有田哲平
「でもさすがに今こんなにもスーパースターになってるわけじゃないですか。
ちょっと惜しいことしたなとは思うでしょ?」

ジンボさん「え、いや…」(笑)

有田哲平「厳しいな。ジンボさん厳しい」

堀内健「あのジンボさんテレビで見てて、いいなとかファンの人います?」

ジンボさん「大人な感じが好きで。で、強い人が好きで。坂口憲二さんとか。ワイルドな方」

スタジオ「ああ~」

有田哲平「チャラくないっすよね。チャラくないですね」

手越祐也「俺もうだから全然タイプじゃないんだから。(笑)
全然違うもん。坂口憲二さん全然違いますもんね」

上田晋也「ちなみにジンボさんご結婚はなさってる?」

ジンボさん「あ、はい、そうですね。子どもが2人」

上田晋也「そのタイプ的には手越君みたいなタイプではない方?」

ジンボさん「あ、全くあの…15歳上のあの~はい。大人な」

スタジオ「落ち着いた感じだ」

上田晋也「手越君のその芸能界での活躍ぶりっていうのは、もうずいぶん昔からごらんにはなってましたか?」

ジンボさん「テレビに出だしたときに、あのー小学校の友達から「スゴイね!出てるね!」とかって聞いて「あ、頑張ってるね」みたいな感じの話は友達とずっとしてます」

上田晋也
「なんでしょう。手越君が出てる例えばバラエティーとかドラマとか。
ライブに行ったりなんていうのも?」

ジンボさん「あ、全然一切してないです」(スタジオ爆笑)

原田泰造「全然興味ないじゃない」

手越祐也「でもやっぱり、そうやって好きだった人がやっぱご結婚されて、今幸せな生活を送られてるっていうのは僕やっぱ嬉しいんですよ。やっぱり」

有田哲平「世の女性、結構手越くんの事好きだと思ってたけど。いるんだね。全然って言う人いるんだね(笑)」

手越祐也
「いやでも俺は、逆に嬉しいっすよ。
やっぱりそのーいうなれば僕の中でやっぱクラスのマドンナだったんで。
がやっぱり、いつまでたってもなびかない。
これでもし、こうデビューしてちょっと名前が出たからって、「いや~本当は連絡しようと思って」とか「いや、今ならもしかしたら…」っていう方が嫌です。
もうそのままでいてほしいです。もうそのままでいてほしい」

有田哲平「まだ頑張んないとな、手越君」

手越祐也「俺、頑張って売れる!売れます!」

上田晋也「いや、もう十分だよ!ジンボさん何か最後にメッセージございますか?」

ジンボさん「えーそうですね。裏表のない、このままの手越で頑張っていってほしいなって思ってます。ありがとうございます」

手越祐也「ありがとうございます」

 

中学校時代

4歳からサッカーのクラブチーム、中学は私立明大中野中学へ

上田晋也「サッカーはいつやってたの?」

手越祐也
4歳からクラブチームに小6まで入っていて
中学校からは、あのー明大中野(中学)…明治大学付属の。そこのサッカー部です」

上田晋也「私立に行きたいっていう希望があったわけ?」

手越祐也「あ、ありました。もう小学校だから2年生ぐらいから、塾通ってます。」

上田晋也「えーそうなんだ。それは何の?お母さんに勧められてとか?」

手越祐也
「当時行ってた小学校が、その公立の中学校の横を通って奥にある小学校だったんですね。
で、その小学校の時に、その小学校に向かって歩いてたら、この中学校の校舎の上から、「おーい!」って僕呼ばれたんですよ、中学生に。
で、パッって見て「なんだろうな~?」って思ってたら、口から水をペッって吐かれたんですよ。
っていう一件で、「あ、公立の中学校っていうのは、こういうバカしかいないんだ」」(笑)

スタジオ「違う違う違う違う」

上田晋也「そいつが悪かっただけ」

手越祐也
「いや、やっぱり小学校2年生なんで。「ここの校舎にいる人が全員そうなんだ」って認識したんすよ。
だから、「受験するから塾に通わせてください」って言って、塾通わしてもらってました

スタジオ「へえ~すごいね」

 

