日曜朝の番組「シューイチ」は今年で14年目。
4人の男の子の父親。
中山秀征 人生史
昭和42年 群馬県藤岡市生まれ
平成10年 白城あやかと結婚
平成11年 長男・翔貴 誕生(現在25歳)
平成15年 次男誕生(現在20歳)
平成17年 三男誕生(現在19歳)
平成19年 四男誕生(現在17歳)
結婚して子供によって変わっていった
山崎育三郎「やっぱりご家族ができて、家族の支えってのは大きかったですか?」
中山
「そうです。だから結婚してからが変わったんですね。
やっぱり長男が生まれて、次男、三男、四男で男の子4人なんですけれども。
1人目の時っていうのは、子育てを手伝っていたっていう記憶はないんですね。
独身の時と同じような気持ちでやってたんですけど。
やっぱり2人目、3人目ってなってくると、やっぱり家内1人では当然もう手に負えないっていうシーンが増えてくるので、飲みに行くにしてもお風呂に入れてから飲みに行くとか。
でも子供によって変わってったんですよ。
それこそ、野球の送り迎えとか。
ねえ、育ちゃんも少年野球やってたから当然わかると思うんだけど、送迎は持ちつ持たれつでいろんなお子さんを乗せたりとか。
僕審判もやってましたので。
まあ、ほんとにだから、野球、長男は大学までやって、次男は高校野球をやって、三男四男はもう海外に留学したんですけども。
だからもうそれぞれがそれぞれの道に進んでおりますので」
親交のある高嶋ちさ子さんからみた中山秀征さん
子供が同じ学校で、家族ぐるみのお付き合いがある。
パパとしての秀ちゃん
高嶋ちさ子
「多分、仕事もお忙しいと思うんですけれども、最初のころは月~金の帯をやってらして。
幼稚園に行くのの送り迎えを、朝送ってそれ(その生放送)に出るみたいな感じで。
すごい大変そうだったんですね。
あの4人普通同じ学校に入れたら、4人目の時ってすごい偉そうになるんですよ。
主みたいになるんですよ。
だけど、本当に4人目の時もほんとに謙虚で、存在を消すんですよ。
で、特に芸能人って結構偉そうというか、目立っちゃう。
運動会にサングラスかけてきちゃうみたいなタイプ多いんですけど、全然そういうの無くて。
保護者会って、自分たちでいすを並べるんですよ。
率先して片付けたりとか。もう本当にみんなのために働くという。
で、なんか一番悲惨だったのは、運動会の席取り。
でそれで、結構頑張るパパたちは朝6時ぐらいに「行ってこい」って言われて。
で、秀ちゃんは噂によると4時半にならばされたって。
そんなエピソードを聞いたことがありますね」
中山「さすがに4時半に行ったときは、学校があいてなかったです。」
パパヒデちゃんの教育方針
高嶋
「ほらうちは「勉強しろ!勉強しろ!」なんですけど、もうヒデちゃんところはやっぱり両方とも芸能系。宝塚と芸能界だから、視野がもっと広くて。
「勉強しろ」とかいうよりも、自分のやりたいこと見つけて、それに向かっていくことに対して応援するっていうタイプですよね。
4人の子供の応援団っていう感じで、サポートするタイプのパパじゃないかな」
妻白城あやかさんから聞くヒデちゃんとは
高嶋
「それは言っていいことと悪いことが(笑)。
ママ曰く、とにかく(ヒデちゃんは)みんなに優しい。
その「全員」の中に自分(自身)も入ってる。ヒデちゃん自身も。
つまり自分にも甘い。厳しいよね。
けどパパってだいたい「言われたことやれたら100点満点」と思ってるんですけど、ママって言ったことの3言ったら10やってほしいじゃないですか。
ヒデちゃんも精一杯やってると思うけども、奥様からしたら「もっとできるでしょ!」みたいなところがあるのかもしれないですよね。
あとね、お土産がいつも漬物だっていうのは怒ってた。
どこにロケに行っても、お土産が漬物なんですって。
けどもうちょっとなんかファンシーなもの欲しいじゃないですか。ロールケーキとかさ。
なぜかどこ行っても漬物なんだって。」
こどもに対する深い愛情の源は15で親と離れた経験から
山崎「お子さんへの愛情がものすごく強いっていうのは感じますね」
中山
「それはそうかもしれないですね。
あのね、僕そのずーっと芸能界、自分が14歳からこの世界にいて、親元を15(歳)で離れてるんですよ。親といた時間が少ないんですよ。
親が亡くなってはじめてわかったのは、やっぱり親といる時間があまりにも短かったなと。一緒にいられる、本来ならもうちょっと一緒にいてもよかったんじゃないかなって時期をいなかったので。
僕がいられるところはいたいっていうタイプになったっていうのはありますね。
いつか離れるし、いつかみんなどこかに行くんだけど、そのいるまでの間は自分ができる事であるなら全部やろうと」
中山秀征さんの芸能活動
事務所でお笑い班を立ち上げた1期生
中山
「僕らは(事務所で)最初にお笑い班っていうのを立ち上げた僕1期生なんですよ。
その後に、ネプチューンとか、のちにホンジャマカが結成したりとか、TIMとか今のハライチとか、ハナコに至るまで。だからそれが無かったら、今の若手たちもいないんですよ」
第2のヒデちゃんは誰なのか?
