ゆずのイメージの花 (花人 赤井勝)
ひまわり(見るだけで明るい気持ちになる)
ゆずの2人は小学校時代の幼馴染
ゆずの2人。
北川悠仁(ゆうじん)さんと岩沢厚治さんは小学校時代からの幼馴染。
その付き合いは40年以上。
林
「小学校の同級生が…だってもう47歳ですよね?ちょっと信じがたい。
僕なんて小学校の友達っていうのはゼロなので。その小学校の友達…」
岩沢「ちょっと待って流さないで」
北川「ゼロですか?何があった?何がどこで、何歳の時何があった?」
岩沢「林先生かわいそうとおもっちゃって」
林「あと中学もゼロです。はい」
岩沢「先生 返しづらいです…」(笑)
林「嫌になったりしないものですか?」
岩沢
「いや、でももう。何だろう。元お友達みたいなとこありますね。
仲良しというなんか言葉ではない。」
北川
「変な恥ずかしさがあるよね。
いまこうみんながいるから2人でこう何となくしゃべるんですけど。
いや、時々レストランとかマネージャーさんとかいて。
マネージャーさんとか「はいどうもどうも。お疲れ様です」とか言って(電話がきて)席外すじゃないですか。
そうすると二人並びでこうゆず丸出しだったりするんですよ。
このゆず丸出しの時のなんか…。
まあ、話すことなくはないんですけど」
岩沢
「あとなんか「昨日北川さん来ましたよ」みたいな。お店行くとね。
別にその報告いらないんですけど」
北川「ある~。写真とか見せられて。ベロベロの岩沢とか見せられて」
林「なんかあの、程よい距離感って感じですか」
岩沢
「そうですね。お互い何となくわかりますね。
今日機嫌悪いなとか。今日は上機嫌だなみたいな。
他の人が見たら分からないかもしれないけど。分かりますね。空気で。
で、マネージャーさんとかが「ちょっといいっすか?」みたいな。
「ああ、今じゃないよ」と思いながら。「かわいそうに…」みたいな。」
林「どっかの70(歳)ぐらいの夫婦と同じようなこと言ってますよね」
北川
「ああ、そう。
だからさ、レストランとか行って、なんか年配のご夫婦の方で、一言もしゃべらずにご飯食べて帰るご夫婦いるじゃないですか。
なんで?と思うけど、おれちょっと分かるんだよね、なんか。
なんかちょっとわかる」
奇跡のデビュー秘話 ももよとはなよとの出会い
1996年。高校を卒業した19歳の2人は、地元横浜伊勢佐木町の百貨店前で路上ライブをスタートする。
路上ライブ「お客さん3人もいれば嬉しかった」
林
「え⁉お客さん3人の路上ライブから始まって、いまではドームを満員にするように大変貌を遂げられたと」
岩沢「まあ、何年もかけてですけどね。急にじゃないですけど。」
林「いえ、でも3人だったんですか?」
岩沢「3人いればよかったですよね。3人は多い方です」
北川「むしろ嬉しかった。そんなにいれば」
林「ああ、そうなんですか」
北川「毎週ね。日曜日の(夜)10時にやってたもんね」
岩沢「っていうのを固定しないと、当時SNSとかなかったんで」
北川
「もう、ただの口約束ですから。「来週も来ます」っていう。
でも当時本当に僕らそれしかやり方がなかったんで。
口コミとか口約束とか。
ただ、その絆の深さみたいなのは。簡単に断れない約束なので。
それはまあ、培った部分はあるかもしれないですね。うん」
ももよとはなよに渡す予定のデモテープが今の事務所の手に
林
「そしてお2人のデビューに関して大きなかかわりを持つ女性が2人いらっしゃったと聞いたんですけど」
北川
「はい。ももよとはなよのことかな、たぶん。
あの、路上でやってた時、1年間くらいね、全然お客さんいなかったんですよ。
で、ある日、そのももよとはなよっていう2人組の女の子が、「あの、先週もやってましたよね」みみたいな話をしてくれて。
「カセットテープとかないんですか?」とか言われて。
あーないなと思って。
