プロフィール
1976年5月17日生まれ(放送日現在48歳) A型
妻は女優の瀬戸朝香さん
1988年12歳でジャニーズ事務所に入所
1995年11月1日 19歳で V6のメンバーとしてデビュー
2007年9月 かねてから交際中だった女優の瀬戸朝香さんとの結婚を発表
2010年に長男、2013年に長女が誕生
2021年11月1日に V6が解散
普段の生活
外食は地元の商店街で
野々村友紀子「外食は良くされますか?」
井ノ原快彦
「外食は僕結構好きで。地元の商店街とかのお店ばっかりですね。
商店街、たぶん誰よりも詳しい。地元の商店街。
俺、才能だと思うんだけど、オーラが消えるというか。
元々あるみたいな言い方しちゃってますけど(笑)」
野々村友紀子「ありますよ。 ありますよ」
お子さんとの関係
共有する音楽
野々村友紀子「言ってきますか?お子さん。今これが流行ってるとかって」
井ノ原快彦「あ~なんか、僕が聴くべきプレイリスト作ってくれて。今これを聴いとけとかって」
野々村友紀子「え~めっちゃ優しい。お子さんに結構音楽「これ聴き~」とか言ってはったんですか?」
井ノ原快彦「そう。レコードで聴かせたりした。吉田拓郎さん聴かせたりとかして。ちっちゃい時に。そしたら、うわ~とか言って。「俺これを聴きながら眠りたい」とか言って」
お遊戯会・運動会は全部参加…釣りやボールプールにも連れて行き
野々村友紀子「お遊戯会とか運動会とかってイノッチさん見に行かれるんですか?」
井ノ原快彦「結局、全部行きましたね」
野々村友紀子「場所取とかはない?」
井ノ原快彦「やりました やりました。ブルーシート持って行って」
野々村友紀子「むっちゃ大変でしょ?」
井ノ原快彦「ムッチャ大変」
野々村友紀子
「うちの場合やとね「なんでここなん?」とかね。あるんですよ。
なんか日陰とか色々考えてーやとかね。ある」
井ノ原快彦「「途中雨降ったらどうするの?」とかね。「なんでここ?」「写真撮りづらい」とか」
野々村友紀子「あ、そうそうそうそう。で、日照ってきたら、ちょうどいい日陰になったりとかね」
井ノ原快彦「そんなとこわかんねーよ」
野々村友紀子「ある。ある。何して遊んだんですか?」
井ノ原快彦「釣り行ったり。ボールプールで遊び連れてったり」
野々村友紀子「ボールプールね。ああ、よう行った。「いない いない」言って探したりとかして。はよ見つけたら怒られて」
料理もする…キャラ弁も
野々村友紀子「お料理は、じゃあたまに凝ったやつを作る?」
井ノ原快彦「うん。あとお弁当とか。うん。お弁当作ってましたずーっと」
野々村友紀子「どんなお弁当作るんですか?」
井ノ原快彦「キャラ弁?」
野々村友紀子「え⁉キャラ弁作るんですか?」
井ノ原快彦「うん。なんか僕の似顔絵を描いて」
野々村友紀子「ええ。ちょっと待ってください。それはダメです。いくらイノッチさんでも」
野々村友紀子「イノッチさんは自分で買い出しとか行くんですか?料理する時とか」
井ノ原快彦「もちろん」
野々村友紀子「スーパー行くんですか?」
井ノ原快彦
「行きます。もちろん。俺ホント毎日ぐらい行く、スーパー。
これとこれとこれを買わなきゃいけないっていうメモして、1個1個潰していくのが好きなんですよ。」
野々村友紀子
「私、できるだけやっぱ行きたくないんですよ。
毎日その献立考えながら、冷蔵庫の中のものも消費せなあかんし。
好きなものだけ作れないんです!こっちは」
良かれと思ったことが裏目に出て怒られる
野々村友紀子「(家で)怒られたりしないんですか?」
井ノ原快彦「怒られますね」
野々村友紀子「声ちっちゃ。ちっちゃい声」
井ノ原快彦
「なんか良かれと思ってやったことが、全部裏目に出るんですよ、僕は。
だから、良かれと思ってやったるから、こっちもなんか反論しちゃうじゃないですか。
