【だれかtoなかい】芸人 はなわ&ナイツ塙「性格の違う2人・両親の反対」(2024年8月18日放送)

お笑い芸人

塙兄弟の幼少期

兄はなわ:「本当にヤバいやつ」「リレーを競歩で走る」

ナイツ塙(弟)「2人でやるの絶対やりたくないよね」

はなわ(兄)
「恥ずかしくて恥ずかしくて。そうですね。やっぱりのぶといると、ちょっとこう一歩引いちゃうって言うんですかね」

中居「引くの?いや自分が引っ張ろう」

はなわ「いやいやもうだから、そこはもうどうぞどうぞっていうか」

中居「それは感じるの?」

ナイツ塙
「これは感じますね。
それは何でかって言うと、(兄はなわは)本当にヤバいやつなんですよ。(笑)

本当にヤバいやつです。
だから、そこを僕がいるから、なんていうのかな、コントロールが難しいんだと思うんですよ。
だから僕がその知ってるやつがいるっていうのがたぶんなんか」

中居
「だから周りに蓋をしながら、フィルターをかけてバレないようにしている。
あるんだよね変な。みんな変態なところはあるよね。
それを知っちゃ…なるほど」

ナイツ塙
「子供ながらにヤバいやつだと思って。
あの運動会とかで、あのリレーでアンカーで最後出た時に、あの競歩で走ってったりするんですよ。
笑い取りたいから。」

中居「あ~、なんか困るなあ」(笑)

ナイツ塙
「当時は爆笑でしたけどね。
最後出た時これで(競歩で)走って。
なんでだよ!みたいな。何やってんだよお前!走れよ!って言って。
毎年」

はなわ
「毎年。だから毎回考えなきゃいけない。
リレーの時は毎回期待されてたんで」

中居「リレーって選手に選ばれるまで、早い人が選ばれるじゃん」

はなわ
「それもうその選ばれなきゃまずできないので、めちゃくちゃ頑張って。練習とかして。

まず選手に選ばれるじゃないですか。
速かったので、アンカーとかなるんですよ。

で、そこでバトンパン取って。
それから競歩でこう走るんですよ。」

中居「これ学校んときは爆笑?」

ナイツ塙
「これがテレビで伝わらないの。この面白さが。
ただのファミリーユーチューバー」(笑)

 

弟ナイツ塙:「真面目でおとなしいタイプ」

はなわ「昔は僕がこういろいろやってて。弟はちょっと真面目な」

ナイツ塙「もちろんです」

中居「体育会系でひょうきんもので」

はなわ「で、弟はちょっとどっちかっていうとおとなしくて

中居「心配?」

はなわ「えっと、今はねもう大丈夫です。M-1の審査員とかねやってる」

 

M-1でナイツ塙がミキを審査…90点

中居「(ナイツ塙が)M-1の審査員の時は、審査してもらったの?」

ミキ「はい。審査していただいた」

ナイツ塙「90点でした。90点でした」

ミキ「あんまり審査員は覚えない。こっちが言う。そっちは覚えない」

ナイツ塙
「今日来るから、改めて見たんですけど、僕らと同じで、M-1の決勝でSMAPのネタをやったんだね。僕らもやったんですよ。2008年に。

僕らはSMAPをYahooで調べましたっていうネタで。
全部あのー中井貴一とか。山城新伍とか。木村庄之助とか。
間違えるっていうネタやったんですけど。
なんかそういうネタだったもんね?SMAPに入りたい」

ミキこうせい「オチがSMAPさんに入りたいみたいなオチで。」

ナイツ塙「あーそうだったんだと思って。覚えてます。90点で」

中居「90点はそんな言うほど。96とかもあるもんね?

ナイツ塙「あります。」

中居「なんなら8もあるしね。ギリね」

ナイツ塙「霜降り明星には98点でした。はい。だからちょっと8点差でしたね」

ミキこうせい「広げる必要あります?」(笑)

ミキ亜聖
「だから終わってええやん。
僕らもう終わってほしいから喋らんかった。
覚えてないですねって言ってるんですから」

中居「塙はもう90点だった?」

ナイツ塙「はい。90点。すみません」

ミキ亜星「90点って言われた時に、低いなあと思いましたよ」(笑)

 

ミキから見たナイツは「東のトップ」

中居「2人から見てナイツっていう漫才師」

ミキこうせい
「いや、東のトップやなと思います。
実質、あのほんとちゃんとトップ
あの、こんなん言ったら語弊があるかもしれないですけど。
やっぱちゃんとネタやってる人って僕少ないと思うんですよ。
ネタやってますアピールしてる人は多い