「じゃあ来週カセットテープ作ってくるよ」って言って、あのその週に2人でスタジオに初めて入って。
そこでデモテープみたいなのを作ったんですよ。
で、そのカセットテープを持って次の週来たら、僕らがいつもやってるところの場所の壁に手紙が貼ってあって。
『ちょっとごめんなさい、今日行けなくなっちゃいました』って。
まあでも、「まあカセットテープまあいつか渡せばいいや」みたいな風に思ってたその日に、今のうちのボス(事務所の社長)がいるんですけど、その方がたまたま仕事帰りに横浜をふらっと歩いてたら、僕らに出会って。
で、「テープとかなんかない?」って。
いや、たまたま先週来てくれた子達のために作ったテープがあるから。
まあ、まだ何本かあるから、「これ良かったら」って言って、そのテープがまあ僕らのある種デビューのきっかけになったので。
あの日ももよとはなよが声をかけてくれなかったら、僕らの今はないという。」
林「その後、そのお2人には会われたんですか?」
北川「デビューしてからは無いんじゃないかなと」
岩沢「そこからどうなったかは分からないですね」
ももよとはなよに渡すはずだったカセットテープは、偶然通りかかった大手レコード会社の社員の元に渡り、これをきっかけに1998年「夏色」でメジャーデビュー。
最後の路上ライブ「横浜伊勢佐木町の路上に7000人」
そして同年、ゆずの原点ともいえる路上ライブを引退(当時21歳)。
1998年8月16日。午後10時。
最後の路上ライブを一目見ようと、横浜伊勢佐木町の路上には…
台風が近づく悪天候の中、集まったファンの数は実に7000人。
その当時の映像での最後のあいさつ
北川
「きっとまたふらっとどっかの街に行って、路上ライブは続けて行くと思うのですが、えーこの毎週日曜日夜の伊勢佐木町でのは終わりにします」
林「いやでも、あそこに7000人ってすごかったですね。そんな人入る所じゃないですもんね」
岩沢「そうですね。ましてや台風が来てたんで」
北川「でも引いて、台風が。歌う事が出来て」
この最後の路上ライブからわずか3年で…初の東京ドーム公演を開催(2001年)奇跡的なサクセスストーリを歩んでいく。
そんなゆずの存在は、空前の路上ライブブームを巻き起こし…
コブクロやいきものがかり、幾田りらなど多くの才能が路上からメジャーシーンへと駆け上がっていった。
路上ライブでは「いつでも逃げれる準備を!」
北川
「当時デビューしたての頃に雑誌とかのインタビューがあって。
「路上ライブで一番心がけることは何ですか?」って言われたので、「いつでも逃げられるように準備をしといてください」って言って」
林「やっぱりちょっと危ないようなこともあったんですか?」
岩沢
「まあ危ないことはまあまあ。夜のその盛り場なので。
まあ、お酒を召し上がられて上機嫌になられた新入生歓迎みたいな学生さんの一団は一番怖かったですね。
目の前このくらいで「イェーイ!」みたいな。めちゃくちゃ怖かったですし」
北川
「でも僕らもちょっと抵抗する術がないので。
もう、歌うのをやめないってことしかないっていう。
ここで(顔の目の前で)「イェーイ!」ってやられても「うおおおお」ってこっちも歌うっていう」
岩沢「あの時間は何だったんだろう」
まとめ
ももよさんとはなよさんとの出会い。
ホント奇跡のようですよね。
これがある意味デビューのきっかけ。
でもこの出会いがなかったとしても、どこかで誰かに「ゆず」のお2人は見出され、デビューしていたのだと思います。
色々な出会いや偶然が繋がって今がある。
でも、歌うことが何よりも大好きで、人を元気にしたい!とか何かそんな気持ちがあるからこそ、毎週お客さんがほとんどいなくても歌い続けていた。
それが、きっとゆずのお2人のデビューに繋がり、日本全国に元気な歌声を届けることに繋がったのだと思います。
ももよとはなよ?と初めは何だろう?と思いましたが、とても素敵なエピソードでした。