(前回)あれが足りなかったから、今回は持って行こうと思って持って行ったら、全然使わなくてただただ荷物になったりとか」
野々村友紀子
「ウチもあるんですよ。旦那(夫・川谷修士)全部間違ってるのに。全部間違ってるのに、なんか言ってくるみたいな」
井ノ原快彦「旦那さんとオレ全く同じタイプかもしれない」
家事はやる方
野々村友紀子「家事って結構やられるんですか?」
井ノ原快彦「やる方だと思いますね」
野々村友紀子「やる方?そんな担当とかあるんですか?」
井ノ原快彦「皿洗ったり、なんか食べるなら、作ったり。あとなんだろう…」
野々村友紀子「もう終わった?」
井ノ原快彦「どのくらいやったら、やってることになります?」
野々村友紀子
「いや、やっぱり。見えない家事ですから。もう家事っていうのは。
例えばホントに洗面所使った後ね、キレイにしとくとか。
鏡に何か水飛んでたりをほったらかしにする旦那多いって私もよく愚痴きくから。
水見えてへんのんちゃう?みたいな」
井ノ原快彦「そういったら、家事っていうのか分かんないけど、流れていく所(排水口)の掃除とかは僕がやります」
野々村友紀子「素晴らしい。すごい褒められるんじゃないですか?」
井ノ原快彦
「うーん、あれ(=排水溝)ってあんまり気づかれない所じゃないですか。開けないと分かんないから。
だからちょっとまだ俺も子供だなと思うのはね、言っちゃうんですよ。
「排水口やばかった~」とか」
野々村友紀子「うわ、うるさっ!ってなる」
井ノ原快彦
「でもさ、気づかれない場所だから、次の掃除の時まで気づかれなかったら嫌だなと思っちゃってるから。
「あれ、なんか今日肩痛いな。あ、そっか。排水口やったからだ」言っちゃうんだよな」(笑)
野々村友紀子「それ言われたら、なんか褒めたくないんですよ(笑)」
野々村さんは夫婦で朝3時、4時まで語り合う
井ノ原快彦
「前それこそ朝の番組やってた時に。夫婦の会話って、子供と実家以外の話じゃないと夫婦の会話とは言わないんだって。絶対しなきゃいけない。子供の話。学校の話。
それってもう連絡事項みたいな。
そこの会話が(野々村さんは)すごく多そう。旦那さんと」
野々村友紀子
「はい。そうですね。子供の話ももちろんしますけど。
自分たちの好きな映画だったりとかマンガだったり、読んだやつ。
「こんなの読んだよ」とか。付き合ってる時から変わらず、はい。
気が付いたら朝3時とか4時とか、よく。喋り過ぎて」
(スタジオで)
佐藤栞里「理想のご夫婦すぎる」
ハライチ澤部「理想は11時半でしょ。朝3時、4時はさすがに…」(笑)
性格
優しいと言えば俺でしょ
野々村友紀子「自分で優しいっていう自覚あるんですね、やっぱ。やっぱあるんですね」
井ノ原快彦「優しいと言えば俺でしょって」
野々村友紀子「それは思います。日本で、上位に入ります?優しさで言うと」
井ノ原快彦
「俺?ああ、入りますね。
もう、メール?友達とかに送るメールで、ニコ😊とか。ごめん🙇とかって絵文字つけるじゃないですか。
気づいたら、同じ顔して打ってんの。
ああ、俺!俺ニコニコしてた!って。」
(スタジオで…)
美少年・岩崎大昇
「井ノ原さんめっちゃ絵文字使うんですよ。信じられないくらい返信も早いんですよ」
浅草育ち、周りに女性が多く、女性の気持ちが分かる
野々村友紀子
「ずっと朝の情報番組やってて。女性支持なんであんなね集まったかな?って自分で何かありますか?」
井ノ原快彦
「いや、子供の時に浅草で育って。ホントに僕の周りって、女の人が多かったんですよ。
姉の友達と。僕の幼馴染みんな女の子で。
で、母親みんなと、おばあちゃんとかといつも旅行したり、遊びに行ったりしてたから。
あん時のおばちゃんたちが見てるって思ったら、なんて言うかなぁみたいのはあったかもしんないなと思って」
芸能の世界へ
ダンスはもともとやってた?
