【人生が変わる1分間の深イイ話】競泳池江璃花子さんの母に密着(2024年6月24日放送)

水泳 その他ジャンル

競泳池江璃花子さん(23歳)の母(池江美由紀さん)に密着。
璃花子さんは、リオ、東京、パリ3大会連続オリンピック出場しました。
璃花子さんの強さ。そこにはお母様の影響が感じられます。
璃花子さんはどのように育てられたのか?
子供時代や教育方法、白血病になった時の様子など語られました。

池江璃花子さんプロフィール

2000年7月4日生まれ(放送日現在23歳)
東京都江戸川区出身
専門は自由形とバタフライ

自宅のふろ場で水中出産によって誕生
生後2か月頃から母親が運営する幼児教室に通い、超早期教育を受ける
母親が本で脳の発達にうんていが良いと読んだことから、生まれてすぐにうんていに取り組み、
生後6か月で母親の親指を握ってぶら下がり、1歳6か月の時には鉄棒の逆上がりをこなした。
水泳は兄の影響で3歳10か月から始めた。
5歳の時には自由形、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの4泳法すべてで50mを泳げるようになった。

(以上Wikipediaより)

 

玄関に11種目の日本記録の賞状。リビングにうんてい

メダル

持っている日本記録の賞状が壁一面に飾られている自宅の玄関。
11種目日本記録を今でも持っていて、さらに、団体種目を合わせると、17種目の日本記録を持っています。

池江ママ
「自分が出した日本記録を自分が更新してるのでまたもらうんですよ。
100mバタフライだけでも8回更新してる。」

こんな調子で日本記録を塗り替えまくっていて、これまで獲得したメダルや盾は通算300以上。
賞状や盾などが多すぎて、自宅に飾るのは難しく、大きなボックス6箱にいれ、そのボックスの上にさらに色々盾など置いている状態で保管しています。

 

また、自宅リビングの天井にうんていを設置。

池江ママ
「子供たちが欲しいっていうのでつけました。
水泳ってこう(腕を)いれてグッと水を後ろにやるんですけど、それやっぱりうんていやるとグッとつかんで、そういう力もついたんじゃないかな。」

 

教育方法と璃花子さんの性格

女の子

池江ファミリーを昔から知るお友達

池江家は3人兄弟でりかこさんが一番下。
池江ママはりかこさんが幼い頃に離婚。
育ち盛りの3人を女手一つで育てました。

そして、りかこさんが水泳を始めたのは3歳の時

 

納得できなかったら絶対折れない

池江ママ
りかこが一番手が焼けたかなってところありましたよね。
とにかく自分の好きなようにやりたくて、3歳のころ兄弟でソフトクリーム食べる時も…

3人で1つソフトクリーム買ってあげてたんですよ。上2人は早く食べなきゃ早く食べなきゃって。でもりかこは、1人で全部食べなきゃ私は一口もいらない。
あれがすごくりかこを象徴しているんじゃないかなと思います。

納得できなかったら絶対折れない。私とそっくり。(笑)」

一度決めたらやり切る。その負けん気の強さはお母さん譲り。
小学3年生の時には同学年に敵なし状態!でした。

 

すべてにおいて1番

りかこさんが小学生の時12歳まで教えていただいたスイミングクラブのコーチ清水さん。

清水コーチから見た璃花子さんとは…

清水
何やってもぶっ飛んでる子でしたね。腕相撲選手権、腹筋選手権だったり色々やったんですけど、すべてにおいて1番でした」

小学6年生の時にはジュニアオリンピックで優勝するまでに。

 

絶対に甘やかさない

お友達の話
「湯河原によくいっていたんですけど、りかちゃんも一緒に行って、で海にゴーグルを忘れちゃったみたいで。それを「捜してこい!」って言って。
私からしたらもうすごい選手なのに、何でも買ってあげたらいいのかな?と思ったけど、そういうことをちっちゃい時からちゃんとしてましたね。
お母さん譲りで割となくすからね」

どれだけ試合に勝とうとも絶対に甘やかさない。自然と強い池江璃花子さんが育っていきました。

昔からの知人の話
「りーたん(りかこさん)がランドセルを持って行かなかったみたいで、学校から「ランドセル持ってきてないですよ」って連絡があっても、「届けないよ。自分が忘れたんだから」」

池江ママ
自分が今度から気を付けなきゃいけないということを学習してほしいと思うんですけど。りかこは3回忘れたらしいんです、ランドセル」

 

池江ママは靴はちゃんと下駄箱に入れるのがポリシーで、たたきに置いてあるのはダメ。
で、たたきにあるとぶん投げて外に出す。
ルールを守らなかったときに、ぶん投げる。
だから自分の靴(ママの靴)も時々(りかこさんによって)外に投げられていたそうです。

 

怒らずに、自分で決めて自らやらせる(藤岡弘さんとのランチでのお話)

この日は藤岡弘さんともんじゃランチ。

スタッフ「どういうつながりなんですか??」

母「たまたまご一緒する機会があったんです」

藤岡(70代だけどまだ子育て中)「辻井伸行さんのコンサートでお会いして」

 

