【人生最高レストラン】アーティスト AI(2025年3月1日放送)

デビュー25周年
母はアメリカ人、父は日本人
小さい頃ゴスペルの影響を受け、パワフルな歌声で紅白歌合戦に出場。
15歳で単身渡米。夢のデビューを掴んだ意外なきっかけとは…

 

加藤浩次「AIさんはデビュー何年になりますか?」

AI「今年がなんか25周年みたいですけど」

加藤浩次「色々ありましたね、25年」

AI
「だからね。だいたい25周年とか何周年とか言うけどさ。
もうそういう時に昔の映像とか色々出てくる。
これがイヤですよね。(笑)
もう今までの歩いてきた道を見たくないから頑張って違う感じになっていこうとしてる(笑)」

 

ロスで生まれ、3歳から鹿児島へ

加藤浩次「ロスで生まれて、ロスには何歳ぐらいまでいたんですか?」

AI
「えっと…2歳ぐらいだと思います(笑)そんなにいない。
え、そっから鹿児島に行って。
で、鹿児島で幼稚園の途中から入って。
で、小学校と中学校と普通の学校行って。
そこまでですね」

 

高校時代、単身アメリカへ

ダンスが周りと仲良くなるきっかけに

高校時代を単身アメリカで過ごしたAIさん。そこでどハマりしたのが…

AI
「あのロスコーズっていうチキンとワッフルが有名なお店があるんですけど。
自分があんまりなんか人となじめない時に、先輩みたいなこう人がいて。
で、その子たちが私のダンスとかを見て、「日本人なのに面白い動きするな」みたいな感じで。
もうそれをやってくれって言うんですよ。
で、そしたらなんかみんな笑って。

で、「面白いから、じゃあちょっとご飯食べに行こう」って言って、ご飯に連れていってくれて
それがロースコーズだった。
そのロスコーズでもまた「(ダンスを)やってくれ」って(笑)

当時クリップウォークっていう名前がついて。
まあちょっとギャングの動きみたいなやつだったんですけど。
でもなんかすごい面白がってくれて。でも、すごい嬉しかったんですよ、私は。
もう何でもいいからね。なんか、そんな人が喋りかけてくれるだけでも、もう嬉しいみたいな感じで」

 

やらなくても自分の責任…周りの友人・先生の協力で無事卒業

ロサンゼルスのアート系の高校(LACHSA=ロサンゼルス群立芸術高等学校)に進学したAIさんですが、アメリカの学生生活は厳しかったそうで…

加藤浩次「家で英語をお母さんとかが喋ってたから、英語はある程度会話としてはできてた?」

AI
言い返すのは、やっぱだんだん日本語だけになってたんですよね、もう最後は。
で、ママが「Are you hungry? What do you wanna eat tonight?」って。今夜何食べたい?って。
「ああ、何でもいいよ」みたいな。
そういう返すの日本語」

加藤浩次「ああ。ヒアリングはできるけど」

AI
「そうですね。だけどママがずっとやっぱ喋ってたから、聞きはなんとなく分かるんですけど。
ただ細かいやっぱりその…。
もういっつも言うんですけど、なんかおしべとめしべとか。
そいうの小学校2年生ぐらいで習うけど。
向こう行って、あ、分かるって思っても、おしべって英語でなんていうんだろう?とか。
めしべって習ったことないから、そんなの言葉を」

加藤浩次「勉強もすごいでしょ?」

AI
「「もう、やらないならイイよ。自分のせいだから」みたいな。
もう自分の責任だからね」みたいな感じで。
もうマズイって思わせる、子どもに。

だから自分のレベルはもうここだ。それじゃあ、もう卒業できないし。
アートスクールに入ってるんですけど、「そのアートスクールからもう追い出すね」って。
で、私自身はもう別にそんな学校とか別になんで追い出されたからって死ぬわけでもないと思う…思ってたんです、私は。

