「美桜」は本名
徹子「あの、美桜(みお)というお名前は本名なんですって?」
今田美桜「本名なんです、はい」
徹子
「この美桜というお名前。美しい桜とかいて「みお」とお読みするんですけど。
どなたが付けてくださったのかご存知?」
今田美桜「両親が付けてくれたと聞いてます、はい」
徹子「でも、可愛いってみんなに言われない?」
今田美桜
「そうですね。すごい言われて。私もあのとても気に入ってるので。
やっぱりこの名前でこの活動もやらせてもらいたいなって」
徹子「だから本名で出て。で、春という季節がお好きなんですって?」
今田美桜
「そうなんです。あの、誕生日が3月なんですけど。まあ、それもあって桜をつけてもらって。
はい。好きですね、桜が。はい」
幼少期
活発で週6でバスケ
徹子「子供の頃は活発で、小学生の時は、バスケットボールのチームに2つも入ってらした?」
今田美桜
「はい。そうなんです。あのーお友達が…近くに住んでる近所の友達が、バスケットボール始めて。
で、そこから誘ってもらって。友達と一緒に2チーム入ってました」
(当時のバスケのユニフォームを着た写真が映る)
徹子「元気そう」
今田美桜「ハハハ(笑)真っ黒ですね。週6バスケットボールやってましたね」
よくキャンプへ
徹子
「週に6日って言うんですから、相当大変だったと思います。
ご両親はアウトドア好きで、よくキャンプにも連れてってくださった?」
今田美桜
「そうなんですよ。キャンプによく連れてってもらって。
まあ、テント一緒に張ったり。ご飯食べたりしてました」
(今田美桜さんの小さい頃のとっても可愛い写真が映る)
徹子「アハハ。かわいい。随分かわいいわね」
今田美桜
「そうですね。あのーただただ手伝いもせず、遊んで食べてって感じでしたけど。楽しかったですね」
徹子「初めてキャンプに行った時の映像がありますのでご覧ください」
(2000年当時3歳の時の映像が映る。子役のような可愛さ!)
今田美桜母「みおちゃん、おいしい?」(おどけた顔をするみおさん)
母「おいしい?」(おどけた顔をするみおさん)
母「キャンプ。ね~楽しいね~」
徹子「かわいい~。何食べてるの?」
今田美桜「わかんないですね。何食べてたんですかね。パスタ?(笑)」
徹子「3人兄弟の長女?」
今田美桜「そうです。お姉ちゃんらしいことは全然してなかったんですけど」
徹子「ご両親は今もアウトドア好き?」
今田美桜
「そうですね。キャンプにも今も行ってますし。
あとは、それぞれ父と母それぞれ趣味があって。
なので、父はバイク乗りに行ったりとか。
母は母で色々…結構多趣味なので。
それぞれで楽しんだり、一緒にキャンプ行ったりとかして」
3人きょうだいの長女
徹子「いいわね。あなたは3人きょうだいの長女で、下の子達の面倒はみていた?」
今田美桜
「見てたのかな…?でも、お風呂に入れたりとかしてました。
妹が3個下で、弟が5個下なんですけど。
でも弟が生まれてからは、ちょこちょこ妹にも手伝ってもらって。
アンタが次はこれをやりなさいみたいな(笑)。
はい。ちょっと姉の特権を使い出したっていう話は聞いたことあります、はい(笑)」
毎月末にお小遣い帳を父に提出
徹子「まあ、お小遣い制だったんだそうですけど、お小遣い帳を提出しないといけなかった?」
今田美桜
「そうなんです。毎月、決まったお小遣いで色々好きなもの買ったりして。
それをお小遣い帳に記入して。月末に父に提出して。
で、初めて次のお小遣いがもらえるって制度でした」
徹子「それは非常にチェックは厳しい?」
今田美桜
「そうですね。厳しかった…なんで?って思った時もありましたけど。
今となってはすごく勉強させてもらってたなとは思います」
徹子「でも、役に立ってます?それって」
今田美桜「う~ん・・・・無駄遣いはしちゃいますね(笑)一人暮らしして」
子どものころの夢は保育士 ごっこ遊びが好きだった
徹子「子供の頃の夢は何かありました?」
今田美桜
「子供の頃は、保育士さんになりたかったです。
あの、通ってた幼稚園の先生がすごく大好きで。
なので、あのーその先生みたいになりたかったのは覚えてますね」
徹子
「あ、そうですか。保育士さん。
