林修
「奥様の上戸彩さんにもこのコーナー出ていただいたんですけど。
経営もうまくいってる一方で、家庭においては3児の父でもあり、そして朝食はHIROさんが作っている?」
HIRO
「いや。そんなに作るってほどでもないかもしれないです。
一応、まあ子供が1人目の時とかだとなかなかこう分からなかったんですけど。
そのなんですかね、その大変さが。
でもやっぱりこう2人目になってくると、どんどんどんどん父親も学ぶじゃないですか。
やっぱりこう、やれるところはやろうっていうか。」
林「ちなみに、今朝もお子さんに朝食を作られたんですか?」
HIRO
「今日…そうですね。軽いものですけど。
それで、はい。あの、1人送って。
みそ汁とか。はい。ちょっと弁当詰めたりとか。
でも、そんくらいは。はい。
まだ一番下の子がすごくちっちゃい。1歳なので。
なるべく起きないようにみたいな。
自分がそこは朝早いのは大丈夫なので。
なるべく起こさないようにして(食器を洗ったり朝の準備をする)みたいな感じではやってますけど。はい。
なんか恥ずかしくなってきた(笑)」
20年かけて作った仕組み「夢の循環」
スクールで育成し、デビュー→いずれはプロデュースする存在に
そんなHIROが社長を務める芸能事務所LDHに所属するEXILE TRIBEと呼ばれる男性ダンス&ボーカルグループの集団。
総勢86 人からなる大所帯。
さらに、彼らに次ぐ新たな才能をEXPGというダンススクールで育成している。
林修「今やそこ(=EXPG)から次々と若いグループが出てくるようになったと?」
HIRO
「そうですね。出てくるようになって。20年かけてそういう仕組みが。
EXPGというものがあって、そこでオーディションやって。
そこでオーディションで受かった子がLDHDの新人アーティストとしてデビューして。
で、その新人アーティストはまたどんどん成功していくと、今度はEXILEと3代目JsoulBrothersのメンバーになるとプロデューサーになって。
またその子たちが、EXPGの子たちをピックアップして、そこからアーティストをプロデュースする。みたいな。
それを僕ら勝手に「夢の循環」っていう。
呼んでるんですよ」
(※夢の循環:ダンススクールEXPGに通う→この中でオーディション→新人アーティストとしてデビュー→EXILEや3代目JsoulBrothersのメンバーになる→プロデューサーになる→EXPGに通う子の中からプロデュースを回っていく)
HIRO
「でもほんとに(子供は)その日本の宝ですし、僕らの学校の宝でもあると思うので。これからも、もっともっと盛り上げていきたいなという風に思ってますね」
林修
「EXPGの卒業生で芸能活動されてる方ってもう今何人位いらっしゃるんですか?」
HIRO
「LDH(所属)で言えば、120人位いるんですけど。
他の事務所さんにもかなりいるみたいなので。
トータル調べると300人位いると聞きましたけど。
でもなんか開かれた学校なので。養成所ではないので。
あとEXPGのいいところは、なんかすごくこう挨拶だったりとか、まあそういう基本的な立ち居振る舞いについてしっかり先生が教えてくれるので。
そういうところは親御さんに色々感謝される部分ではありますけどね。
子供たちが踊るんですよ、ステージで。
で、それで後ろでこう待ってる時とかすごくみんないい子で。
体育座りして、きちんと先生の言う事を聞いて動く。
あ、すっごくかわいいなみたいな。
でも実際に自分に子供が出来たりとか、まあ違うところ行くと、ヤンチャで言う事聞かないでってことだらけじゃないですか。
だからもうほんと勘違いしてましたもん。
子供ってあんなに言う事聞いて可愛いんだと思ってたんですけど。
実際もう全く違うみたいな」
LDHのグループ兼務システム
そんなLDHに所属しているアーティストの特徴が、いくつかのグループをかけ持つ兼務システム。
EXILEのNAOTOと小林直己は三代目のリーダーも務めている。
実はここにもHIROのある戦略が。
HIRO
「まあ、そのEXILEメンバーの2名が三代目のリーダーになって。
そこでこう新しく入ってきたメンバーと一緒にチームを組むとか。