中学は全然モテなかった&勉強もできず

上田晋也「ちなみにね、同級生のカドヤさんミチキさんから情報を」

手越祐也「あ、サッカー部の仲間っすね」

上田晋也「まあ中学時代ね。

(カドヤさん、ミチキさんからの情報)

当時の手越は周りにモテる男子がたくさんいたこともあり、全然モテるタイプじゃなかった。』」

有田哲平「え!人気者じゃなくなってったの?どんどん」

手越祐也
「全然。男子校だったんで、もちろん女性もいなかったんですけど。
周りはホント結構女の子にキャーキャーキャーキャー言われてるような結構イケメンがたくさんいたんで」

(客席に中学時代のお友達ミチキさん、カドヤさん、カワバタさんが来てくれた)

手越祐也「確かに今見たらそうだ。気づかなかった」

上田晋也「カドヤさん、覚えてる事とかございますか?ハッキリ」

カドヤさん
「中学サッカー部の時に、彼まあ試合の会場から家が遠いことが多かったんで。
その試合の前日とかは、よくまあ家に泊まりに来てた。
あの僕実家が銭湯をやってて。あのーよく一緒に入ってたんですけど。
何かの番組で「俺銭湯行ったことないんだよね」って言ってたのがちょっと…。
僕の家の家族LINEはちょっと騒然としてたっす」(笑)

上田晋也「ミチキさんとかは覚えてる事ございますか?」

ミチキさん「もう0点ばっかりのテストをとってましたね、よく」

有田哲平「そんな悪かったの?」

上田晋也「あ、そうなんですか。学校の成績が良かったとか、そういうイメージはないですか?」

カドヤさん「いや。まあ、僕が頭悪かったんで。に比べると…」

上田晋也「あの、失礼な事聞いてすみませんね。(笑)申し訳ございません」

堀内健「いいかげんにしろよ。かわいそうよ」(笑)

 

ストレスで腹痛や病的なフケ…トップから勝てない環境に

上田晋也
「お母さん。手越君学生時代、中学時代。
いわゆる反抗期みたいなんで、お母さんを悩ますとかそういうのなかったですか?」

手越母
反抗期は全くなかったですね。
ただあのー中学に入って初めての電車通学。初めての男子校
それで色んなストレスを抱えたみたいで。
電車の途中で腹痛になって学校に行けない。
病的なストレスからのフケで、病院に連れて行ったこともありますし。
結構、大変だった時期でしたね」

上田晋也「ああ、そうなんですか。そういう時期があったんだ」

手越祐也
「だから僕、昔はメンタル弱かったんですよ、その当時は。
で、やっぱそのストレスでちょっとこうフケが出てきちゃったりとか。
ちょっとこう(肌が)荒れたりとかもあったんで。

だからその、昔から無敵じゃないからこそ、今なんかこうちょっと悩んでる人とか、ちょっとメンタリティーがっていう人に、なんとなくやっぱアドバイスできるんですよ。

こういう心持ちでいけば、ポジティブになれるよとか。
昔はそうじゃなかったんで」

上田晋也「それはなに、新しい環境にちょっと適応するのに時間がかかったってことなの?」

手越祐也
「そうっすね。やっぱ小6までは、さっき言ったように、常に自分がトップで。
で、なんでもコントロールできるみたいな感じだったんすよ。
(好きな人の)席も近くにしたりとか。

でも中学校になって、やっぱこうモテもしないし。
もっとモテて、イケイケな人達がクラスメイトにいたんですよ。
で、サッカーやれば僕よりサッカー上手い人も出てくる

ってなって、やっぱその自分がトップだった環境から、勝てないなっていう環境になった時に。
たぶん、そのストレスがデカかったのかなと思いますね」

カワバタさん「やっぱ誰もいない時によく1人で泣いてたりっていうのが。僕はちょこちょこ見てましたね」

上田晋也「ほうほう。カワバタさんはなんか慰めたりとかなさったんですか?」

カワバタさん「あ、僕特にその時は…」

上田晋也
「慰めろよ。(笑)何が特にその時は…。
どうですか?でもその当時はそんなモテてはいなかったのかもしれないけど、歌はうめぇなって感じでしたか?」

(うなずく中学の同級生3人)

上田晋也「やっぱり」

有田哲平「あ、それはそうなんだ」

ミチキさん「(キーが)高い曲に挑もうとすることも結構あって」

 