それからまあ、ごっこ遊び。保育士さんごっことか。そういうごっこ遊びが好きだった?」
今田美桜
「はい。好きでした。なのであのーおままごととか、そういうのも好きだったと思うんですけど。
あんまり自分的には記憶がそんなにないんですけど。
最近祖母に、(ごっこ遊びが)好きだったから今の仕事についたのねって言われたことがあります(笑)」
高校2年生 福岡でスカウト
徹子「高校2年生の時に福岡でスカウトされて。当時芸能界には興味があったんですか?」
今田美桜
「いや、もう全く無くて。
まさか、自分がそういうお仕事できるとも全く思ってなかったですし。
最初声をかけていただいた時は、びっくりしました」
徹子「でも、ご両親の反応はどうでした?こういうお仕事やりたいっていう…」
今田美桜
「一番最初はあのー…まあ、全然反対でもなかったんですけど。
まあ、学業が完全に優先であるなら、あのーやってみたらっていうことで。
まずレッスンに見学に行ったりとかして。そうですね」
徹子「で、事務所はレッスンどんなことを?」
今田美桜
「えっと、演技レッスンとか。
モデル事務所だったので、ウォーキングレッスンとか。
あと、リポーターレッスンっていうのもやってました。
なんかこう、街頭インタビューとかの想定で、あのーやったりとか。
あと、まあ演技レッスンは、ワンシーンを初見で見て。
で、それを同じ受けてる子と一緒にやったりとか。やってましたね」
福岡時代のキャッチコピー「福岡で一番かわいい女の子」
徹子
「福岡時代のキャッチコピーは「福岡で一番かわいい女の子」だそうですけど、そうだったの?」
今田美桜
「いや、それは(笑)。あの、上京した時に、今の事務所の社長さんが付けてくださったんですけど。
ね?すごいおこがましい話ですよね(笑)
いやいや。すごいおこがましいんですけど。
最初はそれでやらせていただいてました(笑)。」
どうしても出たかったアウトレットのCMに出演
徹子
「でも、福岡時代にどうしても出たいCMがあって。コマーシャル?それでご両親を説得した?」
今田美桜
「そうなんです。やっぱりその、お仕事って基本的に平日でもあったりしたので。
やっぱりどうしても、学校とかぶっちゃって、お仕事できないことが多かったんですけど。
どうしても出たいCMがあって。
そのオーディションに行きたいと説得して。
「分かった。じゃあ、やってみたら?」って言ってもらって。受けに行きました」
徹子「どんなCM?」
今田美桜
「あのーアウトレットの、ショッピングモールのCMだったんですけど。
ちょうどクリスマス時期の、クリスマスセールのCMで。
あの、オーディション受けて。あのー受かって。そのCM撮影したんですけど。
あのー、クリスマスツリーになりました。
クリスマスツリーのウィッグって言うんですか?
ウィッグ被って、クリスマスツリーになりました。
なんかこうやって(首を横に振って)ニコニコして。(笑)
「クリスマスセール」とか言った記憶があります。はい」
徹子「ああ、そういう感じ?でも、そういう仕事でも嫌にならなかった?」
今田美桜
「いや、すごく楽しくて。
で、出たかったCMだったので、すごい嬉しかったですね。
あのオーディション風景とか撮影風景とか。すごいいまだに覚えてますね、はい」
高校3年生 芸能界への道を進むことを決意
大学に行ってほしい両親を説得し
徹子
「まあ、クリスマスツリーになったあのオーディションからしばらくたって、高校3年生ぐらいの時から、芸能界への想いが強くなった?」
今田美桜
「はい。そうですね。そこからこう、色々オーディション受けさせてもらったりとかして。
やっぱり、どんどんどんどん楽しいなと思って。
ちょうど進路を決めるタイミングでもあったので。
「あ、このお仕事がやりたい!」って思うようになって。両親と話しましたね」
徹子「ご両親は何ておっしゃいました?」
今田美桜
「まあ、もちろん、このお仕事やることに反対はしてなかったんですけど。
でも大学には行ってほしいっていうのがあって。
ただ私は、もうこのお仕事だけをやっていきたいっていうのがあったので。
そこはかなり話し合いました。もう夏休みの面談ぐらいの時に。