兼務するメンバーって、だいたいこう上のグループにいる時は一番年下の子なんで。
その子が色々先輩から学んだことを次は自分がリーダーになって後輩に教えていくみたいな。それで兼務が増えていったっていうのがあるので。
そういう意味では全然役割が違うので。
逆に張り切って、すごく頑張ってくれるし」
林修「そのやり方だと意欲的に兼務して、そして縦の継承が自然にうまくいきますね」
HIRO
「そうですね。今EXILE TRIBEの流れはそうできてます。
先輩の思ってたことがどんどん自然にこう現場感で伝わっていくような仕組みにはなってるのかなと思うんですけれども。」
様々な活動で可能性を広げるLDH 所属アーティスト
50歳の時作った「LDH学習帳」
林修「今回のために、この3冊を拝読したんですけど」
HIRO
「そのLDH学習帳っていうのは、自分が50歳の誕生日の時に、まず自分からあの今の50歳になった時の自分の思いを伝えたくて。
ちょっと洒落の効いた感じで「LDH学習帳」って。
これあの、売ってるわけじゃないです」
林修「社外秘って書いてあるもの出していいんですか?」
HIRO「もう今となっては全然」
林修
「これをベースに講演会をやったら、この企業講演で絶対もうすごいオファーが来るだろうなと。これは聞きたいと思う方たくさんいらっしゃると思いますけどね」
HIRO「それはありがたいです。」
表舞台で活躍できなくても食べていける仕組みを作る
林修もうなったのは、HIROの仕事への心構えが記されたLDH学習帳。
その中でも特に注目したのは…
林修
「LDH所属のアーティストの方々っていうのは、アパレル経営とか、コーヒーショップのプロデュースをなさったり。
様々な方面に進出されて、活躍されてますけれども。
これもやっぱり何かお考えがあってってことなんですか?」
LDHの所属アーティストが他の事務所のアーティストと大きく違うのは、コーヒーショップを経営(EXILE TETSUYA)したり、アパレルブランドを持ったり(EXILE NAOTO)と率先して芸能活動以外の職業を始めていること。
実はここに社長HIROが最も大切にしている考えがある。
HIRO
「やっぱりこう自分もほんと20歳位から芸能活動をやってて。
この業界でずっと50歳超えてまで同じようなことやって食べていくとか。
じゃあ、これが60歳になったらどうだ?とかっていう風に考えた時に。
なかなかこう、このままこの世界で表舞台で活躍できる人って、正直確率でいうと減っていくと思うので。
やっぱり将来安心して食べていけるような、なんかそういう仕組みを作りたいっていうのがLDHのテーマなので。
セカンドキャリアの準備っていうのは変なんですけど、人気のあるうちにやりたいことを聞いて。
コーヒー作ったりとか、日本酒作ったりとか、それこそアパレルブランドのディレクターだったりとかっていうことをもう現役時代からやってもらおうっていうことで、色々やってますね。」
林修
「未来に対する不安を抱かずに今の仕事に集中できる環境っていうのは、どの業界でも大事ですもんね」
HIRO
「そうですね。やっぱりみんな悩みは絶対にあるし、多いと思うんですけど。
なんか本当にこうそこで止まらないように。
30歳、40歳になっても、また違う夢を見ていいんだみたいなことが、なんか具体的なゴールが見れてるので。
その精神論だけではない、あのリアルな食べていくっていう部分でもそれができてるのかなあとは思います」
先ほどダンスを教えてくれたTETSUYAが大学院でスポーツ科学を学んだのも、将来を見据えた選択。
アーティストたちが将来に不安を抱かず、今の仕事に打ち込めるシステムを確立したからこそ、HIRO率いるLDHは年商500億円という巨大企業に成長できたのかもしれない。
LDH所属アーティストからみたHIRO
①岩田剛典さん(35歳) EXILE/三代目J SOUL BROTHERS 「メンバー全員タンクトップを着て…」
HIROさんと20歳差
大学4年生から14年の付き合い
岩田剛典
「一番最初HIROさんとお会いした会が、当時のEXILE第2章のメンバー全員が集まる食事会だったんですよ。
