【金スマ 金言SP】ゲスト1 志村けんさん「お笑いとはあったかいもの」(2024年8月30日放送)

志村けん お笑い芸人

志村けんさん金言「お笑いとはあったかいもの」

恐ろしかった父 一切笑いのない家庭

志村けん
「家族は爺さん、婆ちゃんいて。で、親父の兄弟が何人いたろう?
10人位の家族だと思うよね。」

そんな志村さんにとって最も恐ろしかった存在が…
当時小学校で教頭をしていた父・憲司さんの存在

志村けん
親父は小学校の教頭をやってて。
それで校長の試験を受けるとかそういう状態でして。

で、まず師範の5段っていう柔道がすげぇ強いんですよね。
背は低いんですけど、体がこうがっちりしてるんですよ。

だからもう、ほとんど逆らえないという状態ですね。」

 

教頭を務める父は真面目で寡黙
現在の志村さんとは全くかけ離れた冗談も通じない性格

そう。日本中を笑いで包んだ志村さんの育ってきた家庭は、一切笑いのない家庭でした。

 

小学4年生 酔っ払いコントが大ウケ!「人を笑わせるって気持ちいい」

しかしそんな志村さんにお笑いを志すことになる出来事が…。

志村けん
小学校4年の頃かなんかに友達の家に行ったら、柳家金語楼さんのレコードがあって。

それで、聞いてみようって蓄音機みたいなので聴いたら、なんか酔っぱらいの落語なんですよね。

で、それを友達と動いて見ない?って言ってやったのが「酔っ払いのコント」」

 

志村さんが披露した酔っ払いのコントはクラスメイトに大うけ
そんなことを続けているうちに、志村さんに湧いてきたある感情が。

人を笑わせるって気持ち良い!

 

父が笑ったテレビ 「この人たちはすごい」

そんな志村少年に、その後の人生を決定づける大きな出来事が起きる。それは、志村家にやってきたテレビがきっかけだった。

ある日、テレビの喜劇中継に釘付けになっていると…父が帰宅。
父の登場に茶の間には緊張感が走る。

しかし、次の瞬間。

(父親)「(ぷふっとお茶を吹き出す)アッハッハッハ(笑)」。

志村けん
「あ、親父笑ってるわって。
あんまりなかったんですよ。(父が)声出して笑う事って。

それで、「ああ、この人たちはすごいな」と思って。

こんな暗い家を笑いで包むってのはすごいなと思ってね。

で、その辺からなんか喜劇人っていう人に憧れましたね。」

 

志村少年
「こんな父ちゃんを笑わせるって、喜劇の人って本当にすげぇ」

この出来事をきっかけに「コメディアンになりたい」という想いが、志村さんの中で大きくなっていきました。

 

大きくなるお笑いへの想い「いかりや長介さんに弟子入り」(高校3年生)

音楽が好きで、ドリフターズを選んで弟子入り

しかし、当時お笑いの養成所などはなく、デビューするには「師匠に弟子入り」か「付き人」しかない時代。

志村さんにとって問題は、誰に弟子入りするか。
そこで思い浮かんだのが…

 

志村けん
音楽が好きで。音楽を絡めたそのコミックバンド。音楽を絡めた笑いという点で、ドリフターズのいかりやさんの方に弟子入りしましたね」

 

しかし、東村山で育った彼には、当然ドリフト知り合う伝手(つて)などない。

そこで、志村さんがとった行動は…

 

いかりや長介さんの自宅をアポなし訪問

志村けん
「あの頃まだね。あの雑誌の付録かなんかで、芸能人の住所が出てたんですよね(笑)。

いかりやさんの住所のその多分この辺だろうっていうマンション近辺まで行って…」

 

なんと、雑誌で調べたいかりや長介さんの自宅へアポなし訪問

志村さんが高校3年生
雪の降る2月
午前11時。いかりやさんの自宅を突き止めた志村さん。

しかし…。

(志村が家のチャイムを鳴らす)

いかりやさんの奥さん「はい」

志村けん(高校3年生当時)
「あの、いかりや長介さんに弟子入りしに来ました」

いかりやさん妻
「ごめんなさい。主人は仕事に出てて。それに、人は足りてるみたいだから、あきらめた方がいいですよ」

志村けん(高3)「そうですか」 いかりやさん妻「じゃあ」

この言葉にあきらめかけた志村さんでしたが…

志村けん(高3)
「(心の声)こんなので諦めてたらコメディアンなんて絶対無理だ!

いかりやさんの帰りを待つことに。
しかし、いくら待っても帰ってくる様子はなく…。
気づけば雪の中12時間。さすがに限界を迎えようとしていました。

するとその時…。
ようやくいかりやさんの帰宅を確認。
志村さんは、改めて訪問。

その初対面は…

(志村さんが家のチャイムを鳴らす)

いかりや長介「ういっす」

志村けん「あの、ドリフターズの付き人をさせてください」

いかりや長介「今やめそうなのが1人いる。そいつが辞めたら連絡する。」

志村けん「宜しくお願い致します。」

 

こんな風にして志村さんはコメディアンへの道を切り拓きました。

 

志村けんさんが残した金言

その後、お茶の間には欠かせない国民的な人気者になっていった志村さん。

様々なコントでお茶の間をたくさんの笑いで包みました。
東村山音頭、ピカピカの1年生、ヒゲダンスなど、カラスの勝手でしょ、学校コントなど。

そして、2020年3月。
たくさんの笑いを残し、志村けんさんは天国へと旅立ちました。

そんな志村さんが残した金言が…

中居正広
「今若い子でコメディアン、芸人さん、お笑いを目指している人たち。なんかエールを送れるのならば…」

志村けん
お笑いって基本的にあったかいものだと思うんですよね。
人に勇気を与えたり、力になってパワーになるんで。
まずそのパワーを自分の中で持ってないとダメだよってことですね。
じゃないと与えらんないし」

中居正広「そのエネルギーはやっぱ持ってないといけない」

志村けん「だと思いますね」

 

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