2020年 高校生の時に「うっせぇわ」でメジャーデビュー
素顔を見せず、生歌を披露することもなかった
2022年さいたまスーパーアリーナでライブ シルエット姿で実現
2023年 NHK紅白歌合戦に出演 京都東本願寺を舞台に圧巻のパフォーマンスを行う
夢だったさいたまスーパーアリーナでのライブと紅白出場
林「前回(3年前の出演時)はさいたまスーパーアリーナでのライブが夢だっておっしゃってましたけど、さっそく実現されましたね、その翌年に?」
Ado「そうですね。自分としてももう夢の中にいるんじゃないかっていうくらい幸せでしたね」
また、紅白歌合戦で歌の最後にした「名探偵コナン」の決めポーズが話題になりました。
Ado
「自分でも練習した甲斐がありました。嬉しい。練習しました。一生懸命。
ファーストライブの時からずっとついてくださってるパフォーマンスの指導の先生に、「大丈夫ですか?私はコナンになってますか?手は高いですか私の位置は?」みたいな。
ずっと頭の中で「最後はコナン、最後はコナン」ってずっと思ってました。
いやその時私はパフォーマンス中だったので、大丈夫だったのかな?っていう部分がありましたので。
あの、後日自分の姿を見て安心しました。」
休日の過ごし方
林「大変お忙しいと思うんですけれども、休日はどのように過ごされてるんですか?」
Ado「そのー、日帰り旅行みたいなもので、江ノ島に行ってみたりですとか。シラス丼を食べて」
林「定番をちゃんとこなすんですね。観光産業のど真ん中歩きましたね」
Ado
「やっぱど真ん中歩くって楽しいなって思いました。(お土産は)シラスせんべい(を買いました)」
ワールドツアーは人生初めての海外
2022年19歳で日本人初の快挙を達成。
ONE PIECE FILM REDの主題歌・劇中歌が世界的に大ヒット。
Adoは歌姫・ウタの歌唱パートを全7曲担当しました。
この7曲すべてがBillboard JAPAN 再生数トップ10にランクイン。
※7曲→1位新時代 2位私は最強 3位逆光 4位ウタカタララバイ 5位Tot Musica 9位風のゆくえ 10位世界のつづき
さらに主題歌「新時代」はApple Musicグローバルチャートで、日本の楽曲として初の全世界1位。
いまや活躍は日本にとどまりません。
今年11の国と地域を回る初のワールドツアーを開催。
林「今年初のワールドツアーを敢行されたんですよね?」
Ado
「そうです。なんならワールドツアーも初めてでしたが、私は海外旅行も初めてだったんですよ。今まで行ったことがなくて…。贅沢でしたね。」
林「海外の方の反応は国内とはまた違うものなんですか?」
Ado
「なんか全然違いましたね。
しょっぱなから「イエーイ」「ヒュー」みたいな感じで。
なんかまだ私出てきてないよっていうのに、もうぶち上げみたいな。
はちきれんばかりの全員がシャウトに近い歓声っていうのは海外が初めてでしたね。
なんか面白かったのが、セキュリティーの方がライブ開演前に「No Photos,No movie」って言ってるんですけど、日本だとだいたい静かにしてるじゃないですか。
海外の人は「OK~!」「Yeah!」っていう感じで本当かよ(って思いました)」
林「僕なんかそれ聞くとちょっと「うっせえわ」とかって思っちゃいますけどね」
Ado「・・・・・・・・」
林「ごめんなさい。ちょっと余計なことを言いました」
スタジオゲスト「最悪~(爆笑)」
レコーディングは1人で
メジャーデビューする前、17歳までのAdoは自宅のクローゼットで歌をレコーディングしていた。
クローゼットでレコーディング
林
「前回の対談の時は、自宅の押し入れの中で録音されてるっていうお話もお伺いしたんですけれども、今はレコーディングはどんな風になさってるんですか?」
Ado
「はい。今はと言いますか、その時からオリジナル楽曲はスタジオで1人で録っていたのですが。
今もオリジナル曲は変わらずそうで。いわゆる歌ってみたですとかカバー(曲)の時は、一人暮らしはしたんですけど、クローゼットで録ってますね。」
林「やっぱクローゼットが歌いやすい?」
Ado「もう染み付いてしまったもので」
スタジオでのレコーディングも1人で
さらにレコーディングスタジオで録る時もAdoならでは。
他のアーティストがやらない驚きの方法だった。
林
「あの普通レコーディングというと、機械を作業する方とかいろんな方が関わって、沢山の人と一緒に作業を進めるっていう印象があるんですけれども、Adoさんは今も基本的には1人でレコーディングされるということですか?」