でその中で、僕は当時大学4年生だったんですけど、参加させてもらって。
当時の何て言うんですか。流行りって言うんですかね。
なんか漢(おとこ)は黙ってタンクトップ1枚だみたいな。
そん時にHIROさんが、タンクトップじゃないメンバーのことをなんでお前タンクトップじゃねえんだ?みたいな感じになって。
スタッフの方がドンキ(ホーテ)で買ってきましたって言って。
白いタンクトップ全員分買ってきて。
もちろん僕もタンクトップ着てなかったので。
僕も白タンクを着てですね。
なぜかその日の誕生日会の写真に僕も写るっていう。
もうすっごく濃い夜だったんですけど。
②AKIRA(42歳) EXILE 「絶対に負けねえ!」という強い想い
付き合いが21年になるHIROの理解者
AKIRA
「まあHIROさんと共にEXILEオリジナルメンバーとして、その時代を生き抜いてきたからいえるんですけど、真剣だったんですよ。
絶対に何でも負けたくなかったんですよ。
だから、この業界で生き残るために、絶対に負けたくないみたいな。
打ち上げでも、酒を飲む量でも、全部舐められたくないみたいな。
絶対に俺らEILEはバカにされちゃダメなんだ。
自分たちの中で絶対に負けねえみたいな。
そういう強い想いで、日々毎日過ごしてたんで。はい。
やっぱり自分たちの熱い想いの下生まれたスタンスなのかなって思いますけどね」
③八木勇征(27歳) FANTASTICS 「ボーカルを気にかけてくれる」
年の差28歳
HIROと出会って7年
2024年上半期NOW部門 ViVi国宝級イケメン1位に選ばれた
社長HIROの印象は?
八木
「本当にパフォーマーはもちろんそうですけど、ボーカルのことを気にかけてくださるというか。
これは一例ですけど、打ち上げとか「明日早いの?あんま飲みすぎないで」とか。なんか昔はそんなことなかったらしいんですけど」
林修「前半と違うじゃないですか」
HIRO
「前半の話はまずいですよね、これ。時代的に使えないですよね。
しかもあの…やばい。言葉が止まらないくらい言い訳したい。
あれはそんな普段からタンクトップじゃない。
タンクトップ面白いじゃないですか。タンクトップ着てる。
鍛えた体をなんか見せたいみたいな感じの時期だっただけで。
最後勇征言ってたみたいに、ちゃんとアップデートされて、時代に合わせて変わってるので。
ご安心してくださいっていうことと。昼間はちゃんとしてたんで」
④NAOTO 「HIROさんは夢と現実の両方を教えてくれる」
(リモートで登場)
NAOTO
「でもあれ(=白いタンクトップ)はもう意識して着始めたっていうよりかは、昔からストリート系のファッションとして、Tシャツの中に、やっぱり白TだとTシャツだけだと透けるので。
タンクトップを着るというのは、まあ一応ファッションなんですよ。
で、ある時、やっぱ夏だったんで、暑くて脱いだら、あれ?なんかみんな白タンクトップ着てるじゃんみたいな。
それからなんか白タンクトップを仕込んでいきたいっていうみんなの気持ちが生まれてしまって。
で、それで生まれた文化だったんですよね」
HIRO
「いや、今日NAOTOゲストでよかったよ。そうそうそう。
俺なんかちょっと気が動転しちゃって、よくわからな言い訳を…。
そうそうそう。ファッションでやってて。みんなが仕込んできてたんだよね。
強制じゃないです。」
林修「このフォローお見事ですよ。これ絶対金一封でますよ」
HIRO
「フォローっていうか、事実です。これが。
ほんとにNAOTOにこんなに感謝したことないくらい。」
林修「NAOTOさんから見て、HIROさんはどんな方ですか?」
NAOTO
「僕にとってHIROさんは、こう夢と現実を同時に教えてくれる方って僕は答えていて。
僕もダンサー出身で、HIROさんもダンサー出身なんですけど。
ダンサーがこうしてたくさんの人にこう応援していただける。
まずその仕組みを作ってくれたこと。
それが僕ら(ダンサー)にとって夢なんですけど。
そうやってたくさんの人にこう応援してもらう立場になると、「得るものと失うものがあるよ」「こういうことがしなきゃいけないよ」両方を同時に。