野々村友紀子「芸能界入る前は、ダンスとかやってなかったんですか?」
井ノ原快彦「やってなかったんですよ。入ってから。見よう見まねで」
野々村友紀子「お子さんなんか途中で(習い事)やっぱやめたいとか」
井ノ原快彦
「いいよって。うん。
自分もそうだったんですけど、辞めたいときって、ほんとに辞めたいんだと思う。
辞めたかったんですよ。
(それを)乗り越えて、やるほどの価値があるかどうか自分で考えないと」
20代はめちゃくちゃ遊んだ
野々村友紀子「遊ぶ暇ありましたか?」
井ノ原快彦「むっちゃくちゃ遊びましたね。20代はホント遊びました」
野々村友紀子「何して遊んでたんですか?」
井ノ原快彦
「飲み行ったり。車にバーベキューセット積んで、仕事終わったらそのままバーベキューやりに行って。街の遊びも山の遊びも海も行ったり」
野々村友紀子「当時、どこで飲むんですか?」
井ノ原快彦
「下北(沢)が多かったですかね。
いまだに仲いいアーティストの方とかいるけど。
その時下北(沢)で出会った人とか。割と多いかもしんない。
あと、六角(精児)さんと僕仲良かったから。
帰れなくなると大体六角さん家泊まって。風呂掃除しますんでっていう。
昨日も下北(沢)いましたけど、僕は。
吹越満さんと昨日も飲んでたけど。
朝ピクニックじゃないけど、パンとか持ち寄って、午前中一緒に食べようか~とかっていう。
飲みもするんですけど。
そういうのがもう楽しくてしょうがない」
家の壁に写真を貼って事務所に所属してる人の名前と顔を覚える
野々村友紀子「大変じゃないですか?若い人と話すの」
井ノ原快彦
「育成は、今年(2024年)の頭ぐらいまでやってたんですけど、今は違うんですけど。
その(年齢の)幅が広くなりましたんでね。50いくつから、下は7歳とか。
(家の)壁にずっと貼ってました、写真。全員分。
ほんで、気づいた時、「○○!」つって、自分で。家で1人で」
野々村友紀子「何枚くらい貼ってたんですか?」
井ノ原快彦
「全員で190人位いた時があったから。それもう貼って。名前だけ隠して。
でも、やっぱ実際会って話していくと、もう忘れないじゃないですか」
(スタジオで…)
美少年・岩﨑大昇
「育成として会ってくれたときにはもう既に知ってらし…なんかもう覚えてくださってたみたいなので。あ、やっぱそういう風に覚えててくれてたんだと思ったり」
ハライチ岩井
「ちょっと髪型変えたりとかも、やっぱするわけじゃない?そうすると、分かんなくなっちゃう」
ハライチ澤部「写真と全然違ったりね。そして、キレちゃうもんな普通は。写真と全然違う!」(笑)
ハライチ岩井「家の写真と一緒にしろ!あの壁のやつと!」(笑)
野々村友紀子
「結構今、若い人と喋るの苦手なね?人。パワハラだモラハラだ言われたりとかって。
そのコミュニケーションで、その若い人とはこういう風にコミュニケーション取るとかあるんですか?」
井ノ原快彦
「食事をごちそうしてあげたいと思っても、「お腹空いてる?」って。
で、「空いてます」と。「このあと何か予定あんの?」って。「ないです」って。
「俺今からご飯食べに行くんだけど、一緒にくる?」っていう順番で話聞いてますね」
野々村友紀子「一回段階をこう」
井ノ原快彦「そうですね。断られたらどうしようってのもあるじゃないですか」
アイドルで良かったと思う瞬間は?
野々村友紀子「よくありますか?そういう機会。やっててよかったなみたいな」
井ノ原快彦
「ステージ上からお客さんの顔を見てると、「あ、こんな顔してくれるんだ」とかって思いますね。
自分がこういう顔をする時って、どういう時なんだろうって思っちゃって。
僕あるかなぁ?って思うくらいすごくいい顔してるんですよ。
やっぱね、すごいキレイにしてくるでしょ?みんな。洋服も新しいし。
ああ、そりゃこの日のためにとか」
野々村友紀子
「あのうちわとかこう要求というかね?やって欲しいこと。
ああいうのもちゃんと目に入ってるんですか?」
井ノ原快彦
「全部見て、全部やります、僕。余すことなく。
ハートとか。ピースしてとか。
僕植物育てるの好きだから、(ラジオで)「アブラムシ対策どうしたらいいか分かんないんだよ」って言ってたら、「床の土のところに銀紙を貼るとその明かりに照らされて、葉の裏にいるアブラムシがいなくなりますよ」ってちっちゃい文字で書いてあったんですよ。
書いてあって。「ええ?本当に?」とか言って」
V6としての活動とメンバーとの関係
V6で一番の仲良しは?