Ado
「そうですね。自分のパソコンを持って行って、ぬるっとスタジオに入って、セッティングされたこじんまりとしたお部屋にクローゼットで録ってるスタイルと同じあぐらをかいて歌を録音するっていう。
で、終わったら「終わりました」って歌をデータで送って、ぬるりと帰るっていう」
林「あぐらかきながら歌われるんですか?ほんとうに」
Ado「本当にそうなんです」
林
「なんか立ってる歌う方が声が出るような印象がありますけど、そんなことはないんですか?」
Ado
「実家の時にスペースがなかったもので、「あ、クローゼットがいいじゃん。でも立って歌えないや。座るか…」っていう染み付きですね。」
林「1人であぐらをかきながらかいて歌った曲が、すぐOK出るんですか?」
Ado「まあ、そうですね。自分がディレクターみたいなものなので」
1人でレコーディングする理由は納得するまで繰り返すため
林「いや、そもそも1人でいろんな作業なさるっていうのは、一番の理由は何でしょうかね?」
Ado
「人が苦手…なんですかね。
一度その一般的に想像されるレコーディングというスタイルをとってみたことがあるんですけど。
例えば「あいうえお」っていうフレーズがあったとして、で私が、あいうえおの「あ」の音程だったり、こうちょっと自分の中で気に食わなかったら「あ」を何回も何回も結構繰り返すので。
1フレーズに本当に気に入るまでやるので、100回ですとか多くて。
エンジニアさんとかがいますとアドバイスはいただけるんですが、やっぱりこう「いや、待たせてしまう」みたいな。「お願いです。1人でやらせてください」って駄々をこねて。
駄々をこねて「うっせぇわ」を録ったことをよく覚えています」
大ファン!新しい学校のリーダーズSUZUKAさんから見たAdoとは?
同じアーティストからどのように見えているのか?
親交の深い2023年NHK紅白歌合戦のトップバッターを務めた「新しい学校のリーダーズ SUZUKA」にききました。
Adoは新しい学校のリーダーズがデビューした当初からの大ファン。
Ado「そうなんです。嬉しい」
Adoの1人レコーディングについて
SUZUKA
「それはすごい。自分の声とか歌い方を客観的にちゃんと自分で見れるってことがすごいなって。
やっぱじぶんはプロデューサーがいてとかメンバーがいてちゃんと客観的にちゃんとこの音と私のメロディーがあってるかっていうのを常に意見出してもらって。
それで安心してレコーディングしているのに、それを全部自分でやるってすごい人ですね」
さらにSUZUKAさんが驚かされたのは普段のAdoと歌唱中のAdoのギャップ。
SUZUKA
「なんか普段喋ってたらすごく謙虚に「ああ、そんな」っていうけど、歌ってる姿とか歌い方とか音源とかのパワーがすごいロックやな、パンクやなっていう。
なんかもうグワーッて出してんのに、全然気持ちいい。あの絶妙な声は、素晴らしい!どぅえす!」
Ado「嬉しい」
プライベートのAdoさんは可愛らしい
もともとAdoがファンだったことから雑誌での対談が実現し、プライベートでも親交のある2人。
SUZUKA
「いや、なんか可愛らしい方だなと思って。なんかそのしゃべり方とか。
こう私が喋ったことへの反応の仕方がすごい可愛くて。この人可愛いなと思いましたね。
えっと、LINEを交換しまして、初めて遊びを誘いに行くときに、普通に誘うのちょっとつまんないからなんて誘おうかなと思って「物件一緒に見に行かない?」っていう風にしてみました。
だけど、しっかり戸惑った返事が来たんで、失敗したなと思いました。
Adoちゃんがめちゃ戸惑ってて、「あ、やってもうた…」と思って、そこからLINEが続かず。
「・・・・・。」ってなって、「まあ、いつか遊びましょう…」みたいな感じになって終わりました」
林「今のお話しお聞きになっていかがですか?」
Ado
「まず、SUZUKAさんにコメント頂けて嬉しいですね。
リーダーズさんは「オトナブルー」で大ヒットする以前に一度ライブを観に行かせていただいたことがありまして。
私が古参アピールをしている厄介な立場。私は知ってるからねってずっと。」
林「せっかく物件見に行こうって誘われたのに、それはちょっと戸惑っちゃったんですか?」
Ado
「物件ってなんだ…と思って。誰の家なんだろう?って思いながら。今家のクローゼット防音材貼り付けたばっかりで…」
歌は独学 振付も自分で
自分で見つけた自分らしい歌い方
普段からボイストレーニングをしてますか?