やっぱ夢だけ教えられても僕らも勘違いしちゃいますし。
でもそれと同時に、いつも現実も教えてくれるので。
なんか常に夢を見ながら、気を引き締めてるみたいな感じでいつも活動させてもらってますね」
かつてはスポットライトが当たりにくかったバックダンサーをパフォーマーという職業として世間に定着させたのがHIROだった。
芸能界を生き抜くために必要な「負けない」という強い想い
勢いだけで走っていたように見える14年前。
実は芸能界で生き残るために社長HIROには確固たる信念があった。
HIRO
「それぐらいテンション高くしとかないと、初めはEXILEだけだったんで。
なんかちっちゃい事務所だったし。
そこの常に自分たちをこう「絶対に負けない。いつかなんとか夢を叶えてやる」って思っとかないと、負けちゃうんですよね。
やっぱりこう、この世界(芸能界)で生き抜くことの大変さは分かってたので。
EXILE系みたいな。
まずそういうものを作ろうっていう風にちょっと思ってた時期があったんで。
まあでも、今となってはその強い想い…EXILEってこういうイメージだよねっていうのがちょっと足かせになってしまってるっていうのが、やっぱ自分の中であるので。
その今もそういうEXILEらしいとかLDHらしいっていう言葉っていうのは、「新しいことに挑戦」したり、「どんな場所でも負けないでその自分の夢に向かって頑張る」みたいなそういう所が、あのLDHらしい、EXILEらしいっていうことなので。
今の子供たちは、さっきの(八木)勇征もそうだし、がんちゃん(岩田剛典)もそうだし、なんか全然ああいう色黒くてヒゲで、筋肉なんていうのは、ほぼほぼいない感じなんで」
林修「(八木)勇征さんパッと見たときに、思わずLDHらしくないですねって言いそうになりましたもん」
HIRO
「そうなんですよ。いまはLDHああいう子達の方が多いので。
早くそういう所が浸透してくれたら嬉しいなと思ってる矢先に、タンクトップが出てきたんで。
おーい!またEXILEのイメージ。おれのせいかみたいな。
しかも(タンクトップは)かなり前です。14年ぐらい前じゃない、たぶん。
だからそれくらいのことなのでって常に注意書きで。
LDHはコンプライアンスがめちゃくちゃちゃんとしてますんで。
過去のものです。…すみません。必死になっちゃった」
林修
「いや、でもさっきの世間とかファンを気にして「大丈夫?大丈夫?」っていう。本当のトップに立つ人は、小心な人じゃなきゃいけないってことを聞きますけど」
HIRO
「ビビりですね。気にしいと言いますか、やっぱり。
自分がなんか迷惑をかけるじゃないですか。
それこそZoo時代というか、20代で自分がリーダーになる前は、別に結局自分だけだから、別にどう言われようと気になんなかったんですけど。
今って自分だけではないので。
スゴク色んな所にいろんなことが波及してしまうので、ものすごく気にしてしまいますね。はい。」
林修
「だから、この20年ちょっとで会社がこんなに大きくなったんだってことが、今よくわかりました。
その細心さ、小心さって、上に立つ人にとって必要なことですもんね?」
HIRO
「だから、危機感の塊かもしれないです。
だから、時代に合わせてどんどんつまらない男にはなってきてますけど。
でも、成長できてるとは思うんですけど」
臆病者であるというのは、見方を変えれば、より周りを注意深く見ることができるということ。
ビビりなHIROだからこそ、メンバーたちにセカンドキャリアが必要なことに気づけたり、時代に合わせた変化にいち早く対応することができるのだ。
超ど派手なライブ
日本一のライブ動員数124万人を誇るLDHのライブ。
そのプロデューサーとしてのHIROに林修が迫る。
2022年。ライブ動員数が、唯一の百万人超え
※年間ライブ動員力
1位 EXILE 124.4万人
2位 King&Prince 91.4万人
3位 WEST. 77.8万人
4位 Kis-My-Ft2 77.1万人
5位 Mr.Children 65.7万人
そして、2023年は三代目JSouB が90.4万人で1位に。