池江ママの教育法に興味津々の藤岡さん。

池江ママ
「たとえ自分が大した人間でなくても、子供の前では女優にならなきゃいけないと思うんですよ。食事なんかも嫌いなものがあると食べないわけなんですよ。りかこなんか特に偏食だったんで。

でもそこで、たべなさいって怒るんじゃなくて、「食べなくてもいいよ ごちそうさましなさい」って。「でも明日の朝、これを食べてから朝ごはんだよ」って言うと、すごい勢いで食べる。

だからお手伝い怠けてても怒らないんですけど、でもそれをやらないと今日は全員お風呂に入れない

藤岡「自主性をそだてるという」

池江ママ「そうなんです」

藤岡「素晴らしい。いい教訓を学びました。楽しい。今日なんか楽しい」

 

子供たちに「目標を書かせる」

道

池江ママは幼児教室の先生。

しかも、約30年前自ら立ち上げた教室。

池江ママ
「自分の子供が生まれる前に、いろんな育児の本を読んだんですね。
そしたら、どういう言葉をかけるか?とかどういう環境を与えるか?とかどういう刺激を与えて上げるか?で人間っていうのはぜんぜん変わってくるって言う事を知ったので」

スタッフ「でもそれが教室を開くってなる?」

池江ママ
「最初は私も幼児教室に通わせたかったんです。だけど、自分でやっちゃおうかみたいな」

 

フラッシュカード

りかこさんが0歳から12歳まで続けていたレッスンが…
フラッシュカード。絵や記号をテンポよく見せ、記憶していく学習法。

池江ママ
子供は右脳が優位になっていて、こういう大量記憶とかがすごい得意なんです。理屈とか論理とかよりも能力として定着させてあげられる」

 

今年の目標を書かせる

しかし、能力開発以上に池江ママが大切にしていたことは…

池江ママ
「小学生の子供たちに、今年度がんばりたい目標を書かせてます
できると花まるをつけてあげて」

1年間の目標を書く池江流花まる目標。

池江ママ
書いてみて、目で見て、毎日読んでみるってことで潜在意識の中にどんどんどんどんそのやりたいってことの目標が入っていって大きな夢に将来繋がるんだよっていう」

 

2009年小学3年生のとき璃花子さんが初めて記した目標が

オリンピックで優勝した!

(したいではなく、「した」と書いていた。オリンピックの表彰台の真ん中の優勝の位置に自分が立ち、2位にペルー人、3位にインド人がたっている絵を描いていた)

池江ママ
「このころからずっとこういう絵を描いてました。「自分の夢をイメージして、絵を描きなさい」(と言っていた)」

 

それが大きくなるにつれ、目標タイムを書くように。

実際に璃花子さんが書いた目標

2010 春のJOまでの目標
・フリー 29秒台
・バタフライ 31秒台
・バック 33秒台
・個人メドレー 2分39秒台
・7種目JO出場!

→この目標を書いたそれぞれの項目に母の花まるが付けられている

スタッフ「達成したらご褒美はあったんですか?」

池江ママ
「りかこの場合は、全部できたら一緒に寝てあげるっていう。
それで大喜びでした。今思えば本当に大事な時間でしたよね。」

 

スタッフ
「今田さんが結婚したいという割にはしないんですよ。したいとイメージすればできるわけですよね?」

池江ママ
「やっぱりまあ、根底ではしたくないっていうのがあるからだと思うんですよ。
するデメリットってあるじゃないですか?
それをてんびんにかけると、まあしなくていいかなとどっかで思ってる」

今田「もうぐうの音も出ない」

 

池江ママの子供への想い

スタッフ「どんなおかあさんだったんですか?」

璃花子さん姉
「ちっちゃい時から結構厳しかったんですけど。
ご飯終わるまで立っちゃいけないとか。
自分も母になったから、その厳しさがありがたく感じるというか。
もう、ダメなものは絶対ダメで、最後までブレない

多忙な池江ママ。
幼児教室の仕事以外にも、全国での講演会、執筆活動。さらに娘に負けず週2回スイミングレッスン。今でも1時間で1500m泳いでいます。

しかし、ここまでに至る道のりは決して平たんなものではなく、シングルマザーで3人の子供を育て上げました。

池江ママ
「やっぱり子供たちに、自分の好きな人生を歩んでもらいたいし、沢山選択肢を持ってもらって、生きていくっていうようなね」

3人の子供の夢をかなえるため、どんなことでもやりたい。

璃花子さんの自主練に付き添い、腕の力を付けたいと璃花子さんが言えば、幼児教室に自作のうんていをすぐさま設置。
そして自宅の天井にもつけていつでも練習できる環境に。

さらに、海外合宿の時にも、璃花子さんの健康管理の為、自ら日本食を作りに行じきました。
忙しい仕事の隙間を見つけ、日本全国各地の大会から世界遠征までそばに居続けました。

池江ママ
「生まれたときから宝物であることは間違いないですし、やっぱり子供に恥じないような人生を生きていきたいっていう風に思いましたよね」

 