野々村友紀子「仲良しは、誰が一番仲良しなんですか?」
井ノ原快彦
「誤解のないように言いますけど。まあ、仲良しっていう感じじゃないでよすね。
プライベートで会うってことはまずないですね。
連絡とかとったりしないですけど。まあ、岡田(准一)はたまーに連絡するかな~」
野々村友紀子「どういう連絡?」
井ノ原快彦
「誕生日とか。誕生日おめでとうとかって。
(岡田の誕生日が)11月18日なんですよ。
で、11時18分よく見るんで。
それをスクリーンショットして送りつけるっていうのやってますよ。
普通のお店の時計とかでも。11:18ってデジタルで出てきたら、おーって撮って。
それを20個ぐらいまとめたやつドーンって送ったんです」
野々村友紀子「仲悪いもないんですか?苦手とか」
井ノ原快彦「あーないですね」
野々村友紀子「森田(剛)さんはイノッチ嫌いって最初ね?(笑)」
井ノ原快彦
「ええ、ええ。それも、なんかテレビで言っちゃったあとにすぐ。
(森田剛が)「とっさに出ちゃってごめん」って言って。
とっさに出るのが一番嫌いなんだろつって」
V6大変だった時期は?
野々村友紀子「年齢でも分かれててとかで。大変だった時期ありますか?」
井ノ原快彦
「グループ自体がたぶん大変なんで。
全員同い年だとしても、たぶん大変なんですよ。
バンドとかなんか、昔から仲いい学生時代からバンドやってて、自分たちの責任で集まってる人たちっているじゃないですか。
で、我々どっちかっていうと集められた部分があって。
当時は24歳と14歳が同じグループにはなかなかならないじゃないですか。
まあ、リーダー(坂本昌行)が大変だったんじゃないですかね。
で、早く起こさないと、岡田(准一)とかまだ中学生だったから。
(坂本昌行が)「学校行け!」って言ってましたよ。
まあ、もうほらみんな、僕も含めてやんちゃだから。
ダビスタっていうね、競馬のゲームあったんですよ。
ダビスタハマっちゃって」
野々村友紀子「それはメンバーでやるんですか?」
井ノ原快彦
「メンバーでやってましたね。
だから現場で、「次のG1ちょっと突っ込むぞ」とか。
「新人だから、そこはこの会話やめましょう」みたいな。
リーダー(坂本昌行)に怒られて。」
野々村友紀子「大変な時もあったけど、そうやって仲いい感じで結構進んでいってるんですね」
井ノ原快彦
「結局、26年活動してたんですけど。
まあ、1人もかけることなく、突っ走りましょうってことで。
まあ、今思うと楽しいことしかなかったですね。うん。
それってまあ、長くやってるから、みんなぎくしゃくする時もあるんで。
それは、そん時は「もう嫌だ」とか「辛い」とか思ってたけど。
今思うと、なんてことないじゃないですか。そういう昔のことなんて。
「かわいいな」とか、もう「愛おしいな」とか思っちゃうから」
48歳の今でも、トニセン(20thth Century)として現役でアイドルを続ける
(坂本昌行53歳。長野博52歳)
アイドル、俳優、バラエティー番組と多岐にわたり活動できる理由
野々村友紀子
「アイドルと言っても、やることいっぱいですね。
バラエティーもやらなあかんしとか。学校も行かなあかんしとかあったじゃないですか。
学校行きまくってんの観てましたよ」
井ノ原快彦
「週に3日くらい学校行ってたから。
お芝居のだからレッスンは、ほとんどなかったですね。
何もできない状況で行くんすよ現場。
人ってやっぱ順応するっていうか。
何にも出来なかったのに、3カ月やって終わるころには、役者ですみたいな顔して。
友達の演出家に月に1回ワークショップやってもらうんですよ。
5~6人ぐらい集まって。
若手の20代の子と一緒にワークショップやる」
スタッフ「今もですか?」
井ノ原快彦
「いま、今やってます。だから、めちゃくちゃ恥もかくし。
だけど、それがもう楽しいっていうか。やってこなかったから」
心に残っている言葉「井ノ原くんがいなかったらV6じゃない」