でもその時に、みんなが協力してくれて。周りの友達が
で、「あんた今から私と宿題やろう」とか。
先生も「もっと早く来たら、そこだけ教えてあげる」とか

で、そういうので、もう私は「なんでこの人たちこんな優しいんだろう」っていうので。
もうやっぱりもう…。やるしかないじゃないですか。
で、まあ卒業できましたけど、ギリギリ」

加藤浩次「すげぇ、いい友達に恵まれたね」

AI「やっぱり、キツイこととか苦しいのがいっぱいあればあるほど、後が楽になってきますよね」

 

週末は教会で歌う生活

17歳の時、メアリー・J.ブライジのライブにゴスペルクワイアの一員として参加
週末は教会で歌う生活。そこで、貴重な経験をしたそう。

AI
「一番好きなのは、教会行くとなんか「5人だけ出てきてイイよ」みたいな感じで。
で、みんな出てくる、5人ぐらい。

で、みんなウッウッって泣きながら1人ずつマイクに向かってくるんですよ。
「もう5年間このドラッグやってたけど、もう今日でやってなくてもう1年経った」つって、みんなワーッてなるんですよ。
だからそういうので、みんなで一緒に「やったー!」みたいな。最高なんですよ。

教会ってすごくいい人が行くものって勝手になんか私ちっちゃい時は思ってたんです。
でも、そういうの聞いたり見たりしてずっとこうやっていたりすると、みんな普通の人間で。
でも、なんかそれをみんなでサポートし合う
すごいなんかいいなと思って。」

 

日本デビュー

テープを聞いたレコード会社の人がアメリカに来て…

ロスで歌やダンスに明け暮れていたAIさん。
そして、あるきっかけで日本デビューすることに。

AI
「なんかテープが(日本で)ラジオに出たことがあって。
あの、冬休みとか帰ってきたときに、鹿児島の。
で、それをママの知り合いの方がテープをその当時レコード会社の人に知り合いがいて、その人に聞かして、たぶん。
で、そこでみんな聞いて。で、ママに電話があったんですよ。

で、「どこにいるの?」って言って。で、「LAにいます」って。
で、なんか大人の人たちが、何人か(アメリカに)来たんですよ」

加藤浩次「え?それレコード会社の人?」

AI
「そうですね。で、まあとりあえずすぐ東京に学校が終わったら来てって言ったのか、その前に1回来てって言ったのか、夏休みだったのか、覚えてないですけど。
まあ、とにかく行ったんですね。東京に。だから、いきなり」

加藤浩次「でもやっぱスゲェってなったんだわ、うん」

 

最初は全然売れなかった

加藤浩次「どうなの?最初からボーンと売れたんですか?最初はどうだったんですか?」

AI
「いやもう、最初はもう全然でしたね。もう全然ダメで。
レコード店に宣伝とか、あの色んなキャンペーンとか行く時も、やるんですけど、やっぱその時のインストアライブとか、もうホントに(お客さんが)3人とか。1人とかもいたし

加藤浩次「そっか。現実を目の当たりにするわけじゃないですか。その時はどうでした?」

AI「すごく自信持ってたんですよ。それはすごい覚えてて」

加藤浩次「LAでも勉強してきたし」

AI
「って思ってたんですけど。やっぱりその日本に来てからその曲を作っても歌っても、なんか洋楽っぽすぎるって。
「もっとこう歌え」とか。「今こういうの見てごらんって。ここに出てる人達」とか。
なんかそういうの言われたら、「何で私呼ばれたんだろう、じゃあ」って思ったりとか。

まだそういう、生意気に。こう自分が悪いと思わないというか。
なんか、自分のスタイルを分かってくれない、お客さんやらアンタたちが悪いんだっていう感じでしたね、最初」

 