中居「誰なんですか?(ネタ)してるフリをしてる人ってどういう人?」

ミキこうせい「おぎやはぎです」(笑)

中居「やってる雰囲気だしてるの?」

ミキこうせい「はい。直接本人にも言ったことがあります。」

ナイツ塙「その日の朝来てネタ作ってる

ミキこうせい「はい。作ってます(笑)そんな人は漫才師とは言えません。(笑)いや、すごい」

中居「スタイルが違うってことだね。」

ミキこうせい
「いや、まあそうですね。天才の人なんやろうなと思います。
でもしっかりと地で漫才師。
もうこの漫才師っていう職業につける人はナイツさんやろなって」

ナイツ塙「嬉しいですね。嬉しいです、本当に」

 

はなわ「ナイツの漫才が大好き」

はなわ
「だからさっきあの兄弟でやっぱお笑いの呼吸がとか笑う場所が近いとかって。

僕もあのナイツの漫才やっぱ大好きなんですよ。ナイツ大好きで。
あんまり言うの恥ずかしいんですけど。

あの(ナイツの)独演会毎年。普通にめっちゃ観に行くんですよ。

でももうめっちゃ…だって野球とか相撲とか趣味が一緒だから。
そこの細かいボケをしてくれると。

で、僕一人笑ってる時あるんですもんね」

ミキこうせい「もうそしたら、家でやったらいいじゃないですか」

はなわ「めちゃくちゃ。だから面白いですよ」

中居
「だからお笑いのツボが一緒なんだよね。
なんならもう、(塙兄弟で)やってみたら?」

はなわ「いやいやいや。それはもう相方がまた素晴らしいので。つっちーが」

中居「いや、でも2人ともボケなのかな?」

はなわ
「あ、そうそうそうそう。それがありますね。
だから2人でロケとかもいったことあるんですよ。あの佐賀の番組で。

そん時とか、やっぱツッコミがいないじゃないですか。
そうすると、ボケたくなるんですけど、この人(弟)めちゃくちゃボケるんですよ。
で、僕がそっかこの番組は俺がツッコみだとかって思うんですけど、ツッコミができないから、「何やってんだよ」とか。
注意。冷静です。」

ナイツ塙「全然面白くないですね、あれね。」

はなわ「すっごいゆるい。ゆるーくなっちゃうんですよ」

 

佐賀出身はウソ? 出生地は埼玉→1歳千葉→6年生佐賀

中居「佐賀?佐賀に行ったの?出身の」

はなわ「そうです」

ナイツ塙「出身じゃないんですけどね」

はなわ「いや、この辺がですね。いやいやいや。出身です。出身です」

中居「それ経歴詐欺になるんじゃ…」

はなわ「いや、出身です。これは違うんですよ。本当にあのー出身は佐賀です」

中居「いや、知ってるよ。佐賀でしょ」

ナイツ塙「僕は千葉県です。千葉県我孫子市です」

中居「あ、転勤?」

塙兄弟「そうです」

はなわ「もともと僕は出生地は埼玉なんです」(スタジオ「え?」)

ナイツ塙
埼玉で生まれて、1歳の時に千葉に越したんですね。でその時に僕が生まれて。言ったら千葉なんです」

中居「千葉だね」

ナイツ塙
「で、(僕が)小学校5年生、(兄はなわが)小学校6年生の時に親の転勤で佐賀に引っ越した」

中居「それは千葉だ!」(笑)

はなわ
「それは千葉…埼玉千葉なんですけど、気持ちがもう佐賀が佐賀が大好きで。佐賀を愛してるんです」

中居「(笑)」

はなわ
「いや、でもこれちゃんと弁護士の先生に聞いたんですよ。この人(弟)がプロフィールを千葉にしてるんですよ。」

中居「徳島だ。俺徳島好きだから、徳島出身ですって言っていいの?」

はなわ
住んでなきゃダメなんです。住んでれば大丈夫なんです。

あのその、弁護士の先生に聞いて…本村、本村弁護士に聞いて。
ちゃんと法的に。法的に
あのー一瞬でも住めば。ここだと思えば出身地にして。

だから出生地はダメですね。出生地はやっぱ変えちゃダメなんですけど。

やっぱ僕は思春期佐賀ですし」

中居「でも、千葉で。千葉じゃない?物心ついてから…」

ナイツ塙
「いや、違う違う。これはじめテレビ出始めた頃に、信じられないんですけど、小6を小3って嘘ついてたんですよ。
ちょっとねなんかウソついてたんですよ」

中居「小6まで行っちゃうと…」

ナイツ塙「だから電話かかってきて、お前は小2に(引っ)越したことにしてくれって」

ミキこうせい「改ざんがすごいで」

ナイツ塙「その3年間ちょっとバレるんじゃないかなと思って」

はなわ
「その頃は(弟が)売れると思ってないんで、僕。ほんと(笑)

