【徹子の部屋】歌手・森山良子さん 元夫が逝き…息子・直太朗さんへの想い(2024年12月24日放送)

徹子
19歳の時歌手デビューをなさって、57年。変わらぬ歌声で私たちを魅了する森山良子さんです。
何と来年(2025年)1月には77歳の喜寿をお迎えになるそうですよ。
あのー77歳になるっていうのはどんな気持ちですか?」

森山良子
「あのーああそういう年頃になってるんだって。
あとから歳が追いかけてくるみたいな感じで。
普段は全く自分が年を経てるってことを意識してないもんですから。
まあ、健康体っていうことが一番大きいと思いますけども」

 

娘の夫は芸人おぎやはぎ・小木博明さん

小木さんは両親を大事にする優しい人

徹子
「で、話違うんですけど、7年前から娘さん一家と2所帯住宅で。
娘さんの夫はおぎやはぎの小木(博明)さん

森山良子
「はい。とても優しくって。あのー正直で。
何よりも私が嬉しいのが、ご本人の3人男の兄弟。3人の末っ子さんなんですけれども。
皆その3人の兄弟がとっても仲良しで。
お父様、お母様をすっごく大事にするっていう。
そういうところがやっぱり、なんかすごく安心感があって。
みんなで集まる機会も多いですし。はい」

 

森山良子さんは孫の財布!?

徹子「いいですよね。それでなんか、子供…お孫さん」

森山良子
「はいはい、孫ですね。
あの、小木もそうなんですけど、どっか行くときに、「なんか私持ってくものあるかしら?」なんて。
ああ、良子さん、現金だけで」みたいな感じに言ったりするんですけれども。
孫の方もなんかこうお小遣いが欲しくなると、時々私の居間に来て、ふ~んふふ~ん♪なんてやってるもんで。

「なに?」って言ったら何かが欲しい。
リュックサックがなんかすごく破れちゃって。
で、最初は「これ直して」って。私が手芸するのが好きなんで。
最初は直してって言って来て直してあげたんですけど。

その荒い作り方でね。
「あなたこれいくらで買ったの?」って言ったら、「900円」って言うんで。
「じゃあもっと良いの買ってあげるから」って言ったら、その場で(携帯を)ピピピピピッ(とやって)「これ!」とか言って(笑)
それでそれを買ってあげて。

まあ、あのーそんな風に時々お小遣いが欲しくなると、私小銭が入ってる箱があるんですけれども。
あのもう私が小銭探して、いくらにしようかな~なんて思ってると、「あの~紙の方で」って言われるんです。
だから、あ、おっきくなったんだなぁって。まあ、それも楽しいですしね。はいはい」

 

娘婿・小木さんは一度も森山良子さんのコンサートに行ったことがない

徹子「でも小木さんはどういうわけだか、森山さんのコンサートに一度も来たことがないんですって?」

森山良子
「そうなんです。で、あのー娘の方がね。
「小木、1回位行った方がいいよ」とかって言ってると。
「いや、俺はな。分かってるんだよ僕は。
もう絶対にいいって分かってるし、絶対泣くって分かってる
もう分かってるから、分かってるものに行ってもしょうがないんだよ」って言うんです。
本当に分かってるかどうか分かんないんですけどもね。
だから、1回も来たことがないです、はい」

徹子「でも、泣いちゃうんだって?」

森山良子
「うん、たぶん、なんか。泣いたり。あのすごく感激してくれたりしそうだから。
なんかもうそれがわかるから、いいんだって言って。
変なところで意地を張って、1回も来てません、はい」

 

「I love you」といつも抱きしめてくれた父「素直は良子の宝」

徹子
「森山さん、子供の頃から、ジャズトランペット奏者のお父様に、あの「I love you」といつも抱きしめられていたって」

森山良子
「ああ、そうですね。何かって言うとI love you, honeyって言って。
なんか「素直は良子の宝だよ」って。いつでも褒めてくれて
自分が思ったことをちゃんと言うんだよ」って。遠慮せずにね
自分が思ったことを言うんだよっていつも言われていたんで。
あのーすごくいっぱいの愛情をもらったなと思います、はい」

