ジブリ 宮崎駿監督 の大きな影響
次々と大ヒット曲を生み続ける米津玄師さん。
その創作の原点には、ある大物監督の存在がありました。
宮崎駿監督の作品への思い・考え方がかっこいい
林
「米津さんの曲、ある方の存在に影響を受けているというお話を伺ったんですが」
米津
「宮崎駿さんはすごく影響受けましたね。
子供のころからやっぱジブリ映画大好きだったんで。
勝手に私淑(ししゅく)するような気持ちで。
昔からいてくれたような気はしますけどね。」
※私淑:直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと。(=個人的にはその方を先生だと思ってるということ)
米津
「映画と音楽って出口は違いますけど、自分が大人になるにつれて「この映画作っている人ってどういう人なんだろう?」っていう興味に移っていったりとか。
まあ、書籍だとかドキュメンタリー映像とかそういうので、こうまあ、熱意をもって、時にすごく熾烈になりながらも、一つのものを作ってるっていうのがすごくそれが格好良く見えたのは覚えていて。
やっぱその姿に勝手に叱咤激励されるような気持ちで生活してはいましたよね」
宮崎駿監督に最も影響を受けた楽曲 子どもたちへの応援歌『パプリカ』
2017年の楽曲「飛燕」は宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」がモチーフになっています。
曲の一部には「ずっと風が吹いていた あの頃から変わらぬまま」という歌詞が。
そして、宮崎駿監督に最も影響を受けた楽曲が…
米津玄師さんが作詞・作曲・プロデュース。
子供たちへの応援ソングとしてつくられた「パプリカ」。
子どもたちに「頑張れ」と言わせたくない
林「特に「パプリカ」は宮﨑さんの作品の影響が出ている?」
米津
「そうです。あれは、応援ソングっていう形で作ってほしいというオーダーがあったんですけど。
「子供が子供たちに向けて応援ソングを歌うってどういう事なんだろう?」っていうのが、あんまよくわかんなくなっちゃって。
自分の中で。
だからあんまり、「頑張れ」とか言いたくなかったし。
子供に「頑張れ」って言わせたくなかったし。
子どもたちが歌う曲で子供たちが応援されてると感じるような曲っていったいどういうスタンスでいれば作れるんだろう?っていう風に考えると、そのやっぱり宮﨑(駿)さんの姿が一番最初に浮かんできて。
やっぱ彼がもうずっと
「子供たちがこの世に生きてて値すると思えるような映画が作りたい」
っていうそういう話を、もう口酸っぱく何度も何度も話し続けてきた人間なんで。
やっぱ彼のスタンスだとかそういう所に見習おうっていう気持ちがまずあって。
で、最終的にまあ「子供を舐めないようにしよう」っていうところが結構大きかったですね。
楽しんで生きていく事自体に意味がある 目の前の日々を楽しむこと -田舎の景色、川遊び、花火、走り回った日々
じゃあ、何をもって応援歌なのかって考えてみたら、まあ自分の子供の頃のこととか思い返すと、まあさっきお話ししたような自分のおじいちゃんのすごい田舎の山の中の景色とか。
で、そこで川で遊んだりとか、花火したりとか、走り回ったりとかした記憶がすごい今になって大きな影響を及ぼしてるなと思うんですよね。
なので、夢に向かって頑張るとか、夢を叶えるっていうこと以前に、やっぱそこ(夢)に向かっていく力とか。そこに没頭していく。
楽しんでこの世で生きていくっていうその状況自体にものすごく意味があるんじゃないかなっていう感じがしたので。
まあ、決してそのね、一つの目標に向かって邁進していく事をバカにするつもりもないですけど。
目的に向かって、目的を達成するかどうかってさして些細なことなんじゃないかなって思ったりする。
そこに向かっていく過程に、なんか実はものすごく豊かなものがあるんじゃないかなってそういう風に思ったりするんで。
子どもたちに「じゃあ夢叶えろよ」みたいな風に言うのもすげぇ無責任だし。
うーん、残酷な話をすれば、子供の夢なんて大体叶わないじゃないですか。
そしたら、じゃあその夢を叶えられなかった人間はみんな不幸になるのかっていったらそういうわけでもないし。
やっぱそういう夢とかそういうものをもって、で、その上で、夢からこう付随して生まれてくる運動とか感性みたいなもの。
なんか実はそっちの方が重要なんじゃないかなって思ったりはしますね」