そんなライブをプロデュースしてきたのが、社長であるHIRO。
100%以上のLIVEをすることが、次につながる
林修
「やっぱりライブ見に来たファンが興奮して「すごかったんだよ」って言えるようなライブじゃないと、なかなか次につながらない面もありますもんね」
HIRO
「そうですね。それがもう、そういう駆け出しの頃、そんなに好きにメディアに出れるほど僕たちの影響力無かったですし。
なかなかそんな歌番組も簡単に出れるようなものではないじゃないですか。
やっぱりその時に自分たちの得意分野はやっぱりライブで100%以上の物を見せて、次に家に帰った時に、「EXILEのライブ、三代目のライブすごいよ」って言ってもらって、友達連れていくみたいな。その繰り返しで。
こういうのが脈々と受け継がれて、2022年のEXILEの動員数だったりとか、2023年の三代目の動員数に繋がってるというのがあるので。
やっぱその場で全力で、自分たちのベストを尽くすっていう。
なんかそういうことの僕らの時代の魂や想いが今の現役メンバーにいい意味で継承されてるんだなとは思いました」
LDHの魂でもあるライブは、日本最大級の予算をかけて、とにかくド派手。
オープニングでいきなりセットを爆破したり、最新鋭のLED衣装を導入したり。
時には東京ドームの中に高さ45mの15階だてビルの高さに相当する塔を建設。
そのスケールはアメリカのライブ雑誌LIVE DESIGNに特集が組まれ、マドンナやボン・ジョヴィと肩を並べるほどの集客力と規模を誇る驚きのライブとして紹介された。
HIROの引退ライブの予算はヤバかった…
林修
「振り返ってみて、あれ収支的にまずかったんじゃないかっていうのはありましたか?」
HIRO
「それは何年後かに教えてもらったんですけど、まさにその自分の引退ライブの。それは、今見ると、今の自分だったら「それないんじゃない」って言って止める。お客さんはファンの皆さんはめちゃくちゃ喜んでくれてたんで、まあそれに代えられるものは無いかなっていうような。
まあ、損して得取れじゃないですけど。
やっぱりなるべくベストパフォーマンスをやれることで、お金は後からついてくるみたいな考え方で、ずっとちっちゃい会社から、大きくしていったので。
そういう意味ではそこは普通では考えられないような予算でライブを作らせてもらってたっていうのはあります」
林「なかなか激しいせめぎあいがあるんでしょうね?」
HIRO
「あると思います。ただ、今のTRIBEメンバーに関しては、すごくこう(出演者と経営者)両方の気持ちがわかるというか。
やっぱりこう制限がある中でも、ベストなことをどうやってアイデアで補うかっていうのは、ものすごくキャリアがあるので、逆に得意かもしれないので。
そこをメンバー分かりながら、今やってますけど」
どん底時代:トップアーティストからダンス講師に
1990年20歳でZOOとしてデビューしたHIRO。
代表曲「Choo Choo TRAIN」がミリオンヒット。
22歳にして絶頂期を迎えた。
1995年25歳 ZOOが解散。
林
「ZOOを解散後は、EXILEで売れるまでダンスの先生をするなどをして食いつないでいらっしゃった。ちょっと苦しい時期もあったと」
HIRO
「そうですね。辛いんですけど、もっと簡単にメインストリームに戻れる。
要はだからメジャーな世界のまたアーティストとして夢を追いかけたいっていう思いがその時にもあったので。
すぐもっと簡単に戻れると思ってたんですよ。
でもやっぱり、EXILEがZOOと同じ武道館でライブするまで、その時から11年くらいかかったので。」
トップアーティストから一変。20代後半はダンス講師など裏方として過ごす日々。
HIRO
「(ZOOは)まあそんな恵まれた環境だったのに、やっぱり自分は周りへの感謝が足りなかったですし。
当たり前のことは当たり前ではなかったってことに20代…ZOO解散して改めて気づかされたので。
それ自業自得なんですけれども、すごくこう悔しい思いをまあずっとしてた時期が20代後半なんですけど。はい。」
DREAMS COME TRUEのライブで学んだこと