Ado
「基礎的なもの(トレーニング)を週頻度、月頻度でやっているということは実はなく。
学生時代にちょっとそういう教室に通ってみたり。ただ、なかなか続かず。
なのでいわゆる独学ですとか、こう自分がやりたい部分(歌い方)が先走った部分は多かったですね。
自分でレコーディングしているので、その中で自分でいろんな道を見つけて、今になって、成長していったみたいな形でしょうか。」
独学が磨いた歌唱力で、新時代は前回一位。
しかも、1人であぐらをかいてレコーディングしたもの。
Ado
「ロックはじめラップ、バラードも歌わせていただくという。
ラップやバラードは挑戦したことがないっていう中で。
その時も一人で。こんなフレーズはこうやってうたった方がいいんじゃないかな、とか。」
林「さすがにあれだけ色んなパターンがあると、だれかに相談しようかなとか思いませんでしたか?」
Ado「ないですね。あんまり歌で相談することは少ないですね。」
林
「なるほど。僕も人に相談しない派なんですよ。
僕の持論で、人に相談して解決するようなことは、相談しなくても解決するっていう考えなんで」
Ado「…ヤバすぎる」
振り付けも自分で考える
さらに、Adoが1人で試行錯誤しているのは、歌だけじゃありません。
林
「ステージに上がると、歌うだけじゃなくて、振り付けなんかのパフォーマンスも色々必要になってくると思うんですけれども。
それはどんなふうに準備されるんですか?」
Ado
「基本的には自分で考えて、自分で振り付けみたいなのを作って。
お世話になってるダンスの講師の方に、修正したり、アイデアをいただいて。
そこはアイデアをいただいて。
で、また自分なりに落としていくっていうことをしていますね」
林
「じゃあ最初っから振付師の方が用意したものをそれを覚えるっていうようなことではないわけですね?」
Ado
「ほんとにそうですね。自分でこの楽曲はこういうイメージだから、こういう手がいいんじゃないか。こういう足取りがいいんじゃないかっていう風に考えてます。」
歌もレコーディングも振り付けも全て自己流。
一人だからこそ、納得いくまで作ることができる。
そんなAdoのこだわりの歌声が世界中を熱狂させています。
小杉
「僕はB‘zが好きなんですけれども、お二人が楽曲提供をしてるんですよね。この間の国立のコンサートのシークレットに(B’zの)松本さんが出はったっていうの聞いて」
歌うのが難しい楽曲「唱」を歌うコツ
昨年の紅白歌合戦で披露し、ビルボード6週連続1位にも輝いた曲「唱」。
そのキャッチーナ振り付けも多くのアーティストがSNSで真似をして話題に。
YouTube動画再生数も驚異の1.7憶回超え、今なお爆発的なヒットを続ける曲。
スピードと歌詞が難解で歌うのが難しい…という人が続出
林「とんでもなく難しい曲ですよね」
Ado
「いやー、難しかったですね。それこそ、とんでもなく難しいメロディー・楽曲に、とんでもなく難しいワードが入り組んでしまったという」
林「下手くそが歌うと大渋滞を起こす曲ですよね」
Ado
「いやこれ私も自分でも、ちょっとでも噛んだら、全部ぐちゃぐちゃぐちゃってなってしまうので。何回も録りなおした経験がありました」
歌い出し
『Nah-Nah-Nah-Nah-Nah,Ready for my show Okay たちまち独壇場 Listen listen』
→歌うポイント
「たちまち」が言いにくい。「たちまち」じゃなくて「たchまch」みたいな。たちまちと全部の発音をハッキリ言うのではなくて、子音を強調するというか、むしろ母音はあまり発音しない。音が渋滞しないので、聞きやすくなる。
『Nah-Nah-Nah-Nah-Nah,Ready for my show 傾け(かぶけ)』
→「かっぶけ~」っていかに曲のイントロからボルテージを上げられるかっていうのが肝でした。
林
「本当にワンフレーズワンフレーズ時間をかけて1個1個丁寧に仕上げて全体を完成させたっていうことなんですかね?」
Ado
「そうですね。なので、録音は大体2日、多くて3日とかで終わるんですけど、「唱」は10日間くらいやってた。
それこそ自分でディレクションしているので、やりたいところまでやれるっていうのがあるので。