アイドル時代

事務所ではレッスンが無く、自腹でレッスンを受ける

上田晋也
「どうなのやっぱり。歌を歌いたい!って気持ちが一番強かったんですか?お芝居したいとかより」

手越祐也
「もう歌っすね。で、やっぱそのアイドルって別に歌手でもないし、俳優でもないし。で、もちろんコメディアンでもないじゃないですか。
それはそれでだから、全部が出来るって意味では素晴らしいんですけど。
やっぱステージに立つ以上、その歌の部分とかっていうのは、やっぱりお金払ってファンの方が来てくださってる以上、そこはちゃんとしっかりしなきゃいけないと僕は当時から思ってて。
そのなんか第一人者になりたいなって思いはありました」

上田晋也「レッスンというか特訓というか、頑張ったの?かなり」

手越祐也「がね、(当時)(レッスンが)ないんですよ

上田晋也「うん?」

手越祐也
「正式に事務所のものは。なんで、これはアカンと思って。
僕はその自分で、自分たちの曲のコーラスを録ってくれてた方がいて。
その人に直接アポを取って、渋谷のカラオケとかに行って、自腹でお金を渡して、2時間とか習ってました

スタジオ「ええ~!」

手越祐也「事務所がやってくれないものは、自分でやるしかない

福田充徳「え、事務所やってくれへんねや」

手越祐也「(公式には)なかったんですよ」

福田充徳「ああ~そうなんや」

有田哲平「でも、教えてもらうと全然違うの?」

手越祐也
「いや、違います、もちろん。
なんで僕は結構事務所辞める最後の方は、歌を逆に後輩に教えてあげてたんで」

上田晋也「例えば誰に教えてたの?」

手越祐也
「僕はSixTONESの京本大我とか。あとSnowManとかも何人か。
ラウールとか教えましたね。
その教え始めてちょっと経ってから僕が退所しちゃったんで」

上田晋也
「例えばじゃあ京本君とかラウール君とかが歌ってるの見て、「ああ、ああなんかいい歌い方してるじゃん」とかっていうのは思ったりしますか?」

手越祐也
「ちょうど僕がテレビから1回離れて…事務所辞めたときに離れたときに、まあ彼らが歌ってる姿とか見たら、やっぱすっごい嬉しかったっす。」

有田哲平「じゃあ、ちゃんと後輩からもお金取ってたんだ」

手越祐也「いや、取ってないっすよ、取ってるわけないじゃないですか」(笑)

 

独立し、自分のツテだけで活動を始める

上田晋也「でもソロになってから、ここまでっていうのは、だいぶ大変だった?」

手越祐也
「大変でしたね。やっぱそのー自分がホントに1人っきりでやってたんで。
僕の場合は本当に誰もいない状態で。

マネージャーもいない。ファンクラブの作り方も分からない
じゃあ、ライブやりたい。会場ってどうやって押さえんの?
っていうのを何も分かんないチームの所にポンって放り出されて。
そこから作り出したんで」

原田泰造「チームはあったの?」

手越祐也「ないっす」

原田泰造「え?一人じゃん」

手越祐也「一人っす」

原田泰造「え、どうしたの?」

手越祐也
「あ、そこから、まあ僕のさっき言った中1からの同級生(宇田川さん)に「ちょっと俺のマネージャーやってくれない?」って。
で、全然芸能界の事知らない友達に、そのチーフマネージャー的な事をお願いしたりとかしたんで。
何にもツテがなかったっす。(スタジオ「え~」)
あったのは、だから僕のツテです」

堀内健「でも、その人たちはさ、元々仕事とかしてたわけじゃないの?それを辞めさしたってこと?」

手越祐也「他の仕事は基本的にもう辞めて」

堀内健「辞めて?ついてきてくれたの?」

手越祐也「手越が第二の人生かけてやるならついていく

原田泰造「マジで?」

手越祐也「はい」

上田晋也
「手越君がほら、ソロになってさ、ちょっと経ったときぐらいにゴルフ行ったじゃん?
あん時とか、お昼ご飯の時、いっぱい喋ったけど、すっげー前向きだったもんね。
まだ多分環境はそんなに整ってなかったんだろうけど」