どん底だった20代後半。そんな日々に新たな光を見出せたきっかけは…
ライブはお客さんに楽しんでもらうために、全力で盛り上げる。
そんなHIROのエンタメに対する考え方の基礎を作り上げたのが、恩人DREAMS COME TRUE。
ファンにとっては大切な1回のコンサート
林修
「その時期にかかわった方で特に今恩人と呼べるような方はいらっしゃるんですか?」
HIRO
「そうですね。表現者。
表に出る意味では、DREAMS COME TRUEの吉田美和さんと中村正人さんにはすごくエンターテインメントとはこういうものだと。
表現者としてのあるべき姿みたいなことだったりとかをすごい教わりましたし。やっぱり自分が勘違いしてた部分を全部こう正せたような。
そういう恩人はやっぱり吉田美和さん、中村正人さんなのかなっていうのは」
当時バックダンサーとしてライブに参加したDREAMS COME TRUEとの出会い。
ドリカムのライブで学んだことがその後HIROのエンタメ人生の礎となっている。
そんなドリカムとLDHのライブには大きな共通点があった。
林「このお二人から学んだことで、今でも生かしてることって何かおありですか?」
HIRO
「エンターテインメント=多くの人に感動を提供したり。
やっぱり僕らLDHっていう「Love(愛)Dream(夢)Happiness(幸せ)」の略なんですけれども、やっぱりそういう僕らは愛、夢、幸せを分かち合って成り立つ職業なんでっていうことを今LDHでは日々それをテーマに掲げて活動してるんですけど。
その原点を教わったのはやっぱり僕1995年にドリカムワンダーランドっていうおっきなイベントのダンサーをやらせてもらったんですけど。
その時に、表現者はやっぱりファンの皆さんにただかっこいいものを、自分たちのカッコいい所を見せるだけじゃなくて、やっぱそういう幸せだったり、愛だったり、夢を分かち合うのがそこが大切なんだっていうことを身をもって体験させてもらいました。」
ドリカム吉田美和の言葉で特に印象的だったことを自身の著書で語っている
著書Bボーイサラリーマンより
『リハーサルのステージでミワちゃんがみんなに声をかけた。
「みんな自分のお金でチケットを買ってきてくれているんだから、私たちは心を込めて一生懸命やろう」
彼女にすれば当たり前の一言だったと思う。』
アーティストにとっては何十回も続く公演も、お客さんにとってはその日その時間が人生でたった1回の公演かもしれない。
そんな大切なライブを一瞬たりとも疎かにできるわけがない。
それを教えてくれたドリカムはHIROにとってまさに教科書そのもの。
HIRO
「ほんとはドリカムワンダーランドの時の95年。
僕らが出演させてもらったライブ。とにかくすごくて。
もう野外の所に全部セットを建てて。
リハーサルも(本番と)同じセットを建てて何日もやるみたいな。
それはもう当時はドリカムさんくらいしかやってなかったんじゃないですかね。
で、僕らもEXILEになってドームツアーやる時とかは、そのリハーサル用の為だけにドームを借りて同じセットを作ってやってたんで。
そういう所もドリカムさんからたくさん学びました。
なんか、規模が大きくなればなるほど、初日からやっぱり100%のパフォーマンスを出すためには、それでやってくと、中盤、後半の方が全員が慣れてるのでスムーズにライブが回ってくって言うのが、ライブは生き物なのでそれはしょうがないんですけど。
できるだけ初日からベストパフォーマンスを来てるお客さんと分かち合うというのが大切なことだと思うので。
やっぱり、同じようなセットと同じような広さの場所でやらないと、まあ事故とかも起きやすいので。あの色んなセットがある。
だから、そういう意味では本番の状態に近い形でリハーサルをするっていうのがLDH流ではあったんですけれども」
ドリカムから学んだことは、HIRO自身が経営者になった今も忠実に守り、次の世代へと継承している。
恩人ドリカム・吉田美和さんからの手紙
2人の年の差4歳。当時は親分と子分のような関係だったという。
『ヒロくん、元気そうな姿いつも観ています。本当に頑張っててえらいよ!!