スタジオで…

今田「寺川(綾さん)(ロンドン五輪競泳背泳ぎ銅メダリスト)はお母さんご存じなんでしか?」

寺川「はい。もうそっくり負けず嫌いなところとかも」

後藤輝基(フットボールアワー)「最初から違ったんですか?」

寺川「小学校1年生の時に既に周りが、「あの子はすごい!」って言ってました

 

璃花子さんの白血病が18歳の時に発覚

病院

急性リンパ性白血病
血液内で細菌などを倒す白血球に異常が起こり、免疫力の著しい低下が起きる病。成人ではまれで、年間発症率約10万人に1人の血液のがん。

病が発覚した時

池江ママ
「その時は海外で合宿をしていたんですけど、調子が悪いっていうことも一切知らされていなくって。まあ関係者の方から「ちょっと合宿早めに切り上げて、日本で検査をします」って。あの娘が、そういう病気になったってこともショックでしたし、なんか1つはあんまり弱音がはけないように育ててしまったっていう。

やっぱり強い子になってほしい、強い人になってほしいって思って育ててたので、なんかそんな時も弱音がはけなくなっちゃったのかな?って。
なんかちょっと…よかったのかなって思ったりは…」

 

「もう死にたい」というほど辛い抗がん剤治療

そして始まった過酷な抗がん剤治療。
激しい頭痛と吐き気に襲われ、1週間以上何も口に出来ず。
体重は18kgも減りました。

池江ママ
「もう、死にたい!」って泣きわめいたんですよ。
その時はもう正気じゃなかったので。
病気を治してるんだけど、どんどん壊れていくような、娘が。
そんな様子でした。
まあ、普通の日常生活もできなくなってしまうのかなって思った時もあったので、娘と別れてから、病室の廊下を歩きながら、涙がでてきたりとか。っていうことは多々ありましたね。」

しかし、池江ママをすくったのは、極限状態の中、璃花子さんが病室で発したあるひと言でした。

東京オリンピックまで499日。まだまだあきらめない

そこにいたのは母が思うより何倍も強い娘の姿

池江ママ
「やっぱり信じてましたよね。自分がこのまま終わるわけがない。絶対また元の所に戻るって。」

 

退院してからすぐにトレーニング開始

スタッフ「退院してからもうすぐトレーニング始められた?」

池江ママ
「はい。もうここ(家のリビング)で。トレーナーさんに来てもらって。まあ、本当に歩くことがやっとの所から。」

退院直後、やせ細った体で筋トレをスタート。

池江ママ
ゼロじゃなくて、マイナスからですよね。
普通の人が、アスリートじゃない人がゼロだとしたら、マイナスですよね。」

子供のころより思うように体は動かないかもしれない。それでも…

自宅のうんていを最後までやり、数回しかできなかった腕立てから始め、必死のトレーニングで10kgのウエイトを下げての懸垂が出来るまでに。

そして、ついにプールに戻ることができました。

その直後今後の目標を聞かれた璃花子さんはこう答えました。

強い女性になる」。

池江ママ
「今でも体のことはすごく心配なんですよね。
ただ、あの子の人生なので、とにかく自分のやりたいことを一生懸命やってほしいと思うので、応援してと思ってます。」

 

今も貼り続けている目標

プール

これまで毎年自身の目標を紙に書き、実現するたびにお母さんに花まるを付けてもらっていた璃花子さん。
実は一枚だけ、今も実家の壁に貼り続けている目標があります。

それが…

東京2020で世界記録
50フリー 23秒67
100フリー 51秒71
200フリー 1分52秒98
50バタフライ 24秒43
100バタフライ 55秒48
200個人メドレー 2分6秒12

池江ママ
「病気になるとか思ってなかった時、世界ランキング1位になった時に貼ったんですよ。」

それは病気になる前、最も調子のよかったころに立てた目標。
この目標だけが、まだお母さんの花まるがついていません。

池江ママ
「もうそこまで望めないかもしれないけど、大事なことは記録を追求する種目なので、あくまでも記録に挑戦する
自分に挑戦するということが大事だし、それは私も応援してること。
だから私もはがせない。水泳やってる以上は。」

今の目標はパリオリンピックで新記録を達成し、お母さんに花まるをつけてもらうことです。

 

まとめ

衝撃的な白血病発覚。
それを知ってからの池江璃花子さんの強さ。
辛い抗がん剤治療で死にたい!という思いを抱いたこともあったこと。
そして、そんな状態の中、次の東京オリンピックに出る!と思える強さ。
退院してからすぐトレーニングを始める強さ。

 

今回の番組で知ったのは璃花子さんの強さです。

そして、その強さを作ったのはお母さん。
お母さんの強い子に育ってほしいという想い。
厳しく、そして子供の為に何でもする。
毎年、今年の目標を立てさせてそれを意識して過ごすというのもとても参考になりました。

今後、これまで以上の活躍を観れると嬉しいです。
ただ、無理をしないでほしいですね。
応援しています!

 

 

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