かつて自分がの山を駆け回ったように、子供たちには目の前の今を楽しんでほしい。
そして、自分が宮崎作品に心躍らせたように、ワクワクする気持ちを大きく育ててほしい。
パプリカにはそんな想いが込められている。
宮崎駿監督からのオファーで制作した映画「君たちはどう生きるか」の主題歌『地球儀』
パプリカを聴いた宮崎駿監督からオファー
林
「で、その憧れの宮崎駿監督からオファーがあったという事なんですけれども、これはどういうオファーがあったんですか?」
米津
「まさにそのパプリカを宮﨑さんがあの聴いてくれてたらしくって。
あんまりテレビとかそういうメディアを観ない人間らしいんだけれども、でもパプリカだけはわりかしこう口ずさむというようなところがあったらしくって。
鈴木プロデューサーがこの「パプリカ」を作っている人間に主題歌頼むのはどうかな?って話をされたところ、肯定してくれた。
そういう話らしいですね。」
一方的に憧れていた宮崎駿監督の耳に「パプリカ」が届き、それがきっかけで映画の主題歌のオファーが。
こうして生まれた曲がアカデミー賞長編アニメーション賞「君たちはどう生きるか」主題歌〝地球儀“
完成までに4年 憧れの人からのオファーにプレッシャー
林
「まあ、自分のもともと憧れていた宮崎駿監督からのオファーっていうのは、他とは違うプレッシャーがあったんじゃないですか?」
米津「だからもう本当に人生最大の出来事でしたね。」
林「随分ご苦労なさって、(制作に)4年かかったんですか?」
米津
「もう、そうですね。最初に絵コンテを受け取って。
で、もう絵コンテも5冊分くらいあって。そのなんかジャンプ2冊分みたいな。
「これを基に本当に自由に感じたように作ってください」って話だったので。
すごいプレッシャーでしたね。それは。
もう本当にこう、その絵コンテを地図に砂漠の真ん中から帰ってきてくださいって言われてるような。
どこ?どこ行けばいいんだ?なんかそういう感じではありましたね。」
林
「で、出来上がったのをお聴きになった駿さんはどうおっしゃったんですか?」
米津
「だから本当にもう死刑台にのぼるような気持ちだったんですよね。最初に聴かせる時。
もう対面してあのCDにやいていって、それでその場で流すっていう形だったので。
本当にもう何言われるもんかっていうすごい恐ろしかったんですけど。
そこであっけなく「いいですね」という話になって。
ほんと一言二言で「これでいきましょう」っていう」
林
「でも宮﨑監督が泣いて喜んでくださったという話も伝わってきましたけど」
米津
「あのー私の目にはそうみえたんですけど。
あのなんかわかんないけど、鈴木(プロデューサー)さんは違うって言ってるらしくて。
なのでちょっと、あの真相は定かではないって感じ。」
最後に…「閉じ切らないこと」を大事に生きる
生きづらさを感じていた幼少期から日本の音楽シーンのトップを走るアーティストに登りつめた米津玄師さん。
彼が仕事をする上で、大切にしている考え方とは…
林「最後に米津さんが仕事をする上で大切にされてることを教えていただけないでしょうか?」
米津
「あー閉じ切らないことはすごく大事にしてるかもしれないですね。
やっぱすごく、子供の頃からこう閉じこもりがちというか。
ずっと自分の興味の範囲の中だけで生きてきた人間なんで。
やっぱこうどうしても独りよがりになってしまう部分とかが…まあ、子供の頃であればなおのことあったんですけど。
でもじゃあ、「自分の好きな音楽ってなんなんだろうな」っていう。
思い返してみると、やっぱ広く届く音楽だったりしたし、それポップスっていう言い方ができると思うんですけど。
「自分の為だけに歌ってくれてるな」って思えるようなものがやっぱ1番好きだったんですよね。
なのでそういう音楽を自分でも作りたいっていう風に考えると、やっぱ閉じこもってちゃいけないなという風に思うんで。
あー対面にいる人間だとか、そういう人たちに「私はこういう人間だけど、あなたはどう?」っていう、そういうことを1つ1つ繰り返していかないと、やっぱ広く届く音楽を作れるはずがないと思いますし。
すごく大事にしなきゃいけないことだなとは思ってますね。」
外に出ることは時に痛みや苦しさを伴うかもしれない。
しかし、それでも世界とつながり、人々と響き合える存在でありたい。
そこには表現師米津玄師さんの確かな覚悟がありました。