運命を変えた安室奈美恵さんとの出会い…初めてテレビに出演

思うようにいかず、苦悩するAIさん。
しかし、その運命を変えるスタートの出会いが。
それは安室奈美恵さん。

AI
「まあ、ブレイクしたっていうのが、あんまり自分の中で、本当にもうなんかブレイクが分かんなくて。
でも本当にまあ、安室(奈美恵)さんとの出会いとかが、もしかしたら一番最初にテレビにこう出してもらった…はい」

加藤浩次「え、どういうこと?」

AI「あの当時、クラブで歌ってた時に、やっぱ彼女(安室奈美恵さん)も来てたんです」

加藤浩次「え、AIさんがクラブで歌ってた?お客さんで安室ちゃんが来てた?」

AI
「そうです。あの、それで来てて。あの、見て。
(安室さんが)「良かったよ。バイバイ」って言って」

加藤浩次「え、それで?」

AI
「安室さんが前なんかあのーSUITE CHIC(スイート・シーク)っていうのやってたんですけど。で、その時のプロジェクトで「ラップで参加してほしい」って言って」

※SUITE CHIC(スイート・シーク)…HIPHOP・R&Bのクリエイター陣のサウンドに安室奈美恵さんがヴォーカルとして参加したスペシャルプロジェクト

加藤浩次「え、じゃあ、安室ちゃんがあの子呼んでってなったのかな?」

AI
「だからもしかしたら、あれを見たのか何を見たのか分からないですけど。
たぶんそれで、やっぱりあのー色んな経験を初めてしたんですよね。
なんか初めてそのテレビの音楽番組に…生放送の音楽番組のやつに出て
で、あれとかも初めてすぎて。

もうこうステージがワーッって変わって、いきなり立ってどっか行ってこっちがスタートとかあるじゃないですか。
もうあんなのも慣れてなさ過ぎて、ずっと1人で座ってたら、安室ちゃんが、「AIちゃん、AIちゃん!早く!」とか言って手を引っ張って、こっちだよ。
「ああ、ごめんごめん」みたいな感じで」

 

12枚目のシングル「Story」で紅白歌合戦に出場

そして、2005年12枚目のシングル「Story」でついにNHK紅白歌合戦初出場

AI
「あの曲(「Story」)もドーンといったわけじゃなくて、本当にジワリジワリと。
たぶん人がカラオケとかで歌ってくれたりとかして。
でも確かに、初めて紅白に出て、その曲で。
あの、ただその時も、そんなに知られてなくて。
紹介のされ方も、あのみのもんたさんが司会だったんですけど、その時の紅白。
で、その時にみのもんたさんが「あのじゃあ、知る人ぞ知る!」って言ったんですよ」(笑)

 

今後…世界が平和であって欲しい

加藤浩次「どうしていきます?これから」

AI
「やっぱり。まあ今結構なんかあのーやっぱり世界が平和であって欲しいなっていうのは本当に思ってて。
やっぱりそっちに仕向けるような音楽は作っていきたいなっていうのはありますね。
本当はそんなでっかい夢みたいなのは…まあ、そういうのはありますけどね。
ずっとあるんですけど。
もうちょっと、これをちゃんとやらないとなっていう」

加藤浩次「なるほど。目の前のこともしっかりやりながら」

AI
「そうですね。ウチの片付けですよね。そういう方が。
やっぱり私の部屋がついにもうドアが開かなくなって。
もういっぱいになり過ぎて。どんどん自分の部屋にこう持ってっちゃうんですよ、なんでも。
例えば子どもの例えば学校から貰った終わったやつとか。
なんでもこうやってもらいものとか、全部」

加藤浩次
「いや、これ本当に申し訳ないですけど、AIさんが悪いですよ、それ。
片付けもやらなきゃ~っていうからお子さんかなと思ったら、全然違うじゃないですか」

 

AIさんおススメの店

1品目 ロサンゼルス 「ロスコーズ」チキンとワッフルが有名なお店
2品目 2品目 東京・麻布十番 カフェレストラン縄 納豆ピラフ
3品目 戸越銀座 千徳(せんとく) じゅうじゅう焼き

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