さすがに小6だと佐賀のあんだけ歌ってんのに、説得力無くなるんで。ギリ小3だなって。」

中居
「でも分かるよね。小6まで行ったら千葉だよ。
小3~20歳まで佐賀だったら、ちょっと佐賀譲ってあげても…小3?小3?」

はなわ「もう小3がピッタリなんですよね。さすがに」

中居「幼稚園から。幼稚園まで」

はなわ
幼稚園まで行っちゃうとちょっとさすがにウソつきで。
小6小3は間違えるじゃないですかニンゲン」(笑)

中居「小2まではいけなかったのね?」

はなわ
小2だとさすがにバレるかなって。
これはやっぱり、嫁さんと出会ったのも佐賀ですし。」

中居「いやまたそれは違うからね」

 

漫才協会と吉本興業はライバル?

中居「漫才協会と吉本違う?ライバル?」

ナイツ塙
「もうやっぱりリスペクトですけど。
やっぱりライバルだと思ってないとこうやっぱいけないなと思ってて。吉本の劇場がお客さんいっぱいいてやれるっていうのはあれ目標ですね我々の。理想です。羨ましいですね。はい。

吉本から…はっきり言うとナイツが吉本とか入ったらめっちゃ稼げるんじゃないかと思いますけどね。
15分誰よりも笑い取れる自信ある

中居
「そっか。漫才協会をどう?っていうかライバルって僕らが俯瞰で見て思ってるだけじゃないけど」

ミキこうせい
「そうですね。吉本から見たら漫才協会は…まあ、あんま相手にもしてない感じです」(笑)

 

ナイツ塙が漫才協会の会長に「弟は終わった…」

はなわ
「確かに、(漫才協会の)会長になったじゃないですか(2023年6月~)。

でもほんとにあのー今だから漫才協会ってこうまさかの吉本とねライバルみたいなこんなトークもねこのゴールデンでできる。

最初。一番最初漫才協会に入るって言われた時、まだ全然ナイツが売れてない時。
あ、もうこれは(弟は)終わった」と思いましたよね。(笑)

いや、ほんと失礼な言い方ですけど、漫才協会。
今ナイツのおかげで今こんなちょっと知名度上がりましたけど、当時はもう本当に誰も知らないというか」

ナイツ塙「俺が一番終わったと思いましたもん」(笑)

はなわ
「当時はでも本当にそういう気持ちで。
ああ、どうなっちゃうんだろうナイツっていう気持ちがずっとありましたね。」

 

両親はナイツ塙が芸人になることに悩んでいた

辞めるよう弟(ナイツ塙)を説得

ムロツヨシ
「うわどうなっちゃうんだろうってお兄ちゃんが思うくらい…ご両親はどう思ってたんですか?時間差で芸人さんになっていく」

はなわ
「うちの両親は悩んでましたね。やっぱナイツに対しては。

いや、僕は当時からそういうちょっと学生の頃お調子者だったり目立ちたがり屋だったんで、まあこいつはなんかやんじゃないかなって思ってたと思うんですけど。

のぶは本当に真面目で、あのうちの家族の中でもたぶん一番この社会人としてというかですね、会社員とかなって」

中居「おとなしいタイプ。真面目にコツコツと」

ナイツ塙「おとなしかったですね。」

はなわ
「それが芸人になるって言い始めたんで、ノブには言ってないと思うんですけど僕にやっぱ毎日電話かかってきて、それを辞めさせることはできないのかみたいな。って当時はやっぱ言われてました。」

ナイツ塙
「1回ありました。呼ばれて。行った時に。
ちょうど佐賀県でブレイクした2004年位の時に「ここ見ろ」って言って。円形脱毛症ができてるんですね。

それで要するに「お前あの売れた後が大変だぞ」と。

売れたときって言うのは、俺がこんなんなるんだぞと。
お前なんか絶対無理だよと」

中居「あのお調子者のメンタルでもこうなっちゃうんだから」

ナイツ塙「それで辞めろって言われた時ありましたね。」

 