まあ、選択肢を広げるためにもっていうところで、大学に行ってほしいっていうのはかなり思ってたみたいなんですけど。
まあでも、今後集中してやってみたいっていうのがあったので。説得しましたね。
でもなかなか最初は、うーん…っていうところがあって。先生とも相談して。
先生と一緒に説得してもらいました」
徹子「そうなんですってね。先生はとっても後押ししてくださったんですって?」
今田美桜「そうなんです。まあ、かなり先生にも…」
徹子「男の先生?女の先生?」
今田美桜
「男性です。あの、相談にもかなりのってもらってて。
最終面談の時とかも、母を説得してもらったりとか。色々助けてもらいましたね」
徹子
「で、先生がそうやってあなたを押してくださったっていうこともあり、そういうチャンスをあなたは受けることができたんですけど。
先生とは今も連絡し合ってるんですって?」
今田美桜
「そうです。あのー連絡…頑張ってるか?とか体調大丈夫か?とか気にかけてくださったり。
あと私が地元の福岡に帰ると、ご家族と一緒にご飯食べたり。お酒飲んだりしてます。はい」
22歳が両親が出した期限
徹子「でもご両親は条件付きで認めてくださったんですけど、どんな条件?」
今田美桜
「あのー22歳の、みんなが大学4年生を卒業するタイミングまでに、まあ今とあんまり変わらなかったら、一旦考えようねっていう条件で、あのこれ一本でやるっていうのを決めました、両親と」
徹子「そう。それでどうでした?結果は」
21歳 人気ドラマに出演
今田美桜
「結果は、そうですね…21歳の時に、「花のち晴れ」というドラマに出させてもらって。
そこでこう、色々と自分の中で転機もあって。
そこからは、もうそういう話はしなかったですね、両親とは。
でも、その22歳ってやっぱり自分の中ではなんか特別なタイミングだったので。
22歳が終わって、23歳になった時に、少しほっとした所もありましたし。
両親にでもそれを伝えたら、あの、父はあんまり覚えてなかったみたいです(笑)
なーんだってかんじなんですけど。はい。
でもその期限があったから、やっぱりがむしゃらに頑張れたところもありますし。
良かったなぁとは思ってますね。
だから、とっても心配性なので、父が。安心させられたのかなぁとは思いました」
徹子
「でもこんな可愛い女の子がやっぱりほら、そんなところにね。芸能界何てこんなわけわかんない遠くの方に。しかも東京行くわけでしょ?
そんなのどうか心配すると思いますよね」
19歳 上京
俳優・中井貴一さんの言葉が支えに
徹子
「何歳の時?上京なすったの」
今田美桜「19歳の時に上京しました。はい」
徹子「まあ、この仕事に入って、中井貴一さんから言われた言葉がとっても良く覚えてらっしゃる?」
今田美桜「そうなんです。あの、ちょうど20歳の時に、中井さんと一緒にドラマをやらせていただいてたんですけど。
そのクランクアップの日に、「もうお前は30点で行け!」って言ってもらって。
30点…ってなんだろう?って思ったんですけど。
でもなんかやっぱり、どうしていいか分からなくて。
でやっぱり、自分を良く見せたいし。あのーまあ、カッコつけたいし。
なんかそういう…だけどやっぱり、なかなかそれも難しいし。
なんか何が何だか…どうやったら頑張れるかみたいな時期だったので。
そういうタイミングでそのお言葉をいただいて。
あ、そっか。自分はもうチョット素直に、このままでいいんだってすごい肩の力が抜けたと言いますか。すごく楽になって。
こうまあ、背伸びしすぎなくていいというか。
それがあったので。その言葉があったから、その後も頑張れたのかなぁって思ってます。
徹子「今も中井貴一さんの言葉が支えになってる?」
今田美桜
「そうですね。色々迷った時とか、失敗したときとか。
なんかそういう時はやっぱそういう言葉を思い出して。
また新たに頑張れる1つの言葉ですね」
徹子「その後中井貴一さんとはご共演なさいました?」
今田美桜
「いや、そこからずっとお会いしてなくて。
ただ、あの先ほどドラマを撮られてて。楽屋にご挨拶に。
スタジオで撮られてて。楽屋にご挨拶することができて。
もう6年ぶりぐらいにお会いできて。すごいなんか、胸がグッとなりました」