中山
「ヒデちゃんはね疲れると思いますよ。ヒデちゃんが言うのもなんですけど、ヒデちゃんは意外と疲れると思います。(スタジオ爆笑)」
山崎「じゃあ、起きてから寝るまでずっと何か動いてる感じですか?」
中山
「妻から言えば「せわしない」んでしょうね。なんかずっとバタバタしてるし、落ち着きがない。
山崎「わかった。ヒデちゃんは赤ちゃんだ」
デビューしてすぐファンレターが1日100通
昭和60年 お笑いコンビABブラザーズとしてデビュー
中山
「もう毎日。もっとなんですよ。最初ね。
初日は普通に入れたんですよ、裏口から。
でも2日目になったら、もうすごい黒山の人だかりで。
え?誰かスターの方もいるから、あれかなと思ったら、キャーってなったのが僕だったんですよ。
1日で。それが日を追うごとに増えていって」
お笑い第3世代(ウンナン、ダウンタウン)の台頭でコンビからピンへ
中山
「そうですね。ちょうど80年代後半になってきますと、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンの時代になるわけですよ。これはもう空前のブームですよね。泣く子も黙るっていうくらいで、全部が変わるぐらいの勢いで、ブワーッていう第3世代の波が来て。
我々はほんともう木っ端みじんっていう感じだったですね。」
町をぶらぶら歩く番組「DAISUKI!」放送(平成4年)
中山
「やっぱり松本明子さんと飯島直子さんと出会ったことによって、中山秀征の司会とかあるいはテレビの立ち回り方とかっていうのが、この番組で決定づいたかもしれないですね。」
DAISUKI!で志村けんさんと初対面。
そこで、東村山音頭を手拍子しながらご本人に歌わせた。
山崎「これで(志村さんに)出会って、その後交流は?」
中山
「もうここから。この日に六本木に飲みにつれていっていただきまして。リムジンに乗せてもらって、六本木のクラブに行きました。2人だけで。
その日から僕と師匠の関係はお亡くなりになるまで続くんですけれど。」
銀座で一晩で100万円使う
中山
「寿司だけじゃなくてクラブとかもですけどね。でもほらカードがなかったんで、現金か請求書なんですよ。」
山崎「現金を持ち歩くんですか?何百万って?
中山
「持ってる人もいました。僕は請求書派。加藤茶さんは現金でしたよ。
茶さんは輪ゴムで万札が束ねてあって、そのままポッケにある。」
「THE 夜もヒッパレ」放送(平成7年)
歌手やアイドルの方などが自分の持ち歌ではない他の方の曲を歌う番組。
大人気だった安室奈美恵さんやSPEED、MAXなどが出演。
中山
「「ヒッパレ」は安室ちゃんが最初の相方で、その後が知念里奈ちゃん。
だからね、いろんなメンバーと。MAXもそうだったし、SPEEDもそうだったし。
一番キラキラしてたテレビ番組じゃないですかね。
(ヒッパレの)スタート当初は安室(奈美恵)ちゃん。スーパー・モンキーズのころだったかな。が最初ですから。安室ちゃんの成長も見ましたし、どんどんスターになっていく姿。
彼女のやっぱり歌も踊りも天下一品だったですね」
山崎「このときすごい忙しかったんじゃないですか?週どのくらいレギュラー?」
中山
「一番やってた時は(1週間で)14本ぐらい。裏かぶりはダメ。さすがにね。
裏かぶらないようにでてましたね。特に土曜日が多かったですね。生放送が3本あったんですよ。」
元宝塚・白城あやかさんと結婚(平成10年)
結婚披露宴に業界人600人が出席!?
