久しぶりにドラマと映画で復帰された石原さとみさん。
男性からも女性からもとても人気がありますよね。
徹子の部屋で語られた挫折経験や留学経験については初めて知りました。
子育てについてもお話しされていましたので、ご紹介させていただきます。
石原さとみさんプロフィール
1986年(昭和61年)12月24日
東京都出身 157㎝ A型
2002年第27回ホリプロスカウトキャラバン『ピュアガール2002』グランプリ受賞
202010月 一般人男性と結婚する予定だと発表(この年に婚姻届提出)
2022年1月 第1子妊娠を発表(2022年4月23日出産発表。ただし、出産日はこの日でなく、性別も非公表)
東京創価小学校、東京創価中学校、創価高等学校卒業
(wikipediaより)
俳優デビューは15歳。初めて徹子の部屋に出た19歳のVTR
19歳のVTRで次のように語っていました。
私もともとラジオパーソナリティーに憧れていて、小3から小6位までは。
で、中学校上がったくらいに藤原紀香さん演じるWithLoveっていうドラマがやっていて、そのドラマで藤原紀香さんがラジオパーソナリティーの役を演じていて、女優になれば何でもできるんだなみたいなことを思ってしまって。
なんにでもなれるってことを知って、女優さんてすごいなって。
この役ではすごく意地悪な女の人を演じてるのに、こっちではすごく美しくて明るい役を演じているっていう。この色んな表情があるんだなってことを知って、私にも何か新しい発見があるんじゃないかなと思い始めて、あこがれを抱いてました
徹子さん
「お母様はなんかそんなこと言っててないで勉強しなさい!みたいな・・・」
言われました。大反対でした。すごい怒られて。
芸能界の夢を諦めさせるために受けたオーディション
(母は)諦めさせるために、このオーディションを受けて、落ちたらもうこの夢諦めなさいっていう。
もう勉強に集中しなさいっていうためにオーディション受けさせて、そしたらどんどん受かっていき、グランプリをとってしまい、母はどうしよう…という気持ちになってしまって…
徹子さん「お母様は活躍をどのように見ていましたか?」
最初のころは、とても心配そうにしていましたけど、やっぱり朝ドラが決まったり、大河ドラマに出させていただいたり、徹子さんの番組によんでいただいたり、そういうことですごく喜んでいます。
出るんだってことを言うと本当に喜んでくれて。
なんか親孝行なのかなっていうことが徐々に感じるようになってきて。
自分自身が活躍する事って、お母さん喜んでくれるんだなってことは思いましたね。
転機となった1か月のニューヨーク留学
徹子さん「デビューから20年以上俳優をやっていて、自信を無くすことはありませんでしたか?」
デビュー当時は好奇心旺盛で、がむしゃらだったので、目の前のことで精一杯で、悩むとか自信をなくすとかってことが分からないくらいだったんですけど、20歳を超えたくらいですかね。
雑誌のレギュラーを持っていたんですけど、8年ぐらい。それが全部一気に卒業になりまして。
ラジオのパーソナリティーの夢がかなって、5年間パーソナリティーやっていたんですけど、雑誌と同じタイミングで終わりまして。
で、長く続いていたCMもそのタイミングで終わりまして。
一気に、すべてが卒業というか、終わったんですね。
それで、自分は必要とされてないとか求められてないという風に感じてしまって。
とても挫折というか、本当に苦しくなって毎日のように泣いていたんですけど。
その後マネージャーさんが変わりまして、「さとみ休んだ方がいい」って言われて。デビュー以来初めて長期の休みをもらいまして。
ニューヨークに1人で初めて。ホームステイ先も自分で選んで。一人旅っていうのも初めてしたら、変わりました。
変りましたというか、沢山の発見がありました。
今までセリフがあって、メイクさんがいて、衣装さんがいて、マネージャーさんがいて、昼ごはんもお弁当が出されて、自分で決める事ってほぼなかったんですけど、初めて、今日は何を着て、何をしに行って、誰と会いに行くのか、何を食べるのかっていうのを全部自分で選択をするっていうことを初めてした。
自分で選ぶってことが、どれほど楽しいかってことを初めて知って。
でその後に、すごく何千点もある古着屋さんから、一着だけクリスマスシーズンだったので、赤のセーターを選んだんですね。
そしたら、それを着て行ったら、語学学校の皆さんから「かわいい」って言われたんです。その服が。
で、何千点もある中から一着選んで、それが可愛いって言われたってことが本当に自信につながって。自分の感性とか自分が可愛いって思ったものがもしかわいくないって言われたとしても、「自分が可愛いと思ってるんだからいいじゃん」と思えたと思うんですけど、それが「可愛い」って言われてより自信になって。
自分が可愛いって思うもの、好きだと思うもので自分の周りを全部固めようって思って、ニューヨークから帰った後、自分でメイクの勉強をして、服も勉強して、ネイルも勉強して、環境というか・・・お花も勉強したりとか、絵とかも勉強したりとかもして、自分の環境を全部好きなもので固めたら、本当に幸せな気持ちになったんです。
それで自分自身が、なんか変わって行ったら、なぜかラブストーリーのお話がきたりとか、CMの仕事がきたりとかして、あ、こんな風に変わっていくんだなってことにびっくりして。意識をするってすごく大事だなというのはとても思いました。
子育てについて
産後2か月は子供のため何とか食べていた
今は楽しいですが、出産直後、産後2か月くらいは、結構心が追いついていないというか、ホルモンバランスが崩れている状態もありました。