徹子「だから家族に愛しているとあなたはハグをする

森山良子
「そうなんです(笑)。もう、すぐ孫でもそうですし。小木とかにもハグしちゃうんですけれども。なんかもう小木固まってこう…慣れてないから。
「ありがとう」とかって(ハグして)言うと、(固まって棒立ちになってじっとしてこう)やってますけども、はい」

 

森山直太朗さんの父でもある元夫の死

最後に持てた父と息子の時間

徹子「ちょっと悲しい話だけど、去年(2023年)の12月に直太朗さんのお父様だった…つまり、あなたの元旦那様がなんか肺がん?で亡くなった

森山良子
「はい、そうです。
まあ、直太朗が一生懸命お嫁ちゃんのまみこちゃんと一緒に。
えー彼がちょっとコンサートで東京にいない時は、まみこちゃんがずーっと付き添って。

あの、パパがおしゃべりすることを全部録音して。

あの(元主人は)小さい時にお母様亡くなってるんで。
(元主人が)「なんかあのすごく突っ張って生きてきた自分が今ようやく、元のままの自分になれて。あの亡くなったお母さんと笑って出会える。早くお母さんに会いたい」って言ってたようで。

あのーそんな報告を毎日毎日聞いていたんで。
まあ、あの直太朗夫妻が、そうやってすごくなんだろう…愛をこめて接して

 

元夫に「森山良子は大好きだが、(本名)さがら良子は大っ嫌い」と言われ…

徹子
「元旦那様に、「森山良子は大好きで尊敬しているけど…」と言われたことがあるんですって?」

森山良子
「はい。そうなんです。あのーまあ、「さがら」って名前だったので。
さがら良子は大っ嫌いだ」っていう風に言われたことがあるんですね(笑)。

だから、やっぱりその切り替えができなかったっていうのもありますし。
お互い様のやっぱり色々な問題があったので。
ただ子供にとっては、あのーパパはパパですからね。あの、どんなことがあっても。
だから、最後に時間を取り戻すみたいに、あのーなにかっていうと、彼のもとに駆け付けて、話をして、話を聞いて。
そういう最期を迎えられて、彼は…そのパパの方は、本当にいい最期を迎えられたと思って、はい」

徹子「それは良かったですね」

森山良子
「そうですね。私も1回会いに行こうって言われたんで。
あのー「そうね、じゃあ最後に会いに行こうかしら」って言って。
もうちょっと意識はなかったんですけれども。ええ。
名前を読んだら「う~、う~、う~」って言ったりして。
あの「分かってるよ 分かってるよ、きっと」なんて。
あの、「気づいてるよ ママが来たこと」って言ったりして。
直太朗にとって、いい最期でもあったし、パパにとってもいい最期であったなと思いますね」

徹子「そうですか。森山さん自身、息子さんへの想いはその時どうでした?」

森山良子
「そうですね。うん。やっぱり寂しかったんだろうなって。
そういうパパと一緒の時間がそんなにたくさんなかったことが。
それでも頑張ったつもりだったんですけれどもね。
みんなで一緒にいる時間っていうのが…。

私も仕事が忙しかったので。
えーなんかそっちばっかりに気持ちが行ってたんで。
満遍なくみんなにあのー心の愛情じゃなくって、スキンシップとかそういう風にきちっと心を伝えられなかったっていうか。
まあ、そういう仕事を私は選んでしまっているから。まあ、わたしにとっては仕方のないことって思えるんですけれど。

まあでも、子供にとってはね。上の姉もそうですけれども。
いっつも「どうして他のママはいっつも家にいるのに、ウチのママは家にいないの?」って(笑)。
で、「ママは歌が好きだから、色んなところで歌って聞いてもらってるの」って言うと、「うーん、だったら、そんなに歌が好きなんだったら、家で歌えばいいじゃない」なんていう風に言ってたんで。

ああ、寂しいんだなって。
なんかこう、ちょっと今でも忘れられない。
そういう寂しさを伝えられたことっていうのは。上手いこと言うなっても思いましたしね(笑)。
上手に…ちっちゃいのに上手に言えるなとも思いましたし。

やっぱりいつでも出がけに追っかけてくる姿は、今でも忘れませんね、はい。(涙ぐむ森山良子さん)
でも、みんなもう50もう…50を過ぎたり。おっきくなって。
大きくなってっていうか、もうすぐ年寄りですから(笑)はい」