中山
「プリンスホテルですね。芸能界やっぱ関係者多いですけれども、彼女も宝塚だからあの時星組全員来てくれて。(全員で)80名くらいですか。
これ嬉しかったのは、志村さんは結婚式って基本的に出ない。
「俺はそういうのは苦手なんだよって。俺スーツも持ってないし」ってそういう風に言ってたんですけど、出てくださったんですよ。」
山崎
「やっぱりこの昭和から平成、令和って時代が変わって(テレビが)求めるものが変わってくるじゃないですか。テレビも変っていく中で。その時代の流れってどうやって寄り添いながらやってきたんだろうなって」
中山
「節目節目で僕の場合は、結婚とか子供が生まれたりとか、そういったことがあって、自然とテレビの中と同時に変わっていった。だからそれが「タレント」とリンクしている所はあるかもしれないですね。」
ヒデちゃんの長男で俳優の中山翔貴さん(25歳)VTR出演
スタッフ「VTR越しですけど共演が初めて?」
翔貴
「そうですね。それは、はい。どうすればいいかわかってないです。」
ずっと優しい
翔貴
「いいパパですね。基本的にもうほんとにずっと優しいんで。
どれだけ疲れて帰ってきてたとしても、自分たち(子供たち)に当たったりとかも何もないし。
まあ絶対嫌なこととかもつらいこととかも、もちろん今まであったと思うんですけど、そういう面を本当に自分たちに見せたことがなくて。すごいなと。
そういう意味ではストレスとか無いのかな?」
スタッフ「反抗期はなかった?」
翔貴
「そうですね。自分自身はあったんですけど。
だから、母親と戦うっていう感じですね。
まあ、母親も結構厳しかったのでそこでバトってる時に、父親が自分の味方をしてくれるんですけど、ホントにそれがすごい嫌で。
それをすることで、母親が父親に「なんで味方するの!」って方になって余計長引くんで、毎回自分は「入ってこないで!」って言ってます。「味方とかいらないから!」って言って。すぐ入ってくるんで。で、何回もマジで入ってこなくていいからって。
何でも入って、まとめようとするけど全然まとまらない。
テレビだとなんかこう司会なのでまとめてると思うんですけど、家庭を上手くまとめることは得意じゃない。」
スタッフ「お酒一緒に飲まれたりするんですか?」
翔貴
「します。初めてはお家で飲んで。
でもその時は、僕が大学生で野球部の寮に入ってたんで、野球があんまりうまくいってなくて。でその悩みって自分はあんまり人に言いたくないタイプで。でもなんか否定もせず聞いてくれたので、それは自分にとってはすごくうれしくて。
あの苦しかった時期に吐き出せたのは、なんかありがたかったなあと思ってます」
父にメッセージ
翔貴
「まずは、ここまで育てていただいて本当にありがとうございます。
ずっと野球をやらせてもらって、でそのまま野球をやめてこの芸能界に進むって言った時も、背中を押してくれて。なんか自分の好きなことを否定せずやらせてくれたっていうのは本当にうれしかったです。
子供たちの僕含め弟に自由に好きなことをやらせてくれて、本当に感謝してます。ありがとうございます。
自分も俳優っていう仕事をはじめてみて(2022年俳優デビュー)、長く芸能界で続けて行く大変さというかすごさっていうのを知ったので、尊敬してます。
お父さんはこの仕事が本当に大好きだと思うので、たぶん長くまだ続けると思うんですけど、元気に病気なく頑張ってください。一緒に俺も頑張ります」
最後に「やっぱりテレビが好き」
中山
「一番はやっぱりテレビが好き。やっぱりテレビに憧れて、テレビの世界に来たので。
やっぱりテレビが好きだってことは一番ありますね。
山崎さんがいったように、赤ちゃんなんですよ。まだ育っていくのかな。この後反抗期くるかもしれない(笑)」