自分で自分を苦しめるじゃないですけど、そういう修羅の道を選びながら、結果は自分としてもすごく上手くできたぞっていう作品ができたので。
いや、珍しく自分を褒めましたね。よかったじゃないかって」
林
「自分がやったことで自分が合格点出せるって、そのためにやってるんですもんね?もうね。
みんな仲良くっていうのは1つの幻想にすぎないんで。1人が一番です」
Ado「ヤバすぎる」
1つ1つの歌い方に意味と想いがあり、Adoのこだわりの詰まった一曲が生み出されています。
そんな熱い思いは曲選びにも。
海外のライブで歌った名曲が昭和の名曲松原みきの「真夜中のドアStay With Me」(1979年)。
Ado
「特にこの曲が海外の方に人気で。
タイの皆さんが「Stay With Me~」とみんなで手を上げて歌っていました。
ほんと大好きな歌だと思って、私自身すごくうれしかったですね。
私はボーカロイドの文化ですとか、日本人として日本の良さ、私を通して日本を支えられたらと思いますので、海外でも人気のジャパニーズソングっていうんですかね。
その楽曲を私を通して実際の直接の空間で、海を越えてお届けできたらいいなと思ったので、カバーさせていただいたんですけど。
日本の音楽は愛されているんだなって嬉しかったですね」
コミュニケーションが苦手
3年の間に世界の歌い手へと成長したAdoだが、自分自身を好きになれない暗い過去があった。
林
「コミュニケーションが苦手だとおっしゃっていましたけれども、そのなんか原因となったようなことがあったんですかね?」
Ado
「うーん。私はもともと友人も少ないっていうのもそうですが、やっぱりこう勉強だったり運動が苦手な部分もありまして。やっぱりそういう運動なんて特に子供たちといったら、外でかけっこしますよとか鬼ごっこしますよとかボールで遊ぶよっていう中で、自分がそれらを上手くできないとなると、まあそういった人(運動ができる人)とあまり関わらないという。
で、勉強も苦手だから内気になって教室で手もあげないしみたいな中で自信を無くしてみたいな部分もあって、コミュニケーションが苦手になったり」
林
「そのスポーツが得意でアクティブな子達がうまくやりすぎちゃうから、そうじゃない子が過剰にコンプレックスを抱く可能性があるなあと思う時はありますね、やっぱり」
Ado
「まあ、事実としてそういうことってありますし、やっぱり教室って、1つの教室にたくさんの個性が集まるっていう事ですから。
でも私は私で後悔していないといいますか。
やっぱり、絵を描くことが好きだったので、絵を描く時間っていうのは楽しかったですし。
内気だったからこそ、家にずっといて、歌を歌ってという事が出来たのかなって。
これで成績も良くて、運動神経がイエーイ、私はいいです!っていうような人間だったら、たぶんAdoじゃなかったかなと思うので」
林「一人で自分の世界を広げていく時間に時間を割かなかった可能性もありますもんね?」
Ado「うーん。そうだと思いますね、ほんとに」
運命を変えた「姿を見せない歌い手」という生き方
勉強もスポーツも得意ではなく、大好きだった絵もそこまでの才能を見出すことはできなかった。
しかしそんなAdoの運命を大きく変えたのが、小学1年生のころに出会った初音ミクなどのボーカロイド。通称ボカロ。
これは歌詞とメロディーを入力するとパソコン上で歌を歌わせることができるシステムの事(ヤマハの歌声合成技術)。
さらにSNS上でそのボカロ曲を歌いこなす歌い手の存在を知り、自分もこうなりたいと志したことがAdoの始まり。
林「Adoさんご自身もボーカロイドに救われたっていう思いをお持ちなんですよね?」
Ado「はい、そうです」
林「で、国立競技場のライブで初音ミクさんへの想いを涙ながらに話されてましたよね?」
Ado
「そうですね。ほんとにやっぱりボーカロイドや歌い手という文化がもともとインターネットの文化ではありますが。
私はインターネットの文化こそが自分の中での希望でしたし、私の中の未来が見えて、ほんとに輝かしいものでしたし。
ほんとにやっぱりそれに純粋に恩返しがしたいと思いますし。
だったら、本当にAdoという存在が歌でも歌でない形としても、日本のためになりたいなと。