自分が食べないとミルクもあげられないので、台所で、産後とかはご飯をチンして、納豆に卵を入れてかき混ぜて、飲むように納豆卵かけご飯を食べて生きてたりとかしてました。栄養摂取のために必死に。この子活かすためにと自分自身が生きるためにエネルギーを摂取する感じで必死でした。
でも徐々に、1か月2か月たったくらいで、家族のサポートが本当に大きな力となって、何とか自分自身を取り戻すことができて、仕事復帰も(できました)。
子供が手でご飯を食べるようになると、そのまま「ママ~」ってよしよししてくれるんですけど、ご飯粒だらけの手のままされるので、すぐに洗って乾くショートヘアで良かったって何度も思いました。
子供が真似をするので、言葉遣いを気を付けるようになった
2歳なので、徐々にですけど(おしゃべりするようになってきました)。
私の物まねをよくしています。
私が仕事に行くときに、玄関でバックをもって、水筒持って、靴を履きながら水筒持って「バイバイ、行ってくるね」ってハイタッチとグーパンチをして、チューをしていくんですけど、それを他の人にしてました。何も持ってない紙袋を持ってママの真似をしながら。よく見てるな~っていうのは。
なので今は全部自分でしゃべったこととかをコピーしてしまうので、「やばい」とか「マジで」とか「うま!」とか…もう全部言いそうになったりとか言ってしまったりとか。
全部「あっ!」と思って、「聞いてないかな?大丈夫かな?」みたいな。
「おいしい!」って言い直して。「おいしいわ~」って言いながら。
家の方がすごく言葉遣いを気にするようになりました。
子供のために工作をする
おもちゃを100円均一とかいろいろなショップで買えるもので手作りできるおもちゃみたいな本があって、それを夜な夜な読みながら、作って(います)。
今お菓子をいただいたりとかするとこれ(このお菓子の箱)は何に使えるかな?とすぐに思ってしまいます。
あと子供のキッチンセットとか売ってるんですけど、リアルにキッチンにできないかなと思いまして、下から水をくみ上げて、ボタンを押すと上から出てきて。底のタンクになる部分に穴をあけて下に落ちるようにしています。
右側にあるのがハンドソープです。
自動で出るようにしたりとかすると、自分で手を洗ったり、顔をスポンジで洗ったり。左側がまな板なんですけど、そこでイチゴとかバナナとかを自分で切ったりとか。
スゴク自らするようになって。
やっぱり環境を整えると促さなくても一言いうだけでやりたいって気持ちが本人はあるから、環境を整えるだけでこれだけ変わるんだなとすごい思いました。
(見てると)面白いです。こんなこともできるようになるんだと思って。
小さい頃は「なんでなんで人間」だった
徹子さん
「あなたがしょっちゅう「なんでなんで」ってお聞きになるので、お母様は本を買ってくださってそれを大事に取っておいてくださってたんですって?」
私が小さなころから、母が「分からないことは分からないってすぐ言いなさい」っていうのがホント口癖のように言っていて、なので「わからない。これなあに?なんで?なんで?」っていう。
ずっとなんでなんで人間くらい言ってたらしいんですね。
母が答えられるものは答えてたらしいんですけど、もうここに全部答えのってるからって母が限界来たときに、あれはもう50冊以上ですかね。100冊近くあったかな。もうどんと渡されて。
それでここに全部答え載ってるからっていう。
『どうして物語』みたいなシリーズがあるんですけど、それを一式全部、全巻買ってくれまして。薄い冊子なんですけど。
「日曜日ってどうしてお休みするの?」とか「かぜってなあに?」とか。
そういうの全部読んでは、ここに答えがのってるっていうのがあったのを、私の子供ができて、つい最近母に「これあるわよ」って言われて。
「はっ!」と思って。
「お母さんこれとっといてくれたの?」って言ったら、「そうよ」って言って、それをまた全部一式持ってきてくれて。
全部きれいに包装されて、とったらもうそのまま当時のまんまのきれいに残っていて。
大事に取っておいてくれたんだなというのと囲われていたりとか、(母が手書きで書いてくれた)メモ書きとかが残っていて。何年か越しに母の愛をすごく感じました。
俳優復帰作 映画『ミッシング』について(大好きな監督作品)
子供が失踪してしまって、その子供を探し続ける母親の役。
6年前に吉田啓介監督に私吉田啓介作品が大好きなんですね。で、この人の世界に行きたいと思って、直談判しに行ったんです。
それで、「あなたとお仕事したいんです。どんな役でもいいんで」って言って、それで産後復帰作の1作目としてこの作品で復帰したんですけど。
娘が失踪した母親の役を、実際に子供を産んで、その命よりも大切な存在がいなくなったらって想像しただけでその脚本がもう読めなくなってしまうくらい。怖くなってしまって。こんなに覚悟のいる作品だったんだってことをその時改めて感じて。
本当に難しかったまとめんですけど、私自身を変えてくださった本当に大きな学びのある10年後20年後経っても私の転機となる作品はこの作品ですと言える作品に出会えました。
まとめ
石原さとみさんは久しぶりにテレビで拝見しましたが、見た目は全く変わらずかわいらしく素敵でした。
お子様ができて言葉遣いに気を付けているとおっしゃっていたとおり、受け答えも落ち着いていて、しっかりしたお母さん、大人な女性になられたなという印象を受けました。
デビューからずっとテレビに出続けている印象でしたが、一時仕事がどんどん終わってしまって求められてないと感じたこともあったというのは意外でした。
でも、結果的にそのことでお仕事をお休みし、NYに行き、大きな経験をできたことが、今の石原さんに繋がっているのだなと思います。
これから、ご活躍が楽しみです。