手越祐也「そうっすね。整ってなかったですね、まだ」

上田晋也「ねえ?「いやいや、超楽しいっすよ!」「大変ですけど、やりがいありますよ!」みたいな」

有田哲平「ちょっと本音は上田には話さないよね」(笑)

上田晋也「だからかー!だからかー!」

有田哲平「そうだよね?そりゃそうだよ」

上田晋也
「あー!俺調子に乗ってたー!(笑)殴りてぇよー!(笑)
まあ、でもホントに立派にね。またちゃんと形にして。
ねえ?ここ最近にも色んなプロデュースとか企画が進んでるみたいね?」

手越祐也
「はい、昨年の末から。YOSHIKIさんがプロデュースするXYというグループにも、YOSHIKIさんから入っていただきたいっていう風にオファーいただいて。
で、そこで入らせてもらって。
で、またそのーそのXYさんのグループの中からまたバンドを作ったので。

で、約2週間後ぐらいから、またソロで全国ツアー10か所またスタートするので。
色んなことを並行して。
レコーディングしたり、ステージづくりしたり」

 

母からのメッセージ

上田晋也
「ていうことでございまして、お母様から手越くんに伝えたい事が。
お母さん、何かお伝えしたいことがあるんですよね?」

手越母
「そうですね。あの、普段は言えてない事、この場を借りて、お伝えさせて頂きたいなと思っております」

上田晋也「あ、なるほど。緊張で読めなくなったら怖いという事で、事前に録音なさったと」

手越母「はい、そうです」

堀内健「お母さん、録音?何のために今日来たんですか?」(笑)

上田晋也「緊張してるの。リアルに今やれって言われたら、緊張なさいますよね?お母さん」

手越母「ホント倒れそうです」

上田晋也
「お母さんがなかなか言えないメッセージなんじゃないかね。
では、お母さんから息子さんへ伝えたいメッセージです」

 

*母からのメッセージ*

『祐也へ
37年前、初めて貴方を見た時、お母さんの人生は輝き始めました。
それから何年か経ち、成長した祐也。

あの時、あなたは反対していたけど、結局パパと別れる事になってしまいました。

あなたの暮らしを変えたくなくて、家具屋に勤務しながら夜はガスの検針をしていた忙しいお母さんをいつも励ましてくれて、お手紙をくれましたね。

そのお陰で頑張れました。

KAT-TUNのバックで、ジュニアとして初めてライブに出演した時のお給料を「全部あげる」と言ってお母さんに渡してくれましたね。

(※実際の初めての給料の封筒が映る。封筒には2003.8.8~10 3日間 横浜アリーナ KAT-TUNコンサート裕也よりと書いてある)

あの時のお金は使えなくて、今も大切に保管しています。

母親代わりだったおばあちゃんが倒れた時、何度も病室に足を運んでくれましたね。
亡くなる直前まで大好きだった虹の歌をいつも枕元で歌ってくれたことは、おばあちゃんとお母さんの一生の宝物です。

ポジティブでチャラ男で自己中で、空気が読めなくて女好きとどんなに世間から言われても、お母さんは世界一やさしくて、誰よりも努力を惜しまない祐也をこれからも応援していきます。

愛する自慢の息子へ  母より』

(スタジオ拍手)

 

手越祐也
「やっぱ嬉しいっすね。一番そばであのー全てのことを理解してくれて。
たぶん一番の味方で常にいてくれたのは母だと思うので。
もう最高に今幸せな人生を送れてるんで。
こんな最高な人生を手越祐也に送らせてくれて、心から感謝してます」

上田晋也
「さっきメッセージにも出てきたけど、(菅田将暉さんの)「虹」がお母さんお好きなんでしょ?」

手越祐也
「そうですね。亡くなったおばあちゃんが菅田将暉さんの「虹」っていう楽曲が僕が意識がなくなったおばあちゃんに向けて歌ってあげてました。
そしたら、目がピクピクって動いたりとか。はい」

上田晋也「どう?そのお母さんにお返しのメッセージとして歌ってあげるとか」

(スタジオにお母さんが登場し、目の前で手越祐也さんが「虹」を歌う)

上田晋也「思わずお母さん涙してらっしゃいますけど。お母様大丈夫ですか?いかがだったでしょうか?」

(涙が止まらない手越祐也さんのお母さん)

手越母「はい。幸せです」

(スタジオ拍手)

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