 

ジャズ歌手になるのが4歳頃からの夢だった

ジャズシンガーになるつもりがフォークシンガーに

徹子「ところで、ジャズ歌手になるのがあなたの夢だった?」

森山良子
「はい。4~5歳の頃から。あの父が、ジャズトランぺッターだったものですから。
いっつも家にジャズが流れてたんで。

プロ歌手になる…プロ歌手になる時には、ジャズシンガーになろうと思ってたんですけれども。
思いの外フォークを歌っているときに、色んな歌が皆さんのお耳に届いて。

で、結局、「この広い野原いっぱい」っていう小薗江圭子さんの詞にメロディーを、本当に生まれて初めてつけたようなメロディーで、デビューしましょうって言われて。

「いや、私はもうジャズシンガーになるんですから、滅相もないっていう感じだったんですけれども。
知らないうちにフォークシンガーになって(笑)。
でもジャズへの夢が忘れられなくって

あの20年前ぐらいに渡米して、ジャズを学びに行った大江千里さんと仲良しになって。
で、私も実はジャズを歌いたくって、今でもその思いが変わってないっていう話を出会うごとにしていたんですね。
そしたらある日突然、「良子さん、僕と一緒にジャズのアルバム作りませんか?」って声かけていただいて。
「作る~!!」ってもう2つ返事っていうか、もうすごくその夢が叶った瞬間。
それで日本語のジャズのアルバムが生まれました」

徹子「去年から、4回ニューヨークにいらしたんですって?」

森山良子
「そうなんです。先生にレッスンを。まずはもうなんか歌を習うというより、声の出し方ですとか。
あの、若い頃に学校でそういうこと勉強したいなって思った時期があったんですけども。
色んな諸事情で、できなかった。
それが今頃になってできたっていうのは…」

徹子「でも70代で夢を叶えた今のお気持ちはどうですか?」

森山良子
「そうですね。やっぱり夢は、ずーっと見ている方がいいんだなって思いましたし。
もしかしたら、この夢が叶うと、また違うことが広がっていくかもしれませんし。
ですから、夢を持ちつづけてきて良かったなと思いました」

 

健康の秘訣は10年以上続けているヨガ

徹子
「でも健康の秘訣は、10年以上ずっと続けているヨガだそうで。自己流なんで、インチキヨガだなんて…」

森山良子
「インチキヨガです。あの44のヨガポーズっていうのを見て。
最初は全部やってたんですけれども、どんどんどんどん省いていって。
今10パターンぐらいを朝・晩としています」

徹子「どんなポーズなんですか?

森山良子
「もうすごいポーズなんで(笑)あられもないです。
とにかくあちこちの筋を伸ばすっていう感じですね。色んなことを試みてます」

徹子
「でも5年前ですか。なんか大腿骨にひびが入って、何か手術をなさったんだけど。
なんかヨガのおかげで回復が早かったって。
どだいどうしてヒビが入ったんですかね?」

森山良子
「ああそれは、たぶん毎日毎日お買い物したりして。
もうついたくさん買って、白菜だの大根だの。
で、車で行けばいいんですけども、運動のためと思って。
で、重い物毎日持ってたら、ある日すっごく痛くなって。
で、色んなところ通ったんですけれども、全く治らないので。
で、外科のすごく仲良くしてる先生に話したら、「もうすぐ明日レントゲン来なきゃダメ!」みたいな感じで。
そしたらヒビが入ってて(笑)。で、すぐ手術。
骨を人工骨に取り替える手術をしていただいて」

徹子「じゃあ、しばらく歩けないでしょ?」

森山良子
「しばらく…そうですね。でも、もう手術した次の日にリハビリの(ある)階にこういう補助器(を使って)上がって行ったら、「森山さん!自分で来ちゃったんですか?」ってビックリされたぐらい。
なんか早く動かして、早くコンサートに復帰しなきゃっていうことがあったんで。
5日間ぐらいリハビリして。
そしたら先生があの、「明日退院していいですよ」って言ってくださったの。
1週間の予定だったんですけども。
もう、嬉しくって、嬉しくって。

そしたら先生が、「森山さん、病院始まって以来のその早さ、退院が…ですよ」って言ってくださったんで。「ああ、嬉しい」って」

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