野々村友紀子「誰かに言われてすごく心に残ってる言葉とかってあります?」
井ノ原快彦
「(子供の頃)レインボーマンのショーを家族で見に行ったんですよ。
ショッカーみたいな黒い軍団が、「この会場のかわいい子たちをさらってこい!」って言ったんですよ。
俺んところに来て、「お前だ!」って言ったんですよ。
「俺かわいいんだ」と思って」
野々村友紀子「そういう話じゃないんですよ」(笑)
井ノ原快彦
「俺も話しながらそうだろうなと思いながら。
僕ね、よくね、怪我をしてたんですよ。
首もケガしちゃったし、足もケガしちゃったり。
あの、ライブできない状況になっちゃったことがあって。
初めて、僕がいない(V6の)ステージを見たんですよ。
「あ、でも俺いなくてもまとまるんじゃないかな」と思っちゃったんですよ、見たときに。
かっこいいと思って。
多分三宅(健)だったと思うんですけど。
「もう井ノ原くんいなかったら、V6じゃないから」って言ってくれたんですよ。
40代みんな超えても、続けられたのはそういう言葉とか。
みんながこう…初めて5人でやってるのを見れたっていうのがすごかったの。
ああ、いいグループだなと思って。
ここ入ってていいのかって思ったのはありましたよ」
野々村友紀子「これこれ」
すごいと思う後輩は?
野々村友紀子「この子すごいでみたいないますか?」
井ノ原快彦
「やっぱ今すごい人気のSnow Manとか。そのSixTONESとかは、苦労もしてきてるから。
事務所で、こう何階で誰が稽古してますとかいうのが出てるんですね。
コイツ1人でさっきからずーっとやってんなと思って。
誰だろうと思って行ったら、ラウールがずっと練習してた。
彼らがまだジュニアだった頃から見てますけど。
この時代に俺入ってたらたぶん世に出れなかったんだろうなっていうレベルの高さだから。
「いやぁ~もう昭和で良かった!」ってみんなで言ってるけど。」
(スタジオで…)
美少年・岩﨑大昇
「でも、井ノ原さんのそのやっぱ部屋みたいなとこがあって。
もういろんな部屋のモニターが見えるから。フラっと遊びに来てくれたり。
「何やってるの?」みたいな」
最後に
人生のピークはずっと今
野々村友紀子「人生のピーク聞いていいですか?」
井ノ原快彦
「はい。ずーっと今です。
あの頃は良かったな的な考えがないんですよね。
ピークいつですか?って聞かれたのが人生で初めての質問でしたね」
野々村友紀子「あ、ほんとですか?」
井ノ原快彦「うんうん。ずっと今かもって思えましたね」
36年間の芸能生活で一番辛かった時期は?
井ノ原快彦「(辛かったのは)去年(2023年)ぐらいかなって(笑)」
野々村友紀子「色々ありましたからね」
井ノ原快彦
「まあでも、なんでもかんでも悪いと思わなくて、僕。
色々自分が辛い時に、さりげなく連絡してくれたりとかする人たちがいるじゃないですか。
で、ちょっと辛そうな時期をずらして、「飲みいこっか」とか言ってくれて。
何にも言わずに、ただ飲んでくれる友達が数人いるっていう。
だから(自分が)辛い時でも、「あ、こんなにあったかい人たちが、こんな近くにいたんだ」ってことが分かったりとか。
悪く言ってくる人たちも、そんなに悪い人たちじゃないんだなって思ったりとか。
ああ、色々あってみるもんだなとも思いますけどね」
来世もイノッチ
野々村友紀子「来世もイノッチで?」
井ノ原快彦
「来世もイノッチですね。
…来世ってあるんですか?あると思ったら怠けちゃうんですよ。
「ああ、来世やればいっかー」みたいな」
野々村友紀子「お仕事は何歳までやりますか?」
井ノ原快彦
「職人さん死ぬまでやるじゃないですか。
こればっかりは、「お願いします」って言ってくれるんだったらやりたいし。
でも、職人さんのように「満足いくものが作れませんよ」ってなった時には、自分でも辛くなっちゃうと思うんで。
楽しそうじゃなくなったら、みんな言ってください、僕。
全然楽しそうじゃないですよって言ってください、もう」