そして、世界に「日本がどれだけ素晴らしいのか」を伝えなければならないなと」
日本で生まれたボーカロイドという新しい音楽に救われたAdo。
だからこそ、日本文化への恩返しがしたい。
それが21歳のAdoが世界に向けて発信し続ける原動力であり、使命だと考えている。
ラジオに挑戦「Adoのオールナイトニッポン」
人とコミュニケーションをとるのが苦手というAdoが昨年、毎週生放送のラジオ『Adoのオールナイトニッポン』に挑戦。
林「そもそもラジオの話は引き受ける時にどう思われたんですか?」
Ado
「まあ、オファーをいただいて、ものすごく悩みまして。
私が喋りがむしろ苦手な方ではありましたので。
「そんな自分がやっていいのか」という気持ちもありましたし、本当にもう不安なことが多かったのです。
やって損なんて絶対ないなというか、やっぱり絶対成長する。
自分は喋りが苦手でとか、コミュニケーション能力がなくてコンプレックスでみたいな部分を今になって解消できるんじゃないかな?という部分がありましたので。
「自分が無理と思う事ほどやった方がいい」と思ったので、やってみましたね。
だって、自分の可能性を自分でそこで決めることになりますから。
で私は、言ってしまえば自分のことがすごく「嫌だな」「嫌だな」と想いながら生きてきたので。
じゃあなんでそこで「無理」といえるのかという。
自分で自分の可能性を決めてるのに、嫌というのは我がままじゃないかって自分に対して。
結局また自分の事を嫌になる・嫌いになるだけなので。
だったら最初は大変かもしれないけど、最初が大変なだけだから頑張ろうって思いました。」
無理だと思う事で挑戦をしない。
挑戦を諦めるとますます何もできない自分を嫌いになっていく。
この負のループを抜け出すため、Adoは自分が無理だと思う事ほど挑戦してきた。
好きな言葉「残夢」をアルバムタイトルに
現在21歳。
新しくでるアルバム「残夢」。そのタイトルにはある想いが込められている
Ado
「今回の「残夢」というタイトルは私が好きな言葉で。
既存の言葉なんですけど、残夢っていうのは。
(残夢の意味は)見果てなかった夢、目覚めてもなお残る夢っていう意味でして。
私も色んな夢を叶えてきた中で、それこそさいたまスーパーアリーナっていうステージだったり、国立競技場というステージ。
もう私の中で夢だったんじゃないかなって思う時がよくありまして。
そういったなんか夢のような出来事を思い返すことが、なんか自分にとって残夢だなって思うこともありますし、このアルバムが皆さんの中で夢として残り続けてほしいなという想いがあったので、残夢という言葉を選びました。」
今後の目標はグラミー賞
林「もう世界ツアーも行われたAdoさんですけれども、この先の目標というと何になりますかね?」
Ado
「いやーやっぱりそうですね。いずれは…いずれはというか必ず、グラミー賞を獲りたいなと。
海外で大きくなったうえで、まだ日本のアーティストや歌い手さんがやったことのない規模の世界ツアーを行う事ですね。」
将来の夢に悩む若者に伝えたいメッセージ
Ado
「向き不向きって本当に人間なのでたくさんありますが、ただ人間が必ず不可能なことって私はないと思っていて。
私も「メジャーデビューしたい」みたいな中で、色々考えたり、どうしたらいいんだろうとか。
こういう風じゃないと自分が望んだ形は選べないのかなっていう中で、色んな選択をして、いろんな失敗もして、いろんな考え方の見方を変えましたし。
自分の可能性を少なくとも自分で決めちゃいけないなと思いますね。
ほんとに選択肢を知らないだけで、選択はたくさんあるので。
その夢をつかむまでの選択や道のりっていうのもたくさんありますし、色んな夢だって、そもそもたくさんありますし。
だからいわゆる、ご自分の中の当たり前や平凡を選ぶなんてことをしなくていいと思います」
Ado自身人前で歌いたいけれど、その勇気がないというジレンマを抱えていた。
しかし、歌い手という姿を見せなくても歌う事の出来る選択肢を知り、今がある。
夢の選択肢はいくらでもあるし、夢を実現するための道のりもいくらでもあることを知ったからこそ、Adoは夢を追い続けることができる。