出会った頃から、まっすぐで、一度決めたら絶対あきらめなくて、何度くじけても立ち上がってきたヒロくんは、身近で見てきた私にとって、もはや漫画の主人公のような存在です。
出会ってからずいぶん経つけれど、今でも毎年私のお誕生日にお花を送ってくれたり、優しくて義理堅い一面も変ってないんだよね。ありがとう。
一緒にツアーをやっていたころ、ホテルの部屋を深夜にピンポンダッシュ。何度もしてごめんなさい。
でも、ヒロくんは絶対に怒らずドアを開けたときのあのニヤニヤした可愛い顔が忘れられなくて。
今もし、また同じホテルにいるようなことがあったら、確実に同じことをしてしまいそうです(笑)。
たくさんの責任や覚悟を背負い続けている今、毎日が闘いだろうから。
疲れたらねぇさん、いつでも褒めまくってあげるよ!
にぃさんもいるしね!
これからもヒロくんの信じる道を爆進してください。
そんなヒロくんを見ながら、私たちも負けないぞ!
またね!! ドリ よしだみ 』
林「いかがでしたか?」
HIRO
「びっくりしたのと、めちゃめちゃ感動しました。
なんか改めて手紙で吉田美和さんに言われると、なんか俺頑張ってるのか…みたいな(笑)」
林修
「途中とっても素敵なお写真(HIRO26歳、吉田美和さん30歳の時のもの)も映ってましたよね?」
HIRO
「そうですね。当時からすごくあのテレビのまんまの方だったんですけど。
やっぱりすっごく明るくて。すごく可愛がっていただきましたね。
その美和ちゃんのそれこそお父さん、お母さんといっつもいらっしゃったので。弟さんとかも。常に家族ぐるみで。
ダンサーである僕らもすごく可愛がってくれてました」
ド派手なステージでファンを楽しませるHIROも
所属タレントたちの将来を家族のように考えレールを敷く経営者HIROも
人生のどん底で見た吉田美和の姿に影響を受けていた。
最後に…「愛・夢・幸せ」が一番大切
現在500人を率いるLDH社長HIRO。
彼には人生で最も大切にしている考え方がある。
林修
「改めてHIROさんが仕事をなさる上で大切にしていることを教えていただけますか?」
HIRO
「そうですね。ぼくらさっきも言ったみたいに、LDHってLove Dream Happinessなんで。
やっぱりそこの「愛、夢、幸せ」っていうものが、やっぱり人間にとって一番大切なんだって言う風に、具体的に綺麗ごとじゃなくて思えばね。
やっぱり行きつくところはそこなんだっていう所をこの職業を通じて感じることが本当に多いので。
そういうこう自分の最終的な目標っていうかゴールみたいなものを忘れずにやっぱ仕事に取り組んでいくと、まあ辛いこととか嫌なこととか思い通りに行かないことのほうが多いんですけど、なんかそれにも打ち勝てる自分になれるのかなと思うので。
自分はその社名自体が、自分を奮い立たせてくれる仕事の在り方だなという風に思ってますね。」