塙兄弟の両親に聞いた2人の子供時代

母由美子さん(79歳)
「そうです。性格自体はちょっと違いますよね。同じお笑い目指したにしてもね」

兄塙尚輝(塙兄弟次男)


「(兄はなわ)結構社交的女の子にもモテてましたよ。
尚輝くん尚輝くんって。
勉強嫌いだからバイトばっかししてね。
演芸会(学芸会)とかそういう時には主役やってましたよ。
自分目立ちたかったんじゃないですか。
だからそういう方向(お笑いの道)に行きたいと思ったんじゃないですか?」

父輝美さん(81歳)「友達が多かったね」

 

弟塙宣之


「のぶくんはそんな友達いっぱい作って何かやるって感じではなかったかな。
きちっとした子でね。几帳面な子でしたよ。
学校に行くっていう時は前日からちゃんとそろえて、玄関にランドセルを置いて」


「いや、真面目だし、ちゃんとこうなんか勉強もやってたし。
(将来は)普通のね会社員っていう。
まさかお笑いに行くなんて全然思ってなかったね」

 

中居「2人…今お父さんお母さんは佐賀にいるんだ?」

ナイツ塙「今は千葉県我孫子市に」

中居「いずれかはじゃあ佐賀に」

はなわ「まあ、そうですかね…」(笑)

 

賞レース関係なく活躍している芸人はすごい!

ムロツヨシ「賞レースというものがあるじゃないですか。それについてはどのように?」

ナイツ塙
「僕らナイツなんかはそれこそM-1とか賞レースがあったおかげでまあ今こうやってテレビ出させていただいてるんですけれども。
やっぱりこう子供の頃にそれこそ尚輝と一緒に見てたなんかテレビでいろんなことやりたい!なんかあばれたい!みたいなお祭りみたいなことをやるのを目標にテレビでやってきたのに、結果的に今それがやりたいことやれてるかっていうと、ちょっと…(てんてんてん)で。

なんかやっぱりテレビで出るためにまず賞レースで勝たなきゃいけないと。

そうすると学校とかでも賞レース勝つための授業とかそういったものが多くなるんですね。

そうすると1回じゃあテレビ出て売れたときに、あんまりなんかできないというか」

中居「まあ、教科書が賞レースだから」

ナイツ塙
「だからやっぱり賞レースとかで活躍していない例えばパンサーの尾形君とかああいう人ってすごいなって僕本当に思ってて。

だからああいう人こそ僕らが憧れていたテレビタレントなので。

でも、そっちの方じゃなくて賞レースで勝った人の方がなんかやっぱすごいんだみたいな風潮になってんのは、審査員やっててもやっぱちょっと違うのかなと思う時はあります。」

中居
「ああそう。僕逆だと思ってた。
M-1とかで賞レースとかでここまでこれた人間だからそっちをもっとすそ野を広げてっていう風に思ってるのかと思ってた」

ナイツ塙
「いやだから子供の頃だってテレビに出たくて芸人になって。
何で気が付いたら(浅草)東洋館で漫才やってるんだろうなって(笑)

いまだに思うんですけど、それはやっぱり向き不向きもやっぱり現実あるから。
なんでしょうけども、やっぱりなんかこうどうしたらいいんだろう?って本当に」

中居「全ての物差しであってはならないってことだね、賞レースが」

ナイツ塙
「っていうことですね。
だからスタッフさんのせいじゃなくて、結構芸人のせいでもあると思います。
スタッフさんが面白いこと考えても、芸人の技術が…やっぱ漫才しかできない芸人さんが多くなっちゃってるから。
そこに追いついてないから、なんか新しくできた番組が終わっちゃったりとか。
もっとなんか俺たちがうまくリアクション出来たりとか。
自分何もできないなってほんと思います。はい」

中居「ああ、そういう風に思ってるとは思わなかった。もっと漫才の方に寄ってるのかと思ってた」

ナイツ塙
「いや、やっぱ漫才はやめることはもちろんないんですけれども、うーんなんかやっぱ漫才…僕の持論はテレビとかいろんなことをドラマとかも出たりするんですけど、やるから漫才が面白くなってく。振り子で。

漫才ばっかりやってても、細くなってっちゃって、ネタ作れなくなってくるじゃないですか。

やっぱ色んな吸収するから、やっぱネタを毎回作るので、ネタ作れなくなってくるんですよ。なんか年取ってくると。
そうするとやっぱ色んな経験がないとなって思ってるので。」

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